第2話
岩手から戻って来た後、両親は半ば放心状態になっていた。新幹線の車内で座席に沈み落ちるように眠っていたが、自宅に帰ってからも沈み落ちた彼らをサルベージすることはできなかった。岩手の過ごしやすい清涼な気候から西東京の嘘のような酷暑に戻って来ると、どうしようもなく、行き場のない気持ちがなおさら強まる。母は言葉通りに肩を落とし、食卓の椅子に座り俯きながら時々小さく泣いていた。元々口数の少なかった父はなおさら無口になり、庭の鉢植え群に水を与えたり、無駄花を毟ったり、気を紛らわしているように見えた。一方、両親から私の姿がどのように見えていたのか、わからない。ただ、第三者からは、沈み方は三者三様だが皆、光の届かぬ暗い海底に静かに留まっていたように見えたであろう。
兄とは小さなころから仲が良かった。兄はふざけて馬鹿な話をしていることもあれば、疲れ切った顔で遠くを眺めていることもあった。兄の性分の根底にはオプティミストの本分が本流として流れ、その表面にはいつもぶ厚いペシミストとしての塗り物で固められており、兄の本分を覆い隠してしまっていた。ただ兄の本分は紛れもなくオプティミストとしての本分なのだ。それは私にはよくわかっている。稀にぶ厚い塗り物の一部が剥がれ落ちると、馬鹿みたいに面白いのだから。
思い返すとそんな兄を見て、達観したところで私は日常生活の荒波の中で平静を保っていた。両親から兄と同じように服を与えられ、食べ物を与えられ、そして教育する機会を与えられたが、結果として異なる人間が出来上がったのは当たり前の話である。別の人間なのだから。
引っ越しの手伝いから二か月程たった頃、めずらしく、母から電話が掛かってきた。私は大学の友人数人と丁度飲み屋にいる所だった。多少面倒だったが、席を離れ携帯電話に耳を当てると、母の慌てた声が聞こえてきた。兄妻から兄が失踪したとの連絡が入ったのだという。そして兄の作業机の上には「六年前の自分を探してきます」とだけ置手紙があったらしい。母は今すぐに岩手に行くと息巻いていた。電話口から母の慌てた様子や今すぐにでも岩手へ向かうための旅支度をしている様子が想像できた。私は電話をそっと切ると、カウンターに座っていた友人に母の体調が悪くなったと連絡があったので、ちょっと先に抜けるということを伝え、数千円を置いて席を後にした。
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