第4話 人に待たるる -鎌倉幕府の終焉-


 足利高氏が新田義貞に文を送ってからほどなくして。鎌倉の八幡宮の前で足利高氏と佐々木道誉が談笑していると、ドスドスドスと足音を立てて新田義貞が駆け寄ってきた。高氏がにこやかに手を上げる。

「おーい新田殿! 変わりありませんか」

「それどころではないっ! 高氏殿、あの文はどういうことなのだ? こちらへっ」

 新田が忙しなく高氏の背を押す。するとなぜか道誉もスタスタとついてくる。

「道誉殿、同族同士の話なので少しお待ちいただけぬか」

「良い、良い。道誉殿も同じ穴のむじなです」

「よろしう」猫なで声でわざとらしく目尻を下げる道誉に、義貞は訝しげに眉根を寄せた。


 八幡宮の隅の白旗神社の脇で、長身の武士が三人額を突き合わせ何やらごにょごにょと話している。

「いきなりあのような文を! 他の者に見られたらどうなるとお思いか?」と新田。

「新田殿なら口が固いので大丈夫かなと」と高氏。

「それは誰にも言うておらぬし、文と綸旨は袖に縫い付けてあるが……。いやしかし、御家人として幕府を裏切るのは、だめだろう?」

 三白眼をつぶらに輝かせる新田に、高氏と道誉はきょとんとして顔を見合わせた。

「それはだめですな」と道誉。

 高氏が新田の肩をポンと叩く。

「新田殿、たしかに御家人は幕府に忠実でなければいけない。だが幕府の悪政を帝が正さんとしたら? この場合、だめなのは幕府の方だと思いませんか?」

「それはまあ、そうかもしれぬ……か?」

「いずれにせよ丁度良い。ここで手筈を打ち合わせましょう」と高氏。


「……なるほど、流れはよく分かった。だが、我らが突然寝返った所で、他の御家人が全て幕府側のままではとても勝てぬ。仲間を集めねば」と新田。

「もっともな懸念です。さて、御家人たちは何故、帝側につかないと思われますか?」と道誉。

「ううむ、忠義ゆえか?」と新田。

「そういう者もいるでしょうが、大方は勝つ方についているのみです。そして、そのまた大半が幕府が負けることはないと頭から信じている」

 道誉は言葉を止めて口の端を上げた。

「では、その前提を崩せばどうなるか……?」

「ど、どのようにして?」

「一言流布してしまえば事足ります。そのぐらい脆い幕府なのです」

 道誉は虚ろな声で笑った。


 後醍醐先帝を島流しにして鎌倉はようやく落ち着いたように見えるが、人々の心は安まらない。

「噂を聞かれました? 帝に同心して、お救いしようとしている御家人が増えているらしいと。それも一人二人ではない」

「公家と悪党相手なら負けることはないが、武士の中で帝につく者が増えるとなると話が変わってきますな」

「我らも、身の振り方を考えねばですかな……して、その御家人とは?」

「さあ、そこまでは……」


「ええい、謀反を起こさんとする者は誰なのだ!」

「長崎様、まずは勢力の大きい武士団を繋ぎ止めるのが宜しいのでは? 人質を取っておくなど」

「そ、それは武士たちの反感を買ってしまうのではないですか?」

「いや、背に腹は変えられぬ。大武士団の惣領の妻と嫡子を鎌倉に留め置くのだ!」


「幕府の横暴をお聞きになりましたか? まるで我らを信用していないらしい」

「その上で北条高時様は田楽に闘犬三昧。これは帝がお立ちになったのもやむを得ませんな」

「誰かが反旗を翻したら我らも同様に……」


 そして時は来た。その年の十一月、鎮圧後潜伏していた後醍醐先帝の皇子護良親王が吉野で挙兵したのだ。再度動員された御家人たちは、敵の巧みな戦略に加え、いつ後ろから刺されるか分からず動きが鈍い。

 更には翌年二月に後醍醐先帝が隠岐の島を脱出、伯耆の港に辿り着いた。足利高氏は後醍醐先帝鎮圧のため京へ征き、逆に新田義貞は病と称して自領の上野に閉じこもった。道誉は本拠地の近江おうみ(現在の滋賀県)で、巣を張った蜘蛛のようにひたすら待っていた。

 反旗を翻すのは足利から、と決まっていた。

 足利軍は突如討幕の旗を掲げ、くるりと反転して幕府の出先機関である六波羅を攻撃した。同時に新田義貞も上野で挙兵すると、南下につれ同心の武士たちが雪だるま式に増え、幕府軍を散々に追いやっている。


 道誉は各地の情報を聞きながら、月に照らされた縁側で小さな花瓶につつじの花を一輪挿している。どうにも向きが決まらなく、うなだれる花冠を眺めていた。今日にも六波羅は陥落するだろう。鎌倉が陥ちるのもそう遠くはない。

 道誉は郎党に命じて、近江番場宿--京と東国をつなぐ東山道の中間に位置する--付近の野武士たちに警戒させた。

「恐らく六波羅の北条方は現帝(後醍醐先帝の代わりに即位した光厳天皇)たちと三種の神器を担いで鎌倉へ逃れようとする」

「そこを襲いますか?」

「手は出すな。野武士たちに道を塞がせるだけで良い」

「死に物狂いで通ろうとしないでしょうか?」

「いや……。近くの蓮華寺を綺麗に清めておいてやれ。北条氏が自害するならそこだろう。後に残った光厳帝方を我が太平寺へ丁重にお迎えせよ」

 郎党を行かせた後、道誉は煌々と輝く月を仰ぎ見た。天皇と三種の神器さえこちらの手中に入れば、計画が破綻してもいくらでも勝ち筋を見出せる。

 道誉方と分かる者を表立って動かしていないのは、万一負けた時の安全策でもあったが、主君には裏切りを知らぬまま逝って欲しいという栓のない願いでもあった。


 こうもあっさりと壊せてしまうものなのか。身勝手に幕府を壊して、次の世界もつまらなくなったらまた壊すのだろうか。

 道誉は、勝ちに向かっているというのにどうしようもない閉塞感を覚えた。幕府の息苦しさから自由になりたくて身勝手にこの道を選んだというのに、何一つ変わらないではないか。仏罰とでもいうのか。

 道誉が視線を落とすと、つつじの花が月の光を受けてツヤツヤと照っているように見え、そっと花びらを撫でた。


 これは、佐々木道誉が心から愛し守るものを見つける物語である。

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