ショートショート「お賽銭」
お賽銭を神への投資と考えてみるのはどうだろうか。投資というのは見返りによる報酬を期待してまあまあな金額を出すものだ。その点で考えてみれば、神社に参拝する行為もそれに近いのではないだろうか。お賽銭を出してお祈りすることで、神からの御利益がもらえるのだから。違いとしては、願う内容と出す金額があまりにも釣り合ってないということだ。
大体のやつは、週に1回ほど参拝して五円玉だけ出して合格祈願などの願掛けをして、最終的に「御利益がなかった」などと言う。月給20円で願いを叶えさせるなど、神といえど認められるわけがなかろう。
だから私はこの神社に参拝するときは毎回、5万円を賽銭箱に入れるようにしている。願う内容は決まっている、無病息災だ。昔から病弱な上に、健康は金で買えないのだからせめて神にでも祈ろうというわけだ。毎週日曜日、苦心して貯めた貯金から切り崩し、5万円を入れてお祈りをした。
そんな生活が3年続いたある日のこと。がんの宣告を受けた。治療にかかる費用は750万円らしく、それが払えなければ残り1年の命だという。ふざけるな。あんなに金を出したのに、なんでこんな目に。ほとんど賽銭に使ったから貯金も残っておらず、治療費なんて払えるわけがない。
やはり無駄なことをしただけだったと自分を恨んでいると、急に院長がベッドにやってきてこう告げた。
「あなたには無料で治療を受けてもらいましょう」
訳が分からぬまま手術や薬の投与を行い、あっという間に回復した。退院の日、私は院長に聞いた。
「なぜ僕が無料で治療ができたのですか?」
「実はあなたの代わりに治療費全額を肩代わりするといった人がいましてね。」
「それは誰ですか?」
「神社の神主さんですよ。」
なんでも日頃からたくさんお賽銭を入れてくれるから、その恩返しだとか。ありがたいことだ。神も仏もいるものだなとは思ったが、結果的に見ればプラマイゼロなので、もう神社には行かないことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます