船上の罠

砂月かの

Traps on board

「初めまして、アードルフ様」

「君は?」


真っ赤なバラのような鮮やかなドレスの女性が、突然目の前に現れて、右手を掴まれた。

輝く金髪がとても美しく、ドレスと同じ赤い口紅がとても印象的だった。


「ダンスのお相手をお願いできるかしら?」


綺麗に微笑む彼女に強引に手を引かれて、ダンスフロアに誘われる。


「あ、ちょ、君……」


了承する前に、ダンスが始まる。


「強引な女性は苦手かしら?」

「いや、そうではないが……」


紅いヒールを見事に履きこなす彼女は、「クスッ」と微笑むと、美しいまでのダンスを見せる。

今宵の船上パーティーは、有名資産家の集まり。その中にこんなにも美しい女性がいただろうか? と、アードルフはしばし悩むが、突然彼女に抱き寄せられた。


「う、ぁ……、なんだ」


密着する体が熱い。

初対面の女性に対して取るべき行動ではなく、アードルフは慌てて離れようとしたが、耳元に彼女の息が触れる。


「少し酔ってしまったようなの、少しこのままで」


誘うような艶やかな声色に、アードルフは密着したままダンスを続ける。






彼女の名前は『ソフィア』

抱き寄せたアードルフの足元には、細い針が刺さっていた。


(手段は選ばないってことかしら?)


どこに潜んでいるのか分からない相手に向かって、ソフィアは楽しそうに口角をあげる。


「大丈夫か?」


曲が終わっても密着していたアードルフから、そっと声がかかり、ソフィアはゆっくりとその身体を離す。


「ええ、助かりましたわ」

「シャンパンをどうぞ」


ソフィアがアードルフから離れたら、給仕が盆を手に近づいてきた。

当然アードルフは「もらおう」と、グラスを手に取るけど、


「あッ」


短く声をあげて、ソフィアは盛大によろけてそのグラスを床に落とす。


「君、どうしたッ」

「ヒールが折れてしまったようね」


心配してしゃがみこんでくれたアードルフが、折れた靴を見て不安そうな顔をしてみせる。


「新しい靴を」

「大丈夫よ、それよりグラスを片付けていただいて」


破片で怪我をしたら大変だと、ソフィアが言えば給仕はすぐにその場から逃げた。


(……睡眠薬、ね)


床に広がったシャンパンを少し指で掬い、口元へ運べば成分が判明した。


「お手を」


紳士的なアードルフは、優しく手を差し伸べてくる。


「女性に優しい殿方は、魅力的よ」

「私はそのようなつもりで……」

「赤ワインには気を付けて」


差し出された手を引き、ソフィアはそっと告げると、靴を手にフロアを出て行く。

それから間もなく、花紺青のドレスを纏った女性がアードルフにグラスを差し出してきた。


「素敵なダンスを披露していただいたお礼に、ワインはいかがかしら?」


濡れるほどにしっとりとした、甘い声の藍色の髪の女性が、美しい所作でグラスを手渡してきたが、先ほどの女性からのワインに気をつけろという言葉を思い出し、アードルフは一瞬動きを止める。


「あら? ワインはお嫌い?」

「いや、嫌いではないが、シャンパンの気分だ」

「残念だわ。ご一緒にと思いましたのに」


眉を下げ、女性は寂しそうにグラスを下げようとしたが、なんだか申し訳ない気分になり、アードルフがグラスに手を伸ばせば、手がぶつかってしまい、グラスが傾く。


「まあ、なんてこと」


赤ワインはそのままアードルフの服にかかり、衣装に染みをつくる。


「大したことではない」

「大変だわ」


少し慌てたように、女性はグラスを机に置くと、ハンカチを取り出してアードルフのワインを拭き取ろうとしたのだが、


「ふ、ぐっ……」


ソフィアが間に割り込んで、アードルフの鼻と口をハンカチで塞いだ。


「鼻血は、良くないわ」


藍色の女性からアードルフを奪うように、ソフィアは休息できそうな場所へとアードルフを誘う。

その際に、藍色の女性の手からワインを拭き取るためのハンカチを奪い取る。

おそらくハンカチには薬物が染み込ませてあると、判断した結果だ。

ワイン同様に、惚れ薬的な効果が含まれているだろうと睨んで、慌ててアードルフの鼻と口を押さえた。


「おい」


鼻を押さえられたまま、フロアから連れ出されたアードルフは、ソフィアを呼び止める。


「泳ぎは得意?」


フワッと振り返るソフィアは、月明かりに照らされて、まるで女神のような微笑みを見せる。

一体何を聞かれたのかと、アードルフは怪訝な表情を見せたが、次の瞬間、



ドゴンッ



と、足元に鉄の塊が転がってきた。


(手段は選びなさいっ)


ソフィアは一瞬「マズイ」と眉間に皺を寄せたが、すぐにアードルフの腕を掴む。


「なんだ?!」

「夜の海も素敵よ」


転がってきた鉄の塊から、白い煙が出始め、ソフィアはアードルフを掴んだまま海に飛び込む。



バッシャ~ン



黒い海に響く水の音は、船上にいた二人の女性の唇を噛ませるのには十分過ぎた。






「濡れた髪も素敵よ」


なんとか岸まで泳いだアードルフを、綺麗な笑みで引き上げたソフィアは、濡れたドレスを絞る。


「何だったんだ」


船でみたあの白い煙はなんだったのかと、振り返れば、船は静かに浮かんでいた。


「みなさん、良い夢が見れるといいわね」


あの煙にはおそらく睡眠薬のような薬品が混入していた可能性が高い。しかし、的は逃した。今宵の勝負はソフィアの勝ちだ。


「君は一体?」

「送迎車はあちらよ。刺激的な夜だったわ」

「待て」

「女性を引き留める言葉としては、不合格ね」


さよなら。と、ソフィアは夜の闇に溶け込むように姿を消す。

残されたアードルフは、本当に何が起こったのか分からないまま、送迎車に乗り込んだ。

真っ赤なドレスと、金色に輝く髪の女性の名も聞き出せないまま。






―――――――

「また失敗したのか……」


今度こそはと、ソフィアの姉と妹に協力を願い出たのに、有名資産家との婚約に失敗したとの連絡があった。



『手段は選ばない、アードルフ氏の直筆サイン、または恋に落とせ』



そう指示を出したのは、国家を裏で操るほどの実力者、ゴットハルト家総裁その人だった。

書類に両名のサインさえあれば、あとはどうにでもなる。または、ソフィアが恋に落ちれば問題ない。

愛しの孫が、一人だけ年頃になっても恋をしない。ゆえに資産家と婚約を結ぶために日々手を回していたのだった。



おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

船上の罠 砂月かの @kano516

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ