ショートショート「はじまりの村」

「はじまりの村」と呼ばれるその村の小高い丘には、選ばれし者だけが抜けるという「勇者の剣」があった。その昔、恐ろしい魔王軍を封印し王国を救ったといわれる、聡明で力強い勇者が後世の素質ある者のために遺したものであるという。


その素質ある者は「はじまりの村」に生まれ、来るべき時が来れば剣を抜くであろう、という言い伝えがあった。そのため、数多くの者が何度も剣を抜こうと試みたが抜ける者は現れなかった。


「剣を抜く者は早く現れないのか」

「平和な世の中では勇者は生まれないということだろうか」

「だとすれば抜けない方がいいのかもな」

「剣を抜くほどの状況になれば誰か現れるさ」

人々はそんなことを言い合っていた。




そして、その日は突如として訪れた。魔王が蘇ったのだ。人間共に復讐せんとばかりに魔王軍は王国に攻め入り、どんどん勢力を広げていった。幸い村は王国から離れた場所にあったため、魔王軍に襲撃されなかったが、魔王軍の情報は届いていた。


しかし、誰も剣を抜こうと試みなかった。

「まだ剣を抜くほどの状況じゃない」

誰もがそう思った。いや、思うようにしていた。


王国で家が次々と焼けていく。人が死んでいく。困っている人がたくさんいる。

「でも王国の話じゃないか。ウチの村は大丈夫。剣を抜ける人?いるかもしれませんね、私ではないと思いますが。」

村人たちはみな、魔王軍の情報が入ってもそう話していた。




そんな中、とある若者が丘の上にやって来た。特別な理由があったわけではない。ただ山菜を取りに来ただけだった。彼は聡明で、とても力強い青年だった。


山菜を取っていると「勇者の剣」が目に入った。彼はその瞬間に立ち上がり、何かに引き寄せられるように剣を掴んだ。



伝説が始まろうとしているー






その時、彼の目に丘の下の道が映った。多くの人がいた。

難民だ。魔王軍のいる王国から逃れてきた人たちだった。丘の向こうに目をやると、王国とは思えない程に荒廃しきった街並みがあった。


若者は一瞬、その光景に戸惑った。自分たちが知らない間に王国はこんなことになっていたのか。

そしてまた道に目線を移すと、ある母娘と目が合った。母も娘もやせ細り、服もボロボロだった。若者と伝説の剣をじっと見ている。


若者は想像した。もしも今ここで剣を抜けばどうなるのか。

村の人たちは勇者が現れたとばかりに、世界の平和、多くの人の生命、抱えきれないものを押し付けてくるだろう。

この母娘や難民の人たちはどうか。なぜもっと早く剣を抜かなかったのか。お前のせいで家族が死んだ。

こんなことを言われたらどうしよう。






若者はそっと剣から手を放した。母娘はまた歩き始めた。








なにもはじまらなかった

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