第15話。椿綺の休息

椿綺つばきさん。お疲れですか?」


 私はベッドに頭だけを乗せていた。ベッドは相変わらず来夏らいかが占拠しており、私が隣に寝転ぶという選択肢はなかった。


「まあ、色々とあったからな」


 本当に色々あった。


「服のサイズは大丈夫か?」


「はい。ただ、少し胸の辺りが……いえ、何も」


「自慢か?それとも嫌味か?」


「私なりの冗談ですよ」


 来夏の服が無く、代わりに私の服を貸すことにした。白雪しらゆきには適当に来夏の説明をしたが、白雪は家に帰ってきてからずっと上の空だった。


 あの男に白雪は告白をされた。


 ただ、男の方が返事を聞かずにうやむやした。もちろん、完全に無かったことにする気はないだろうが、白雪もすぐには答えられそうになかった。


「でも、ドラマチックですよね」


「ドラマチックか……」


「学生時代に一目惚れした相手に偶然、再会をして。一緒に仕事をして、それから告白をするなんて」


 確かにあの男からすれば、運命的なモノを感じてもおかしくないだろう。しかし、当の本人が何も覚えていないのは、運命と言えるのだろうか。


「惚れた女が他の人間から酷い扱いを受けていたのなら、守るべきだと私は思うが」


「十分、やってると思いますよ。椿綺さんを止めたのだって、惚れた相手の妹さんが罰を受けるのが嫌だったからだと思いますし」


「そうか……」


 下手をすれば白雪の立場が悪くなっていた。最後にあれだけ上手くいったのは、あの男が白雪を守る意思をちゃんと示したからだ。


 しかし、残った問題があるとすれば、店の経営についてだろう。いきなり二人も辞めさせて、今まで通りに続けられるのか。


「あの男に白雪を任せてもいいものか……」


「それを決めるのは白雪さんですよ」


 わかってはいる。でも、簡単に納得をするのは私には無理そうだ。


「来夏は恋をしたことはあるか?」


 私がベッドに座り直すと、来夏が隣に来た。


「ありますよ」


「その恋は実らなかったのか?」


「そうですね。恋をしたのは一瞬でしたから」


 来夏のいじめは長く続いていると聞いたが。恋をする余裕なんてあったのか。


「私が前に言ったこと覚えてますか?私のいじめを止めようとした人がいて、その結果余計に酷くなったと」


「ああ。覚えている」


「それ。中学の時に担任の先生だった人です」


 過去にはまともな教師もいたのか。いじめを止められなかった時点で、褒められるものでもないとは思うが。


「まだ先生は若くて、教師という仕事に希望も持っていたと思います。優しくて、面白い先生。みんなも、そんな先生のことが好きになっていきました」


「つまり、来夏の恋の相手というのは」


「そうですね。先生のことです」


 極限の状態に陥った人間は、救いの手を差し伸べられたら。それが何よりも心の支えとなってしまう。


 来夏も同じとは思わないが、似た状況か。


「私も初めは関わるつもりはありませんでした。声をかけられても無視をして、先生のことはただの偽善者だと思ってましたから」


「随分と心変わりをしたようだな」


「はい。もしかしたら、先生は本当に偽善者だったのかもしれません。それでも、私をいじめていた生徒の一人を先生が殴ったんです」


 感情的になるのは、よくない結果を招く。若いからこその過ちか。本当に人を救いたいのなら、正しい方法を選ばなくてはならない。


「先生は私の為に本気で怒ってくれました。でも、結局、先生は生徒を殴ったことで学校を辞めさせられました」


「馬鹿な男だな」


「私もそう思います。もう少し違ったやり方をしていれば、あんな結果にならなかった可能性もありましたから」


 昔は体罰もそれほど問題にはされなかったが、最近の子供は無駄に賢く。体罰が正しいと考えている人間と、体罰を理不尽な暴力だと感じる生徒は何があっても分かり合えない。


 そんな環境で暴力を振るえば、すぐに問題は大きくなる。わかってはいても、感情的になりやすい人間には厳しい世の中なのだろう。


「その後、会いに行こうとは思わなかったのか?」


「私のせいで学校を辞めさせられたんですよ。それなのに会いに行っても、お互いに嫌な思いをするだけです」


「かもしれないな……」


 下手をすれば逆恨みされている可能性もある。


「でも、私は馬鹿なので。先生に会いに行きました」


 頭ではわかっていても、自分の気持ちを抑えられなかったということか。


「私が先生と最後に会った日から、一年は経っていたました。それが私が覚悟を決める時間でもあったと思います」


 子供の一年と大人の一年は大きく違う。それでも時間の流れは平等だ。何が起こっていても不思議ではなかった。


「先生を探すのはそれほど苦労はしませんでした。一年前に学校は辞めましたけど、住んでいる家は変わっていませんでしたから」


「家に行ったというわけか」


「はい。そこで一言、私は謝るつもりでした」


 来夏という人間は本当に哀れだな。


 人間が他人に謝罪をするのは許しを乞う為だけではない。来夏のとった行動の真意は、自分に手を差し伸べた人間に縋りたいという気持ちがあったのだろう。


 つまりは、相手の同情を誘おうとしたのだ。


 謝罪を言葉を使って、自分に同情させる。それは相手を騙すという意思が根底に存在しており、来夏という人間がそれを最善と考えた。


 しかし、私からすればそれは不確定な要素が多すぎるように感じた。相手が一年前の出来事を根に持っていたとしたら、来夏はただではすまなかっただろう。


 自分の行動を反省し、来夏に対する一切の恨みがない場合も似たようなものだ。人間にとって失敗を深く刻まれる。その失敗の原因である、来夏が現れたとしたら、平凡な人間はどんな行動をとるだろうか。


「椿綺さんは、私の行動が愚かだと思いますか?」


「ああ、そうだな。しかし、来夏の行動を否定するつもりはない。当時の来夏にとっては、それが正しいことだと確信していたのだろ」


「はい。私が愚か者であることに気づいたのは、さらに後のことでしたから」


 来夏が少し笑ったように見えた。


「一年ぶりに会った先生は……結婚してました」


「どういうことだ?」


「私、勘違いしていたんですよ。先生が私の先生だった時から、もう結婚していて。奥さんと子供もいて……なのに、私は先生の優しさが自分だけに向けられるものだと思って……」


 今、来夏は私に同情させようしているのか。


 そこまで考えているなら、来夏という人間は本当の愛に出逢うことは一生ないのかもしれない。過去の悲劇を語り同情を得たとしても、それは相手が善人であるうちしか意味はない。


「私は先生に謝ることが出来ませんでした」


「話さなかったのか?」


「家族仲良く歩いている姿を見て、私は諦めました。先生のこれからの人生に、私の過去も未来も必要ないと理解をしました」


 来夏の付け入る隙はなかったということか。


「随分とあっさり諦めるんだな」


「そうですね。きっと、先生の隣に居たのが奥さんだけなら、私はもう少し頑張ったと思います」


 当時の来夏にとって、その人間の存在はそれほど大きかったということか。


「でも、そんなことしたら。子供が可哀想じゃないですか」


「その人間の子供に自分の姿を重ねたのか?」


「まあ、私も色々ありましたから」


 子供から家族を奪いたくない。


 そんな想いが来夏を踏みとどまらせたのか。


「これが私の初恋と初めての失恋です」


「まあ、いい経験にはなったな」


「はい。あの初恋がなければ、私はもっと恋愛というものに幻想を抱いていたと思います」


 恋愛か。私には一切、経験が無かったが憧れがあるといわけでもない。ただ、自分の子供というものには少しだけ興味があった。




「そろそろ寝るとするか」


 来夏と話しているうちに、それなりに遅い時間になっていた。


 私はベッドに入り、来夏は床で眠る。来夏の過去を聞いたとしても、私の来夏に対する態度に変化はなかった。


「椿綺さん。おやすみなさい」


「ああ。おやすみ」


 私と来夏の関係はずっと変わらない。


 このまま良き友人。良き話し相手。そんな程度の関係を続けれられたら、私は満足だった。


「来夏」


「椿綺さん。ごめんなさい」


 これは私の失敗なのだろう。


 辛い過去の話をして、平気な人間なんていない。


「……今日だけだからな」


 その日、私と来夏は一緒の布団で眠った。

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