B(enjyo)―RTA

牛尾 仁成

B(enjyo)―RTA

 さぁ、今回も始まりましたB―RTAッ! 神に選ばれた選手のみが出場するこの競技ですが解説のベンさん、今回の選手の仕上がりはいかがでしょうか?


「とても期待が持てますね。この選手は幼少期から幾度となく修羅場をくぐりぬけてますから、ちょっとやそっとでは倒れたりしないでしょう」


 そうですか! それは期待が持てそうです。では、選手が位置についたようなので、そろそろ始めましょう! 選手には聞こえないファンファーレがけたたましく鳴り響きます。おっと、選手の表情が少し曇りましたね。これは一体……


「一流の選手であれば、長年の経験から嫌な予感を感じ取って身構えることはあります」


 なるほど、期待通りの選手という訳ですね。ファンファーレが鳴り止み今シグナルが……発信されましたッ! あーっと、これは開始早々、苦しそうだ! 満員電車の中でのスタート、どういった試合運びがなされるのか。どういった戦略でゴールまで辿り着こうというのか。ベンさん、電車の中であればこれは身動きが取れませんよ。そして、なんと今もたらされた情報によりますと、この選手今日に限って緊急の痛み止めを切らしているとのことです。これは辛いッ!


「ラッシュ時の電車でありながら座席に座っているという状態が裏目に出てしまいました。ただでさえ痛みが強い中に、座るという姿勢によってより圧力が増している状況です」


 今回は実に痛みが強いです。これほど強い痛みは珍しいですね。このまま成す術なく、下手をすれば決壊ということもあり得るのではないでしょうか。


「コンディションが悪いかもしれませんね。ただここで決壊しようものなら、競技的にも社会的にも失格です」


 競技はまたの機会がありますが、社会的となると致命的だッ! どうやってこの状況を切り抜ける? さぁ、ここで駅に到着。ここは乗り降りの激しい駅です。何かアクションを起こすのか? おぉ、席を立ちあがり目の前のお年寄りに席を譲りましたよ。こんな緊急事態でも他人への配慮を欠かさない素晴らしいスポーツマンシップです。


「考えましたね。立ち上がることによって痛みの部位にかかる圧迫を失くし、かつ座席を譲るという行為は周囲の人間の目にも自然に映る立ち回り、中々のテクニックです」


 ホームに降りて最寄りのトイレゴールを目指す訳には行かなかったのでしょうか?


「B-RTAは競技的なタイムも重要ですが、最も大事なのは周囲の人間にと思わせないことです。異変に気付く人間が多ければ多いほど減点されます。この場合ホームに降りるのはタイムとしては最速ですが、それをすれば遅刻は確定です。そうなった時の言い訳が難しく、大幅の減点になると考えたのでしょう」


 流石に場慣れをしています。難しい判断も即座に、いや実際に既にはいますが、これこそが一流の所作です。


「どうやら、第一ラウンドはピークを過ぎたようですよ」


 先ほどまであった表情の曇りがありません。何かありましたか、と言わんばかりです。立ち上がりはまずまずというところでしょうか。


「初期の対応が素晴らしいですね。その場にあるものを最大限に活用しつつ、勝ち筋を見出していってます」


 しかし、ラウンドは容赦なく、そして不意に襲い掛かります。ここからはファンファーレのような予備動作はありません。通勤時間は刻々と過ぎていく。既に電車の乗車率は105%を超えています。


「急に押されて、腹部が圧迫される様な姿勢になることは避けたいですね」


 第一ラウンドが終了して既に15分程が過ぎています。そろそろなのか。き、来たッ! 来たぞッ! 第二ラウンドだ。容赦なく襲い掛かる便意に内心では悶絶のはずですが、流石の貫禄です。一切、表情筋を動かしません。


「まもなく会社の最寄り駅です。そこまで行けば歩き出せます」


 しかし、このたった一駅。たった一駅が遠いッ! 過去、何人ものの挑戦者が道半ばで散って行ったことか! あまりにも情け容赦の無いラッシュ! ゲートにはち切れんばかりのヤツらが殺到しています。ッアーーっとここで、アクシデントッ! ホーム前のカーブによって遠心力が発生。乗客の姿勢が大きく崩れましたッ! 目の前の乗客の肘が選手の腹部にめり込む! 恐れていた事態が発生してしまいました。


「できれば避けたいところでしたが、止むを得ません。この選手の最寄駅でもある訳ですから、電車がホーム前に傾く可能性も考慮していたはずです。耐え忍ぶしかありません」


 歯が砕けるような勢いで食いしばっています。何とか、耐えました。凄まじい体力と括約筋ですね。


「しかし無限に耐えるということは出来ません。どこかで勝負に出る必要はあるでしょう」


 腹痛のラッシュの中、最寄駅に到着しました。ホームを上がり、改札口を通過します。ここからなら駅のトイレゴールに直行できるでしょう。……これはどうしたことか! 駅のトイレゴールを通過していきます。余りの痛みに正気を失ったのか!


「いえ、この駅のトイレゴールは個室の数が少ない上に、高確率で使用されているのをこの選手は知っているのです。通り過ぎる際、横目で見たところ既に複数人の待ちが発生していることを確認しています。それであれば狙いは――」


 まさか駅を抜けて、通勤途中にある公園ですか? 横断歩道もあるんですよ!


「勝負所ですね。そこまで持てばいいですが」


 何と言う勝負師! B―RTAはここまで求めるのか! 肉を削ぎ、精神をすり潰すような痛みに耐え、公園へと歩を進める。駅前の横断歩道はまだ赤だ! このままでは待ちが発生してしまいます。


「痛みの中、何もできずに立ち尽くすのが一番厳しいですからね。しかし、この歩幅であれば、おそらく横断歩道に差し掛かる時には青になっています」


 すごい、すごいぞこの選手! そこまで計算した歩幅なのか! さぁ、横断歩道を渡りまもなく公園が見えてきます。表情も心なしか晴れやかです。トイレゴールはすぐそこだ! 見えた見えた、公園です。今やこの選手にとってみれば楽園です。しかし、この選手焦りません、焦って走り込むようなことはしませんね。


「走るという行動はトイレゴールまでの時間を縮めることができますが、同時に腹部に振動を与えます。それが原因で余計に腹痛が増したり、ゲートが開いたりする可能性も高めます」


 諸刃の剣は最後まで抜かず、手堅い形で終わろうという腹積もりなのですね。派手さは無いですが、確実なタイムが期待できそうです……おや、選手がトイレゴール前で立ち尽くしてますね、これは?


「こ、これはまさかのトイレゴール破損⁉ ここに来てこれはほとんど禁じ手です!」


 なんということだッ! トイレゴールの入り口に張り紙がある! 『ご迷惑をおかけしております』ではありません! ここまで来て……ここまで来て、神はなお試練を課すというのかッ! あまりに残酷ッ! あまりに無情ッ! とっくに選手の括約筋は限界なんだッ! こんな展開誰が予想していたのか! 絶望が襲う! 無力感と徒労感に蝕まれる!しかし……しかしッ! 笑う膝を何とか抑え、選手が、再び、歩き出しますッ!


「勝負はまだ終わってはいませんよ。ここからが踏ん張りどころです!」


 選手が踏ん張ればすべてが終わってしまいますが、今はそれどころではありません。最早トイレゴールは会社の中にしかない! そこが一番近いです。しかし、この最悪のコンディション。開放できると喜び勇んで滑り込んだところでの、使用不能はあまりにダメージが大きい。最早一刻の猶予もままなりません!


「走りだしましたね。早歩きでは間に合わないところまで来てしまっているようです」


 あぁぁ! しかし、ゲートがもう開放されてしまっています‼ 出てしまうのかッ! 出してしまうのかッ! トイレゴールは目と鼻の先なのに……


「……ガスでしたね。ギリギリまで取っておいた、最後の保険です」


 ここでガスが炸裂ゥッ! ミではなく、ガスとは……ッ! このギリギリの状況の中でガスのみを選択して放出するのは、神業と言うほかありません!


「しかし、まがいなりにもゲートを開放してしまいましたからね。本命のミを留めておくのは限界です」

  

 ですが屋外とはいえガスの噴出は後ろを歩く人に気付かれる要因になるのではないでしょうか?


「いえ、今日の風向きは向かい風ではなく追い風です。放出されたガスは風に乗って、放出した本人に向かいます。それに今はマスクしている人が多いですからね。気付く人の方が少ないでしょう」


 ここでも緻密な戦術が光ります。その日の天候、人間の生活様態さえも味方につけるッ! まさに魔術ッ! 魔術師の所業だ! だがその魔術も既にネタ切れか! その表情は苦悶以外の何ものでもありません。若干内股気味にもなって来た。だがもう既に会社にたどり着いたぞ。このままトイレゴールに飛び込めるのかッ!


 アアアアアァァァッッッと‼‼ トイレゴールまであと3mという所で歩みを止めてしまった! 間に合わなかったのか、違う! 邪魔が入ったようですッ! この危急存亡の危機に邪魔などをするのはどこのドイツなんだぁ! 


 部長だァァァ! 部長がクソどうでもいいゴルフの話で呼び止めてきましたッ!


「つくづく間が悪いですね。90切るとか切らなとか話してますけど」


 選手の声が上ずっています! こんなところで、こんなところで終わってしまうのかッ! 憎い、憎いぞ! いつにも増して目の前のオッサンが憎い! その頭に乗ったバレバレのヅラをペーパーとして使ってやりたいぐらいだ、とその目が語っております!


「あ、出ましたね」


 出たーーーッ! 出てしまったァーーーーー! 最後の最後、ほんの数メートルが生死を別けたッ! ラスボスがまさかの部長とは、誰も予想しない展開でした! 崩れ落ちそうな体を支え、無の表情のまま、今、ゴォーーールッ! いやぁー、ベンさん。結果は残念でしたが、今回は見ごたえのある戦いでしたね。


「……」

 

 ベンさん? どうしましたか?


「……判定をよく見てください」


 これはどういうことなのか! ミを出してしまえば失格となるところなのに、これはセーフ判定ですッ! ゲートは開放され、ミも出てしまっているのに⁉


「パンツ判定をクリアした⁉ バカなッ! 失われたと言われたあの技を使ったというのか!」


 私は何が起こったのか分かりませんッ! ベンさん、解説をお願いします。


「この選手はミを出しています。しかし、尻肉を閉ることによってミをゲートと肉のわずかな隙間に閉じ込めたのです。失格条件であるパンツへの付着を防ぐセカンドゲート……危険、無謀、無意味の三拍子がそろっているため使い手がいなくなって久しい伝説の技です」


 そ、そんな技があるとは……私も長くこの競技を見てきましたが初めて見ました!


「ミは出てしまっていますから、臭いもありますし、尻肉を閉じこむことに全力を尽くすことから歩き方も大きく制限されます。時間稼ぎにもならない、最後っ屁のようなものですが、あとほんの数秒を稼ぐには充分だったのでしょう。素晴らしい、最後の最後まで諦めなかった者のみが見い出す勝ち筋でした」


 なんという……なんという、執念ッ! 漏らしたくない、というただそれだけの為に人はこれほどの境地へと駆け上がるのか! 今回の挑戦者はまさに人間の臨界者でした。会場の興奮も冷めやらぬ中、出た点数は……今大会最高得点です‼‼ 文句なしのケツ末でしたね。


「まさに危機一髪、というところでしたが無事に切り抜けてくれました。歴代でも指折りのチャレンジだったと思います」


 解説も絶賛する中、王者の誕生に祝福がなされます。さて、早いもので、もうお時間となってしまいました。次の挑戦者はあなたかもしれません。それではまた次回のB―RTAでお会いしましょう、さようなら!


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

B(enjyo)―RTA 牛尾 仁成 @hitonariushio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ