2.決意


 驚くほどすっきりとした目覚めだった。

 ごちゃごちゃしていた本を、全て本棚に収めたかのような感覚。もちろんシリーズなんかは順番通りに並べて。

 

 目を開けると辺りは暗く、例えばカーテンから漏れ出る光だとか、そういった類いのものも無い。しんとした夜の気配が感じられた。

 夜ならば寝る時間、ではあるけれど、ぐっすり眠ったからか眠気は一切無く、喉も乾いていたために起きてしまうことにした。

 

 体を起こしてベッドサイドの水差しから水を汲む。思っていたよりも喉が渇いていたようで、一杯を飲み切ってしまった。


「ふぅ……。よっこいしょ」


 そうして一息ついてベッドから降り、大きな窓に近づいて、分厚いカーテンをまくって開けた。

 窓の外の景色は、宮殿ほど大きくはないけれど、それなりの規模の美しい庭園が広がっている。


 なぜ夜なのに庭が見えるのかというと、それは魔導灯に照らされているからである。

 そう、魔導灯。

 つまりこの世界は科学の代わりに魔法が発展したファンタジーな異世界、というやつなのだ。


 不思議な感覚だった。

 私は確かにこの世界で生きてきた記憶があって、そこに日本で暮らしていた記憶も思い出した、という形だ。


 気を失う前はおそらく思い出したばかりだったために、前世の記憶に引っ張られていたのだろうと思う。

 今はというと、少しだけ感覚が前世よりになったくらいだろうか。


 なぜ思い出したのか、そもそも私は今正気なのか。何も分からないけれど、状況から信じざるを得ない。

 もし今の意識がまだ夢を見ているとして、それならばこれまでの人生の記憶は一体何?となるし、逆に日本での人生を想像上の産物とするには、あまりに世界観が出来過ぎていた。


 手を伸ばしてベッドサイドのランプをつければ、ぼんやりと部屋が浮かび上がる。


 日本人の感覚としては、一人部屋にしてはかなり大きいと感じる部屋。

 先程まで寝ていたベッドは白い天蓋が掛かっているし、高級そうな猫足家具たちがそこらに鎮座している。

 今こうして裸足で歩いていても、まったく痛くも寒くもないふかふかなカーペットだって、まさに貴族のお嬢様の部屋といった感じだ。


 落ち着く自室ではあるけれど、今は少しだけ無相応だと思う気持ちもある。

 けれど、だからこそこの身分に見合う振る舞いをしようと思えるのは、もしかしたらこの世界で生きてきたからかもしれない。


 ……なんて、ここまでならただ前世を思い出しただけの、平凡な令嬢で終われたんだけれど。

 むしろ、そうあって欲しかったのだけれど。


「はぁ……まさか私がこんなことになるとは」


 ルフィナ・カルディン、大貴族であるカルディン公爵家の第二子であり長女。

 そんな私は、所謂『悪役令嬢』と呼ばれる役回りなのである。

 

 ◇


 整理するために、元々使っていた日記帳に知ってることを書き出してみることにした。

 それも、先人たちがやっていたように日本語で書いて暗号化するというのも忘れない。まぁ、鍵付きのノートだから防御力は元々高めではあるんだけど。


 開けていたカーテンを閉じて、これもまた高級そうな机に向かう。


『あなたは何色の夢を見る?』


 そんな煽り文句と共に大ヒットした乙女ゲームは、普段そういったジャンルのゲームを嗜まない私でも知ってるくらいの人気作品だった。


 シナリオとしてはまぁシンプルに、光の乙女と呼ばれるようになったヒロインと五人の攻略対象たちが仲良くするもの。

 なのだけれど、このゲームで面白いのはマルチプラットフォーム展開に加え、ひとつのRPGアクションゲームとして完成度が高かったことが上げられる。


 本編ストーリー自体は甘さ控えめで、どちらかというと冒険譚の側面が強い。そしてなにより戦闘は自分で操作するアクションゲームなのである。

 もちろん自動操作もあるので、キュンとしたいだけのプレイヤーにも優しい。

 一見すれば高クオリティのアクションゲームなのだけれど、他コンテンツも豊富で、そっちでは打って変わって甘々な個別ストーリーを楽しめる。

 そして本編ストーリーの作り込みも凄く、考察勢が湧いたほどだった。

 

 こうして、一歩間違えれば全て中途半端で終わりそうなシステムを、完璧にいいとこ取りして成功させたのがこのゲームのすごいところで、売れた所以ゆえんなのである。

 

 けれど、このゲーム自体に『悪役令嬢』は出てこない。

 メディアミックス展開された、コミックス版ストーリーでのみ登場するのが、ルフィナなのだ。

 

 コミックスでは戦闘要素をかなり削り、その分恋愛成分を多くして少女漫画に仕立て直していた。もちろん人気作品のコミックスとあって、大物漫画家の方が担当し、ゲームをしない勢にもかなり刺さっていた。

 つまり、私にも刺さったということである。

 正確には、私はゲームもやりたかったけれどブラック勤務だったので時間がなくて、スキマ時間で読める漫画やウェブ小説を日々の娯楽にしていた、というのが真相だ。


 それでも好きな作品の世界に転生できてラッキー、と思えないのは、もちろんルフィナが悪役令嬢であるというのはそうなのだけれど。


「どうせならヒロインかモブが良かった……」


 ルフィナは社畜令嬢、なんて揶揄する人もいたほどに不遇なキャラクターだからである。


 攻略対象たちと仲を深めるにあたって外せない戦闘イベントこそ漫画版でも取り入れられたが、逆にいえばそれ以外は削られているということだ。

 おそらくその差を埋めるために生まれたのが悪役令嬢・ルフィナであり、それ故に不遇キャラとなってしまった。


 あらゆる場面で悪役令嬢らしくヒロインと攻略対象の仲を引き裂くべく行動を起こすのだけれど、それを五人に対して行うものだから、まず仕事量が多い。

 だというのに、漫画という媒体の都合上ヒロインは一人と結ばれる。そのため四人分は実質無駄な行動といえなくもない。

 極め付けに、それほど出番があるにも関わらず嫌がらせのひとつひとつは大きなものではないから、断罪といってもあっさり修道院行きが決まるだけ。


 悪役令嬢ってもっとこう、カリスマをもって一大派閥を築くとか、犯罪級の悪女になって派手に散るとか、そんなイメージがあったのだけど。


「そりゃ犯罪に手を染めたいとかそういうことじゃないけどさぁ」


 仕事量と給与が合わないブラック勤務な社畜か!

 と、そう思ったのは私だけじゃなかったようで、彼女は一部で社畜令嬢と呼ばれるようになったのである。


 ならばその嫌がらせをしなければよい、と単純に思うけれど、そう簡単にいくかわからないから憂鬱なのだ。


 まず、この世界の強制力がどれほどかということ。これはまだ物語が始まっていないからわからない。

 そしてもうひとつ。攻略対象やヒロインから距離を取るのが簡単ではない、ということだ。


 なぜ五人もの攻略対象がいて、悪役が一人で済んだのか?答えは簡単だ。その五人と関係が近しいのがルフィナだからである。

 メインヒーローの婚約者であり、あるキャラの妹であり、はたまた弟子であったり、ライバルの同級生であり、幼馴染だったりする。


 物語が始まるのはルフィナが十六歳の時だ。そして私は、あと少しで十五になる年。もう1年も残されていない。

 今から関係を避けられるのは、将来同級生となるキャラのみ、ということ。


「んー、どうしようか」


 相関図なんかも書いて整理したメモをみて呟く。

 前世のブラック企業から解放されてお金に困らない貴族の令嬢という立場の今、現状に満足しているから必要以上に何かをしたくない。だからこそ、行動が制限される修道院行きは回避したい。

 物語のような悪役ムーヴをしないのは大前提だけれども、強制力が働いた時に備えて逃げ道を用意するべきか。


「……でもまぁ、なるようにしかならないか」


 ぐるぐる考えていたけれど、そうは言ってもまだ物語の舞台にすら立っていないのだから、考えすぎても仕方がない。

 期日が明日までの仕事を急に振ってくる嫌な上司はいないし、残業代が出ない会社でもない。そんな仕事をしなくては生きていけない環境ではないのだ。


 生まれ変わったからには、前世働いた分くらいは好きに生きてもいいよね?美味しいものだってたくさん食べたいし、何より魔法があるこの世界を生きられるなんて、私にとってはご褒美でしかない。

 また社畜になるのはごめんだから、ちまちました嫌がらせなんて面倒くさいことはしたくないし、もしそれで物語が進まなかったとしてもぶっちゃけ私には関係ないのだ。

 

 まだ不安は残るけれど、それでも整理したことですっきりとした気持ちになり、ぐっと伸びをして固まっていた背筋をほぐす。

 

「うん、決めた!」


 悪役令嬢は回避する、そして好きに生きる。

 これが私の今世の目標である。

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元社畜、悪役令嬢を回避したら溺愛された件について えるにれ・-・ @unknown_1232

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