第32話 男の一言

「女性に対して乱暴は無粋だろ」


 御堂を制するため、その左手首を入鹿の右手が捻りあげる。その入鹿の右腕を、トーエン中尉が掴んだ。

 トーエン中尉の口元に、下卑た笑いが浮かぶ。

 トーエン中尉は2メートル近い巨漢であり、軍服の上からでも鍛えられた筋肉がわかる。傍目に見れば、入鹿が戦って勝てる相手には見えない。

 入鹿を止めに来たのは義勇心などではない。猫が鼠を甚振いたぶる邪な優越感からだと、その下品な笑いから察せられた。


「すぐに退艦して下さい。今なら不当侵入は不問とします」


 友好な関係を築くための挨拶・・・それは単なる口実で、戦艦『朱雀』へ乗り込んできた別の目的がある・・・それが入鹿の結論だった。



「俺たちは、お前の上官に招待されて来たんだぜ?」


「玲。今は、あなたが間違ってるよ」


 御堂も、トーエン中尉の側に立って入鹿を批難する。入鹿の右手が更に御堂の腕をねじり上げた。


「!」


 トーエン中尉は戸惑った。軟弱と思った入鹿の右腕は、予想に反して鋼鉄のように硬く動かなかい。

 ・・・ビリィィィッ

 近衛軍の軍服の腕部には所属する戦団を示す戦団章がある。入鹿の右腕にあるのは、第2戦団の戦団章である。トーエン中尉は、その戦団章を引きちぎった。


「へっへっへっ」


 勝ち誇るように厭らしく笑い、剥ぎ取った戦団章を右手で摘まんで見せる。

 第2戦団の戦団章は、赤地に黒い不死鳥を描いたもの。黒い不死鳥はを象徴している。

 トーエン中尉は、戦団章を床に落として右の軍靴でそれを踏みつけた。

 御堂の腕を放し、その身体を乱暴に突き飛ばしてから、入鹿はトーエン中尉に向き直った。


「一応、確認しておきます。帝と第2戦団への侮辱行為を、謝罪するつもりはありますか?」


「はあ、何のことだ?気に入らねえなら、好きにしていいんだぜ。やれるもんならな」


 第2戦団の少佐が、軍規に反して自分たちを招待した。

 第2戦団はイルドラ公国軍にへつらっている。

 強がっても口先だけ、機嫌を損ねるようなマネはできるはずがない。

 トーエン中尉は、そう思っていた。


 入鹿は、左手に握った軍刀をベルトの吊り紐に下げ直す。それから中腰になり、トーエン中尉の軍靴に踏みつけられている戦団章へ左手を伸ばした。

 ニタリと口角を歪ませてから、戦団章の上にあった軍靴で入鹿の左手を踏みつけた。


「男の一言は、覆りませんよ」


 入鹿の右腕がトーエン中尉の左脚を握って、一気に持ち上げた。想像を超える怪力に、トーエン中尉は簡単に転がされてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る