第一章

1-1:十分良い生活してるじゃないか…

『人間を食べたことはあるか?』

 そう訊かれたらこれからは「イエス」と答えられる。

 それはまるで拷問だった。人間の生の臓器を食べさせられる拷問だ。

 ――いや、比喩ではない。

 手足は縛られ、目には目隠し。歯を食いしばり、必死に口を閉じる。


「ほぉら、生焼けのウインナーだと思えばいいんだ。好きなんだろ、肉料理?」

「くっ、無理だ……。俺には無理だっ! おえぇぇ……」


 ぬるりとした触感がくちびるを襲う。生臭い血の匂い。

 自称未来から来たフクロウ型魔機が、ソレを無理やり押し付けてきた。


「まったく……食わないと死ぬゾ?」

「……あの医療用『なのましん』ってのは本当に使えないのか?」

「諦めろ」


 なおも食べようとしない俺に、梟の幼女は強硬手段に出る。

 目隠しが取られた。涙でぼやける視界。

 ふわふわと宙に浮かぶ幼女には、天使の輪っかと銀翼がついている。

 そして両手に持った臓器には『人間の小腸――鮮度:良』、『人間の脾臓――鮮度:可』と拡張現実の説明が浮かんでいた。


「仮契約条項に基づき乙の救命措置を行います。よろしいですね?」


 これは、悪魔の契約だ。


「よろしくなぁぃ――」


 バチッ、と爆ぜる青い稲妻。

 俺は身体を操作され――人間の臓物を食べた。ガツガツ、ムシャムシャとがっついた。


「(せめて、味覚を切ってくれ……)」


 ――これは俺と最強の人工知能が手を取り合い、神々が支配する世界を底辺から成り上がる物語だ。


     ×    ×    ×   



 光り輝く金貨の山と新札の束が、サロンのボーイに投げつけられた。

 空の探検者(スカイダイバー)風の若い男が自信満々に大声を出す。


「ここで一番の酒と肉、魔薬、そんで女をもってこい!」


 他の客や嬢の話し声がぴたりと止む。水槽の敷居越しに覗き見る客達。


「ここを酒場と間違えてるんじゃないのか?」

「まぁ、一応は地下街ですから」


 聞こえるのはヒソヒソ声と、金貨の転がる音と演奏だけ。

 安眠できそうなくらい気まずく静かな空間の完成だ。


「早くしろよ!」

「は、はい! ただいま!」


 入れ変わるように嬢が若い男の席へ向かう。手にはボトルとグラス2つ。


「オーナーを」


 すれ違いざまにこそっと耳打ち。

 目で頷くボーイ。


「ハァイ、凄腕のダイバーさん」


 男の相手をする嬢を尻目で見つつ、ボーイは支配人室へノックする。


「オーナー、面倒な客が来ました」


 部屋から出てきたのは、十六歳の少年だった。高級そうなスーツと靴が、貴族の子息を思わせる。



「はぁ、またか」


 紙タバコをふかしながら、警備室にある水晶の魔道具をのぞく。映るのは各席に設置された水晶からの映像だ。


「いるんだよな、ここをただの娼館だと勘違いする若いダイバーが……。モネに近づかないように言っておけ」

「かしこまりました」

「あと、ジジ臭い曲を演奏させて居心地を悪くしろ」

「嬢ももっと連れてこい、と要求しているようですが」

「二人ずつつけろ。最大で六人が限度だ」

「承知しました」


 そして今度はチャラチャラした服装の、高級サロンには似つかない若者に命令する。


「こいつの情報を集めさせろ」

「了解っす!」


     ×    ×    ×   


 サロンの厨房でモネは調理をしていた。ルソーの仕事を助けるため、調理師兼ウェイトレスとして働いているのだ。


「アンク、これ三番卓にお願いします」


 同じく「働いている」弟のアンクに向かって声をかける。今ウェイトレスは全員客につきっきりで厨房近くには待機していないからだ。

 弟からの返事がないから、少しぼやいてみる。


「はぁ、姉者、まだオーダーが残ってるんだけどなー」

「俺は最強のダイバーになる!」


 アンクは包丁を武器になぞらえて「とぉ! ハァッ!」などと言いながら空想のモンスターと戦っている。他の従業員には厳しい料理長も、ルソー(オーナー)の弟とあってかアンクには何も言わない。

 最近は夜遊びも覚えたらしく、厨房にいる方が珍しくなっていた。


「スターバースト・ソニックケア――――ッ!」

「まったく、もう……」


 モネは料理をお盆に載せ、エプロンを外す。露出度は高くないが、ここの娼婦としても通用する少し扇情的な制服だ。張り付く服のせいで、彼女のしなやかな肢体がより美しく強調される。

 注意喚起を受けている客は9番卓。この席は水槽の仕切りもあり、他の客の目に留まることは少ない構図だ。


「(3番卓は常連さんだし、いいですよね)」


 モネはフロアに出て行った。


     ×    ×    ×   


「モネちゃんの手料理ってだけで、おじさん倍は払うよ」

「あはは、ありがとうございます」

「息子の妾にどうだい? 憲兵なんだ」

「兄と相談しますねっ」


 世間話もそこそこにケータリングを終える。奥の部屋で魔薬と二階の相手をするのは嬢であってモネではない。


「ふぅっ(やっぱり男性の相手は疲れますね……)」


 厨房に戻る途中、3番卓を通りかかる。


「でさ、その遺跡にゃ動かなくなった人間のカタマリが大量に並んでんだってよ」

「さすが最前線のダイバー!」


 わざとらしいほどの大声。

 両脇に嬢を3人ずつ囲っている。まるでその様を他の客に見せびらかしたいようだ。

 交差する視線。


「おっ、可愛い子発見〜。あの子も呼んでくれよ」


 通りかかったモネを、ダイバーはめざとく呼びつけた。



「(あちゃ〜、モネちゃん、出てきちゃったか……)」

 そこをすかさず一番年長の嬢がフォローする。このダイバーにモネを接待させるのは、オーナーの命令違反になるからだ。


「ごめんなさい、お兄さん。あの娘は調理師兼ウェイトレスなの」

「別に良いだろ。ちょっとこっち座れよ、ほら」


 そう言ってダイバーは自分の隣を空けさせる。

 モネと嬢は目配せを交わす。僅かに首を横に振る嬢。


 意図を理解したモネは、頭をぺこりと下げてそそくさと立ち去ろうとした。


「おい、待てよ」


 ドスの利いた声に、ビクりとモネの身体が跳ねた。


「(この感じ……)」


 神力を使ったオーラの威圧だ。肩からズシリと重たくのしかかる感覚。

 遊び程度の脅しだろうが、神力がゼロのモネには重荷過ぎる。


 息苦しさから、胸に手を当てるモネ。


「ちょ、ちょっとお兄さんこわ〜い」

「もうイイじゃんかー。ウチらがご奉仕するからさっ」


 普段の一見さんならこのくらい嬢たちであしらえるはずなのだが、このダイバーは違った。


「ウルセェ、俺は一〇〇万アクシオムも払ってんだぜ? サービスがなってねぇなぁ、ここは」


 一段階重圧(プレッシャー)が上がった。モネは膝をつきそうになるが……。

 ツカツカと歩み寄る、黒い影。ここのオーナー、ルソーだ。


「大丈夫か?」

「兄者……」


 男との間に庇うように立ち、「下がってろ」とボーイに奥へ送らせる。


「(兄者も辛いはずなのに、私だけ……)」


 尻目に見たルソーとダイバーは一触即発する寸前だった。


「あぁ? ここの支配人か? どういった教育してんだよ、お前?」

「大変申し訳ありません」


 ダイバーとして成功するには方程式がある。それは『ギフト×加護レベル=成功指数』だ。

 強いギフトがあれば楽にモンスターを狩れる。その分他のダイバーよりも神々からの注目を集められ、主神からの加護の配分をより多く受けられる。そしてこのダイバーは成功の階段を破竹の勢いで駆け上がっているのだろう。ギャング直轄の店で粗相するくらいに。


「おー、お前知ってるよ。能無しのくせに、成り上がるってスラムでほざいてた奴だよな? ククッ、ガキの頃有名だったからな」


 ガキと言っても、まだ数年前の話である。ピンクパンサーの一味になったのが約二年前。それ故に記憶は新しいはずだが……。


「(……さっき身辺調査させたけど)」


 全く思い出せないルソーであった。


「まぁ、座れよ。一緒に飲もうぜ! 俺の奢りだ!」

「(揉めるよりマシか……)」


 それからというものの、ダイバーは自分の出自や最近の武勇伝を語り出した。


「えー、うそ〜!」

「さっすがぁ!」

「(こんな話に相槌しなきゃならない嬢も大変だな)」


 ルソーは噛ませ役。嬢は聞き役。

 あくびを噛み殺すルソーの肩に、ぽん、とゴツい手が置かれる。


「で? お前ピンクパンサーでどれくらい稼いでんの?」

「それほどですよ、オーナーなんて」

「へぇ……。俺は一晩で一〇〇万アクシオムも使えるんだぜ? 俺の方が稼いでるんじゃね?」


 年齢が近いこともあってか、ダイバーの男はマウンティングを加速させる。


「ギフトも加護も無い、無宗教の雑魚がよ。ちょっとギャングの幹部候補にとりたてられたくらいでよぉ……。へっ、俺の方が出世してんじゃん」


 背中をバシバシ叩かれるルソーだが、笑みを絶やさない。


「だったら上下関係ハッキリさせねぇとなぁ。さっきの女、呼んでこいよ」


 再度、酒の場が静まり返る。ピリつく雰囲気。

 話が振り出しに戻った。酔っているのかと思ったが、ひとしきりマウンティングでイジったあと、決着をつけるつもりだったのだ。

 ルソーも保険を使うことにする。


「確かに、私ではあなたの足元にも及ばないでしょう」


 喧嘩腰に睨むダイバー。細い眉毛と傷跡がよりイカつく見せる。

 だがルソーは肩に置かれた手をそっと払いのける。

 高いジャケットがシワになってしまったのは……目を瞑るとしよう。


「ですが、勘違いされては困るのでお伝えしておきます」

「あぁ?」

「当店はピンクパンサー管轄の店です。あまり勝手なご注文をされると……お分かりですよね、ギルド『ドレッドノート』のアッシュさん?」

「ハンっ、覚えてたのか? それとも……俺も有名になってきたからな。地下街のギャングにまで知られてるとは。クククッ、困ったもんだぜ」


「ブフっ……」と水槽の向こうから盗み聞きしていた客と嬢が漏らす。

 アッシュはそこまで有名ではなく、まだ駆け出しの部類で話題にすらなっていないのだが、勘違いで満更でもなさそうに鼻を高くして自慢する。


「(徹底的に弱みも個人情報も調べ上げてますよ、って暗に脅してるんだけどね……)」

「(まだまだ子供ね……)」

「(オーナーと比べるまでもない)」


 席の嬢たちは顔に出さないが、内心ダイバーを鼻で笑っていた。

 ルソーは婉曲的にではなく、直接お願いすることにする。


「アッシュ様はご来店前、地下街の闇市に寄ったそうですね?」

「――――っ⁉︎」


 ピクっとダイバーの指が跳ねる。


「……それがなんだよ?」

「ギルドに未申告の遺物(レリック)を、結構な数売り捌いたとか? さすが、有名なダイバーはやることが違いますね?」


 有名になるほど強いから、それほど遺物を集められるのか……。

 それとも有名だからこそ、売ったことが筒抜けなのか……。


「(くすくす……)」

「(さぁどっちでしょう?)」


 嬢たちは目配せして笑い合う。一人は思わずニヤけてしまい、グラスで口元を隠す。

 それに気づいたルソーは目で注意しながら続ける。


「ありがたいことに、当店はドレッドノートの方々にもご贔屓にして頂いておりまして……。もしかすると、うっかり誰かがこのことを話してしまうかもしれませんね」


 ルソーのニコニコ顔が、だんだん不気味に思えてくるダイバー。

 高級サロンとはいえ、ここは地下街。地上とはわけが違う。いつの間にか武装したピンクパンサーの警備要員が3番卓を囲んでいた。

 ダイバーの額に油汗がジワリと浮かんでいる。この数は流石に相手にはできない。たとえこの場は勝ったとしても、報復が待ち受けている。


「もう、お分かりですね?」


「お、俺は別に……」


 ルソーは顔を近づけ、静かに耳打ちした。


「俺とやり合うなら、ギルドで来い。来れるもんならな」


 ゾクリとするほど冷酷な声。殺し合いの覚悟を持ったルソーの眼に、ダイバーは固まったまま動けない。

 たっぷり数秒待った後、背中を向けて歩き去るルソー。そしてパンっ、と手を叩く。

 ハッと我にかえるダイバー。


「お客様がお帰りだ。お見送りしろ」

 そして数歩歩いてから、振り返ってニコリと微笑む。

 怯えるダイバー。


「あ、そうそう。一〇〇万アクシオムでしたっけ? 当店の水槽にかかる清掃費一週間分ですね。なので、あんまり大きい声で話されますと、その程度の男だと嬢から誤解されちゃいますよ、有名なダイバーさん?」


 この時可笑しそうに口元を押さえたルソーの顔が、今後何年もダイバーの頭を離れなかったという……。


     ×    ×    ×   


「はぁああああ、つ、疲れた……」


 早朝四時半、サロン地下のルソー自宅。

 ルソーはソファに崩れ落ちた。しばらく放心してから、先ほど入手した朝刊を寝そべって流し読みする。数ある情報から使えるものを取捨選択しないと、この時代に飲み込まれてしまうからだ。

 ふと目に留まったのは……。

『ドレッドノートの新鋭、星3の空島攻略に貢献!』の見出し。

 小さな欄とは言え、先ほどの横柄な客――アッシュの絵が載っていた。仕留めた獲物と魔石を手に、自信満々の顔で睨みつけている。なるほど、羽振りがいいワケだ。


「ふんっ……」


 タバコに火をつけ、安いウイスキーをストレートで流し込む。


『昨日飛行艇を降り立ったB級ギルド・ドレッドノートのメンバー。中でも注目されているのが、若干十八歳の新人ダイバーアッシュさん! 前衛部隊のチームリーダーにも抜擢され――』


 十年前、ダイバーだった父親が死んだ。


『ギフトがなくてもダイバーになれるさ。

 本当に大事なのは、才能じゃない。仲間と自分を信じることだ』


 当時父親はルソーの中で最強だった。ギフト無しでも星等級ギルドに所属し、第一線で活躍するカッコいい親父だった。なのに、目の前で酔っ払いの雑魚に半殺しにされる姿を見せられた時には、言葉が出ず微動だにできなかった。

 自分の英雄(ヒーロー)はその日死んだのだ。

 最期もあっけなかった。結局、酔っ払いにやられた怪我が悪化して、感染症に罹り死んだのだ。

 だからその後、ギルドじゃただの荷物持ちだったと知って、なお失望した。


『何がギフトがなくても……だよ』

 ギフトが無ければ仕事だって無い。ギフトが無ければ、雑魚にだってバカにされ殺される。この世はギフト至上主義なのだ。


「くそっ、俺だってギフトがあれば……!」


 新聞紙を丸めて投げ捨てた。枕元の方へ跳ね返り、飛んでいく。そこに置かれた父親の刀『鬼切丸』。憧れの象徴は、今やただの護身用だ。


「何してんだろう、俺……」


 同世代で活躍する地下スラム出身のアイツと、自分。

 ズブズブとネガティブ思考の沼にハマりかけたが、酔った頭でハッと我に帰る。

 母の死に際、家族を任せると頼まれたことを思い出す。

 こんなザマじゃ、妹と弟に合わせる顔がない。


「シャキッとしろ、ルソー。他人と比較して考えるな……! 家族と従業員を養うのだって充分スゴイじゃないかっ。焦らなくたって、まだ時間はある」


 ふらつきながらソファから立ち上がる。

 風呂上がりの濡れた頭のまま、ベッドへ仰向けのままダイブした。

「屋根付きの部屋に清潔なベッド……二年前に比べたら贅沢な暮らししてる」

 がらんとした、無機質な部屋。お裾分けで貰ったが、一切手を付けずに腐った果物たち。

 薄暗い部屋にひとりぼっちだ。


「もう、疲れた……」


 ツゥ……と目尻から涙が流れる。プレッシャーや嘲笑に負けないよう、普段は毅然とした態度をとっているが、心はすり減っていた。

 明日も朝が早い。魔道具の灯りを消す。

 不眠症気味だが、寝れる時に寝ておかないと昼間体力が持たない。サロン運営の他に、ギャングの仕事だってあるからだ。


「……おやすみ」


 ポツリと虚空に呟いた時だった。コンコンコン、と三度扉をノックする音。


「兄者……?」


 ギィ、と入ってきたのはネグリジェ姿のモネだ。手に枕まで持っている。

 急いで涙を拭うルソー。体を起こして灯りを点ける。


「まだ起きてたのか?」

「兄者を待っていました」


 ストン、とベッドのへりに座る。


「寝付けないんじゃないですか?」


 心配そうな眼差しに、思わず目を背ける。

「……別に」

「嘘です。ここ最近ずっとクマがひどいですし、昼は眠そうです」

「はは、バレてたか」

「唯一の家族ですから」


 サラッとそう言うが、暗にアンクは家族ではないと言っている。

「……一人チビを忘れてないかー?」

「もう八歳ですよ? ……それに最近あの子、私の胸を触ってくるんです。やめてって言ってるのに」

「甘えたい年頃なんだろうけど……」


 本気で嫌がっているモネを見て、ルソーは頭を撫でてやる。言いたい事が手に取るように分かった。きちんと教育しておかないと、アンクの父親みたいになる。


「明日注意しておく。それでも聞かなかったらすぐ言ってくれ」

「ありがとうございます。って、私のことよりも、今夜は兄者を寝かしつけに来たのです!」

「俺は赤ちゃんか」

「ふふっ、ようやく自覚したんですか?」


 よちよちー、と頭を撫でてくるモネ。


「あーっ、もう。髪が濡れたままだと風邪ひきますよ。昔、兄者が私に言ったんですからね」


 そう言って、どこから取り出したのか髪を乾かす筒形魔道具のスイッチを入れる。

 心地よい風。音に負けないよう、少し声を張り上げる。


「でも赤ちゃんか。子守唄でも歌ってくれるのか?」

「惜しいですねぇ」


 じゃれ合うような兄妹のやり取り。背中に感じる人肌の温もり。

 モネの提案に期待してしまうルソーがいた。

 不眠症対策として、薬草や魔薬に頼ったこともあったが効果はイマイチ。今は深酒すれば酔って寝落ちできるからそうしているが、睡眠の質はやはり悪い。だから正直なところかなりありがたい。

 しばらくなされるがままになった後、モネは魔道具を置いて灯りを消した。

 真っ暗な部屋。

 モネはゴソゴソ何かを取り出し、トクトクトク……とコップに注ぐ音がする。


「まずはこちらを飲んでください。蜂蜜と隠し味入りの紅茶です。」


 手に握らされるカップの持ち手。


「アーリャさんに神聖魔法を付与してもらいました。お客さんもイチコロだそうですよ」

「ふーん(何度も試したけどな……)」


 自分のためを思ってせっかく用意してくれたお茶だ。

 まずは香りを確かめた。バニラの香り。

 熱さは……丁度良く一気に飲み干した。

 カップを置きながら感想を述べる。


「んー、甘いな。……でも美味い。ありがとな」


 これで終わり、かと思いきや、頬を少し赤らめたモネはコテンとベッドに寝転がった。


「さ、さて、次のステップです。ほら、兄者も横になってください」

「ええー、俺もう十六なんだけど? お前も十五歳だろ? 流石に――」

「ぐっすり眠れるよう、お手伝いしますので。ほら、遠慮せず」


 空いている枕をぽんぽんと叩く。


「遠慮て。そこ、俺の領地なんだけどなー?」

「さっき分割してレンタルしました。今は私のです」


 ぐいっと手首を引っ張られ、倒れ込む。

 お互いの吐息が掛かるほどの距離。

 疲れて隙だらけの心に、グイグイ入り込んでくる妹。


「侵略者め」

「慈愛に満ちた統治を約束しますよ?」

「……それで? 何をする気だよ?」

「実はですね、最近、『ぐぽぐぽ耳舐め療法』というのを耳にしまして……」

「ほぉ、ぐぽ……え? 耳舐め……?」

「お兄ちゃん、おいで……」


 いつもと違う甘えたような、艶っぽい声の囁きにゾクリとする。

 ふ〜……ちゅ……。


「――――ッ⁉︎」


 甘い吐息が鼓膜を襲う。耳の奥まで舐められた感触。脳へ甚大なダメージだ……。早く離れないと。


「この舌技が不眠症に効くと、お姉さん方に教わりました。練習だって……」

「それ、揶揄われてるんだよ! 鵜呑みに――」

「ん、はぁぁっ」

「おまっ、なんつー声出して……! コラ、舐めるなって」


 離れようとするが、ガッチリ頭を抑えられた。

 柔らかい感触。昔は骨と皮だけだったのに、大人の肢体へと変貌していることに初めて気付く。

 ゆっくりと梳かすように撫でられる髪。容赦無く脳を溶かす囁き声。


「ふふっ、兄者の耳は舐めていませんよ。私の指をぺろぺろしているのです」


 いつの間にそんなスケベなセリフを言うようになっていたのか……。ルソーの中の小さくて可愛かったイメージが穢されていく。

「だ、誰だ、俺の妹にこんなこと教えた嬢は……⁉︎」


 日頃の感謝を込めてモネは健気にご奉仕する。


「はぁむ……みみ、気持ちいいですか……?」

「んんあっ……くっ!」


 耳元から全身に走る衝撃。

 思わずシーツをキツく握り締めた。ビクビクッと痙攣するように跳ねる背筋。


「だ、大丈夫ですか?」


 素の声で心配するモネが覗き込んでくる。


「大丈夫なワケあるか……!」


 醜態だ。妹に弄ばれて、変な声まで出してしまったのだ。プライドはもうズタボロだ。


「くすくす、兄者こそ、スゴい声を出して……。耳、敏感なんですね」

「……いうな」


 恥ずかしさから乙女のように顔を隠し、スーハーと呼吸を整える。

 徐々に霞んでいく意識。微睡に溶けていく妹のささやき声。


「(…………これを教えた嬢は、減給……して……やる)」


 スースーと深い呼吸。コウカハバツグンダ。


「…………寝ちゃいましたか?」


 モネはルソーの髪を優しく撫でた。そして額にキスをする。


「おやすみなさい。良い夢を」


 次の日モネは、好奇の目をした嬢達から根掘り葉掘り結果を訊かれたという……。


     ×    ×    ×   


 続く――。(毎朝8時更新)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る