1-4:遊郭の吸血姫

 ベルトーニファミリーのアジトを後にするや否や、ルソーは路肩に一人走って行き、盛大に吐いた。


「オロロロロ……」


 息を整えながら、唾を吐いてハンカチで口を拭う。


「バカスカ威圧プレッシャーかけやがって、クソが」


 ジャリ、と背中に気配。ロイとハイネだ。


「大丈夫?」


 そう言いながら背中をさすってくれる。


「ふんっ、いつものことだろ」


 ロイは気まずそうに明後日の方向を向いている。


「すごかったね。今回はもうヤバいかもーって思ったけど、未来のドンがあんな風になるんだもん。ビックリしちゃった」

「言ったろ、『準備』があるって」

「……なぁ」


 ロイが目を伏せて聞いてくる。アレのことだ。


「ハイネと……本当に何もないんだよな?」

「ねぇっつの! はぁ……ネタバラシしてやるか」


 歩きながら、ルソーは『準備』のことを話し出した。


     ×    ×    ×   


 昨日、ルソーは情報屋『ハニーポット』に3つ仕事をして貰った。

 まずハニーポットに会いたければ、奴の手下から『場所の情報』を買わなければならない。

 人でごった返しの酒場。

 そこに静かに入るルソー。右手の親指と小指を立てて、バーテンダー(情報屋)に話しかける。

 銘柄と本数も決まっている。


「ブラッディドッグを2本」

「…………三十万」

「おい、前より高いぞ」

「値上げだ。それとも血で払うか?」

「ちっ」

「言っとくが、あんたは姫のお気に入りだから一番安くしてある」


 紙幣三枚を隠して渡し、紙タバコを受け取る。

 店の端のテーブルにつき、早速作業に取り掛かった。

 タバコの外紙を剥がし、その中の暗号を解読。毎日変わる待ち合わせ場所と、もう一本には合言葉の類。


「娼館か……」


 待ち合わせの娼館へ向かう。


「お兄さん、遊ばない?」

「い……いいことしてあげる……」


 ガリガリで頬も痩せこけ、服も着ていない娼婦がいる一方、ふくよかで綺麗なドレスに身を包む娼婦までいる。


「……安く……しておきますよ」


 ボロボロの布切れ一枚で客引きをしている少女。自分の妹もそうなるかもしれないと思うと複雑な気持ちになるが、地下では日常、ありふれた光景だ。

 一切を無視して目的の娼館まで花街通りを一気に進む。


「なんで入れないんだよ!」


 目的の娼館の前で、ダイバーが尻餅をついていた。

 入り口の大男二人はダイバーを見下ろした。そして暖簾横の看板を指差す。

『正装でお越しください』


「これすら読めないようでしたら……」


 オーラの威圧。


「……ちっ」


 すごすごと帰るダイバー。装備から判断すると、そこまで稼げていないのだろう。

 ルソーはすれ違うように娼館の入り口に向かう。


「デカいな」


 ウェストサイドの地下街には珍しい極東風の建物で、『遊郭』と呼ぶ方がふさわしい。他の娼館とは一線を画す風格だ。

 門を潜ろうとすると、ガード二人はルソーを一瞥しただけであっさり通した。

 目の前に広がるのは、まるで別世界。赤や黄の暖色を基調とした提灯が至る所に吊るされており、受付のボーイに靴を脱ぐよう促される。


「お預かり致します。……当館は初めてのご様子ですね。ルールをご説明いたしましょうか?」


 畳の個室に通され、おしぼりと清酒を出された。

 ハニーポットに会いに来ただけだが、とりあえず頷くルソー。


「まず、当館の遊女は最初、顔をお見せ致しません。ですのでまずは『噂』から選んで頂くことになります。お客様も他のお客様からの『噂』をお聞きしてご来店なられたかと存じますが……」


 噂なんてものは知らないが、先ほどの暗号のひとつが思い当たった。恐らくハニーポットを指名する源氏名だ。


「ああ、『紅静(べにしずか)』って花魁……? と会いたいんだけど。ここに呼んでくれ」

「申し訳ありません。一見様は和歌を交わすところから始めて頂くことになっております」

「わか……? 極東の詩か?」

「左様です」


 ペンと筆と和紙を渡されるルソー。まさかここで教養を試されることになるとは思ってもいなかった。


「(今回は面倒だな……)」


 遊郭では目合う(まぐわう)、つまり行為に至るまで三回通う必要がある。まず手紙と歌でやり取りを交わし、相手の字の美しさや和歌のセンスなどでお互いを妄想し合う。それが『初会』だ。それをクリアして、遊女が会いたいと思えば二回目のステップに進める。

 二回目にようやく会えるわけだが、それも僅かな時間のみ。上手くいけば談笑できるが、大金を払っても顔見せしただけですぐに引っ込んでしまう場合もある。

 そして三回目を遊女が受け入れると、ようやく行為に至れるのだ。昔の貴族の結婚を擬似的に模しているらしい。


「(さっきは何かと思ったけど……)」


 ポケットからもう一つの暗号を取り出す。暗号を解読しても、またもや暗号だったために気が付かなかったが、歌になっていたのだ。


『大夫之 聡神毛 今者無 恋之奴尒 吾者可死』


 ペンを手に取った。

「ますらをの……」


 教育は母親が死ぬまで母から受けただけ。他は完全に独学だ。お世辞にも綺麗とは言えない字でゆっくりと書き写していく。

 鈴を鳴らしてボーイを呼び、封をした手紙を渡す。


「承りました。もうしばらくお待ちくださいませ」


 しばらく待つと、着物姿のマダムが現れた。


「ご案内いたします」


 じっとルソーは彼女を見つめる。ハニーポット本人かもしれないし、違うかもしれないが……。


「どうか致しましたか?」

「いえ」


 違うようだ。ただ今回はわざわざ3回も通わなくて済むらしい。

 優雅な所作で歩くマダム。建物の中央が吹き抜けになっており、各階全てに妖艶な提灯の装飾。個室の風呂だけでなく大浴場まであるらしい。


「(参考になるな……)」


 二人はエレベーターに乗り、最上階へ到着した。

 各方角に四つしかない部屋。ここは最高位の遊女のみ許された空間なのだ。

 北側の部屋の前でマダムは止まった。そして、


「どうぞごゆるりと」


 すすす、と引き返し去っていく。

 他の階よりも大きな襖に、豪華絢爛な紋様。部屋の広さも窺い知れる。


「金、足りるかな……」


 襖に手をかけようとすると、反応するように自動で開いた。

 顔を上げる。ごくりと唾を飲み込んだ。


「ルソーね? さっきはアツい恋文をありがとう」


 揶揄うような甘い声が、奥の障子の向こうから聞こえてきた。

 艶美に動く着物のシルエット。

 クラクラするような怪しいお香の匂い。

 意を決して中に入ると、後ろの襖が自動で閉まる。カチリ、フォン……と結界で施錠される音。


「情報を買いに来た」


 奥に進んで障子を開け放つ。

 そこには、吸血鬼の美姫が佇んでいた。ハニーポットの都市伝説で知られる情報屋だ。

 妖艶な着物に身を包み、1メートル近いキセルで香りタバコを吸っている。

 垣間見える白い肌。扇状的な色香が男の本能を刺激する。だが実態は数多もの男女を釘付けにし、餌にしてきたヴァンパイアだ。若い個体とはいえ油断は禁物。ビジネスの相手だが、隙を見せれば血を一滴残らず吸い尽くされる。


「せっかちな男は嫌われるわよ? 座ったら?」

「今回は娼館か。随分と大掛かりだな」

「最近私を頼ろうとする客が多すぎるのよ。それだけ時代が動いてるってことね」


 ハニーポットが立ち上がり、ルソーの後ろへ周る。そしてジャケットを脱ぐよう促してきた。

 生存本能が危険を訴えてくるが、間違っても銃を抜いてはいけない。決してだ。

 はぁ、と恍惚する、トロンとしたメスの表情。


「うふふ、美味しそうな青色」


 スーッと首筋を息が這う。愛撫するように、柔らかな唇が動脈をなぞった。

 蛇に睨まれた蛙だ。手のひらに嫌な汗。

 ルソーは金縛りにあったように動けなくなるが、なんとか応戦する。


「……せっかちな女は嫌われるぞ」

「あら、ごめんなさい。イコル(神の血)の味に飽き飽きしてて……」


 振り返ると嗜虐的な表情を浮かべる美姫。八重歯に似た鋭い牙が、赤いくちびるから美しく光る。

 圧倒的な戦力差。ハニーポットとの取引はいつも綱渡だ。

 向こうはいつでも殺せる。ルソーは丸々太ったエサに見えるだろう。長居は禁物だ。


「ふふ、そう震えなくてもいいわ。貴方は特別だから。さぁ、早く座りなさい」


 ルソーはハニーポットに抱かれるようにして座った。そのまま必要な情報を説明していく。

 その間も色々とちょっかいを出されるが、対等なのはあくまでも表面上だけ。相手は吸血鬼の王族だ。なす術もなく、ある程度は受け入れなければならない。


「分かったわ。それで代金の見積もりだけど……全部で1億ってところね」

「はぁ⁉︎」

「言ってるでしょ? 依頼が立て込んでるのよ。このレベルだと使える手下も限られてくる」

「…………それでも、高すぎだ」


 完全に予算オーバー。後継者としての上納金、つまり『剣王』のゴッドジェムを買う金だってある程度取っておかないといけない。


「ごめんなさいね。でも、これでも譲歩してるのよ」

「(くそっ、足元見やがって……)」


 細く鋭くなる彼女の瞳孔。獲物を狙うハンターの眼だ。


「2千万が妥当だろ」

「1億」

「3千万……!」

「1億5千万」

「おいっ!」


 首に鋭い爪を突き立てられた。黙らざるを得ない。


「ねぇ、貴方もこの情報がないと困るんでしょ?」

「……それでも完全に赤字だ。向こうにそのまま払ったほうが安くつく」


 ジワリと滲み出る血を舐められた。


「じゃあこうしましょ。血を吸わせてくれたら5千万。抱かせてくれたら5千万。しめて一億。どう?」


 耳元に囁かれる金額。恋人繋ぎをされる手。細くて白い指が、ギシギシと絡んでくる。

「…………(こいつ、元よりそのつもりだったな)」


 吸血鬼の王族に血を吸われると死ぬか、生かされても寿命が縮むと言われている。


「俺の寿命は1億じゃ安すぎる」

「心配しないで、殺しはしないわ。それに私と寝るために一晩十億払う皇子(ロイヤル)だっているのよ? 損はさせない」


 ルソーは逡巡するが、考える時間を与えないハニーポット。


「ここで迷うようなら、そこまでの男ってことね。出て行きなさい」

「……………わかった」


     ×    ×    ×   


 アジトに戻りながら説明を終えるルソー。


「――ってことだ。だからこのキスマークはその情報屋の女に付けられた」


 ルソーは襟をはだけて見せる。

「ハイネとはマジで何もない」

「その言い方なんか傷つくなー」


 ホッとするような顔のロイ。ハイネが身を乗り出して訊いてくる。


「で? で? 情報は買ったの?」

「さっき見た通りだろ」とロイ。

「ああ」


 昨日ハニーポットから情報を買い、今日の集合前に3代目を呼び出して脅しておいたのだ。


「あのマリオってやつはドンに内緒で魔薬を密売してて、帝国に高飛びしようとしてるんだ。しかもそれを知った構成員を一人殺した。まぁ、マリオの弟だけどな」


「じゃあ、あの若頭は?」

「……娼婦に入れ込んでいたらしい」


     ×    ×    ×   


 ――三時間前、地下街路地裏にて。

 ベルトーニの若頭をハニーポットの伝手で呼び出していた。

 タバコを捨てて、ルソーは封筒を渡す。

 中身は娼婦の個人情報だった。それも、父と婚約者に内緒で身請けしようとしている女の。

 そして……


『男の子ならレナート、女の子ならライラ、だったか?』


 もうその娼婦の腹には命が宿っていた。


『お前……強請ってるのか⁉︎』

『違う、同情してるんだ。代わりに組織の掃除を手伝ってやるから――』


     ×    ×    ×   


「それで言いなりになってたのね!」

「相変わらず外道だな、ルソーは」

「俺はギフトがない。相手の弱み、金、カラダ……なんだって利用するさ……。まぁ、それも今日までだけどな!」


 ロイが手に持った鳥籠をちらりと見る。ひとまず仕事は終わった。

 これで夢に見た『剣王』のゴッドジェムがもう目の前だ。

 ルソーは有頂天だった。

 だから理解できなかった。自分の腹から血と臓物が溢れ出し、世界がひっくり返っている事態を……。そしてその犯人が、ハイネだということを――。


     ×    ×    ×   


 続く――。(毎朝8時更新)

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