第3話 花にあらそふ

 後醍醐先帝を見送ってから数日後。道誉は下野しもつけ(現在の栃木県)に赴いた。春の花が開き始めた広い野原を駆けながら、道誉の心には重くのしかかるものがあった。

 これから会うのは、鎌倉幕府の一大勢力•足利氏の惣領である足利高氏(後の尊氏)だ。有体に言えば帝への寝返りを勧誘しに行くのだが、道誉は高氏が苦手だった。


「道誉殿! はるばるようこそおいでくださった。最近の兼好法師の歌をお聞きになりましたか?」

 人の良い笑顔で玄関口まで迎えに来た高氏は、和歌仲間が来たと喜びまくし立てる。立派な体格全てで嬉しさを表している様子はさながら大型犬の如しだ。


「兄上、いきなり歌の話は失礼ですよ。道誉殿、早春の候ますますご清祥のこととお喜び申し上げます」

 高氏の弟、足利直義は相変わらずのズレた真面目さだ。中肉中背の整った顔立ちだが、いつもどこか釈然としない表情をしている。


「ちょっとお二人とも、お客人を玄関に立たせて何やってるんですか! 道誉殿すみませんね。師泰ご案内しろ」

 主君たちをどやしつけるのは足利家執事の高師直。目を吊り上げてキビキビとしなやかに動き回る。


「おう。道誉殿、こちらへ」

 言葉少なに道誉を先導するのは師直の弟、高師泰。兄を超えて一番の巨体だが、ホッとさせる空気が滲み出ている。


 騒がしい四人組とともに奥の間に到着すると、道誉はまず手土産を取り出した。

「我が近江の名産、なれ寿しをご賞味くだされ」

「おお、ありがたい! 皆で食べよう。なれ寿しとは、鮒寿しのことですか?」と高氏。

「匂いが結構キツいのですよね」と直義。

「ここで言っちゃだめですよ!」と師直が言いながら手際良く包みを開けて皆に配る。

「いただきます。……! これは?」と高氏。

「臭みがないし、まろやかだ」と直義も目を見開く。

「鮒ではなく、琵琶湖の脂の乗ったますを使っております」と道誉が少し得意げに言う。

「道誉殿はいつも期待を裏切って楽しませてくれますなぁ」と高氏。


 道誉は出された茶をすすりながら、得意になったのもあり、ついいつもの調子で話してしまった。

「最近戦続きのため、幕府が追加の徴税をするとの噂ですよ」と道誉。

「何! ただでさえ窮迫しているというに」と師直がいきり立つ。

「ただ急なことなので事前に申し出をすれば理由によっては減免されるとか」

「容れられ易い理由などあるのですかな」と師直が鼻息を荒くする。

 しかし口を開いた道誉を遮り、足利高氏が鷹揚に言った。

「師直、良いよ。幕府が困っているんだろう? 足利が率先して救けようじゃないか」

「何を言っておられます! 戦費が嵩んで大変なのですよ」

 まくし立てる師直の喧騒を聞きながら、道誉はしまったと己に内心舌打ちした。足利高氏という男は、当時の逼迫した武士には珍しく損得感情がほぼない。つまり道誉の人心誘導術が通じないのだ。

 この相手は損得で釣り上げることはできないと分かっていただろう。道誉は気を引き締めた。


「逼迫しているのは足利殿だけではありませぬ。全国の御家人が、足りない所領、元寇への備え、悪党退治などで皆今までにない程困っているのです。それをどうにもできず、むしろ税を搾り取り自らは豪遊している幕府の失政。

 この状況を打破しようと、民のために後醍醐帝が立ち上がられたのです。そして、帝は今も諦めてはいない。帝から、足利殿への綸旨をお預かりしました」

 道誉が差し出した綸旨を、高氏が恭しく受け取って開く。

「幕府を援けて幕敵を退けても、肝心の幕府の屋台骨が緩んでいては、御家人たちの苦しみは終わりませぬ。今こそ英邁なる帝と共に北条の幕府を討ち、正当な源氏の末裔、足利氏による御家人と民のための幕府を立てる時ではござらぬか!」

 一息に言い切った道誉は高氏を見る。高氏は綸旨を眺めながら優しく微笑んだ。

「そうか、皆困っているのか。そうなると御家人と民の方を救けねばならないなぁ」

 高氏は顔を上げて、大きな黒目でじっと道誉を見つめた。

「道誉殿もとても民と帝を熱く思うておられるのですな。帝はどのようなお方でしたか?」

 その声音は柔らかく、しかし鋭く道誉に響いた。損得では動かず、大義名分で動く男かと思い弁を披露したが、違った。鋭い嗅覚で人の本心の場所を探り当て、信用できるかどうかを見ているのだ。道誉は腸を引きずり出されるような思いで言葉を紡いだ。

「……帝は全てを打ち壊す力と理想をお持ちです。私は、このつまらぬ世界を一変させる帝に賭けただけです」

 高氏は初めて納得した面持ちで頷くと、皆わらわらと高氏の後ろに集まってきて綸旨を覗き込んだ。

「兄上、これは本物の綸旨です」

「そうか! 良かった、やっと手に入った」

「やっと、とは?」と道誉。

「実は既に足利家も幕府を見限り帝につきたいと思ってはいたのですが、帝からの綸旨無しに兵を上げるのは不安なので、二の足を踏んでいた所なのです」と師直。

「道誉殿、礼を言います。足利家は必ずや帝をお救いすると約束します。

 さて、そうと決まれば戦支度だ。師直、上野こうずけの新田殿にも文を出すぞ」と高氏。

 道誉は歯噛みした。既に心は決まっていた上で、俺の本心まで曝け出させたのか。この男は、本当に将軍になってしまうかもしれない。だが、この男に仕えても良いと思ってしまっている自分がいた。



***



 それまた数日後の上野。雲一つない空の下、領民たちと共に種籾まきに精を出す新田義貞がいた。浅黒く精悍な領主は民たちに囲まれ、楽しげに笑っている。そこに郎党が駆け込んできた。

「足利殿からの文? 同族のよしみでいつも世話になっているから、そろそろ挨拶に行かんとな。なになに……」

『新田義貞殿へ。この度足利は幕府を討つことになりました。つきましては新田殿もご同心いただきますよう。足利高氏より。

 追記、帝からの綸旨を添付していますのでご確認ください』

「何?!?!?」

 義貞の素っ頓狂な声が上野の山にこだましていつまでも響いていた。

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