第9話。椿綺の香り
その日、私はとある人物に呼び出されていた。
私は
「久しぶりだな。
私が彼女と顔を合わせたのは、これで何度目か。
母親の姉。その姉が産んだ娘の一人。つまり私にとっては従姉妹ということだ。ただ、彼女は私よりも歳上ということで年齢が近いわけではなかった。
「
私に抱きつこうとした結月を突き放す。
「やめろ。私に触るな」
結月と結月の姉妹達。その中にはろくな人間がいないが、私の中では結月が一番マシに思えた。後の二人は自由奔放な女と頭のネジが全部抜け落ちた女だ。関われば、振り回されるのは自分の方だと知っている。
だからこそ、私は結月が何をしてもある程度は許せてしまう。
「それで、用件を話してくれ」
結月が笑顔を見せる。
「私の子供を自慢したかったの」
「そういえば子供がいると言っていたな」
聞かされたのは随分と前のことだったか。
「じゃーん、この子よ」
結月が見せつけてくる子供。小学校低学年くらいの子供だ。真っ直ぐと目が合うが、そこから伝わる感情が何も無かった。
「……これは、女の子か?」
「男の子よ。あ、でも、双子のお姉ちゃんがいるわよ」
もう一人の姿は見えないが。
「なら、これが長男か」
「いいえ。次男よ」
「……お前、何歳で子供を産んだんだ」
長男の姿も無い。子供の自慢というわりに、次男しかいないのは何かの冗談か。とりあえず、次男には挨拶を済ませておこう。
「初めてだな。私は椿綺だ」
子供相手だと見下ろすような形になる。
「ボクは
「そうか。時雨か」
私は結月の顔を見た。
「お前にしては、まとな名前だな」
「変な名前なんて付けないわ」
「結月の母親から、娘が昔買っていた金魚にマダガスカル島って名前を付けたと聞かされたが」
「それはペットよ。これは人間」
結月が時雨を抱き寄せようとするが、逃げられていた。ベタベタされるのは嫌いなのだろうか。
「あまり懐かれていないようだな」
「私はたっぷり愛情を注いでいるのよ?」
「水をやり過ぎたら、植物は枯れるものだろ」
ただ、私は時雨が恵まれているとは感じた。結月は嘘偽りなく、家族を愛せる人間だ。結月が最も大切にしているのは、家族のことみたいだが。それが空回りして、周りに迷惑をかけることもある。
「椿綺。座ってて、お茶を入れるから」
「コーヒーを頼む」
「はーい」
私は近くにあったソファーに腰を下ろした。
少し離れた場所に時雨が座っており、手を伸ばせば届きそうだ。ただ、あまり構うと嫌われてしまいそうだな。
「椿綺おばさん」
そんな歳でもないと思うが。
「どうした?」
「ボクは女の子に見える?」
先程のことを気にしているのか。いくら失言を口にして、それを私自身が気にしないと言っても、時雨が傷つくようなことは避けたかった。
「……その伸びた髪は時雨の趣味か?」
時雨の髪が肩にかかるくらい伸びている。
「お姉がお揃いがいいからって」
「もし、時雨が気になるなら。髪を切ればいい。双子だからと言って、何もかも同じにする必要はない」
それに男女の双子となれば、これから成長するほどにズレも大きくなるだろう。今は時雨が姉に合わせているとしても、いずれは時雨の不満が大きくなるはずだ。
「ごゆっくり」
結月が私の前にコーヒーを置いたが、すぐに離れて行った。どうやら、結月は私と時雨を話し合わせたいようだ。
「でも、みんなこっちの方が似合うって」
「結月も同じことを言ったか?」
時雨は顔を左右に振った。
「お母さんは言ってない」
「だろうな」
結月はちゃんと母親をやっている。時雨が嫌がるようなことを言ったりはしない。と思う。少し悪い冗談を言うところもあるが、それでも時雨を追い詰めたりはしないはずだ。
「時雨。お前は姉のことが好きか?」
「大好きだよ」
私はコーヒーを口にする。
さてと。どんな言葉を伝えるべきか。
「姉と同じになりたいか?」
「ううん。なりたくない」
時雨の中には確かに自我がある。しかし、これまでの会話の中で時雨からは強い感情を感じなかった。
この雰囲気、私の母親によく似ている。
自らの感情を湖の底に沈む石のように、動かそうとしない。確かにソコにあるはずなのに表に出そうとしない。そんなところが、母親と同じだ。
今になって、結月が私を呼び出した理由がわかった。おそらく、私と時雨の波長が合うと考えたのだろう。私と白雪なら、私の方が母親に似ているからこそだ。
「時雨。私には歳の離れた姉がいる」
「そうなんだ」
私はカバンからケータイを取り出して操作をした。前に白雪と撮った写真を時雨に見せるためだ。
「これが、私の姉だ」
「……あんまり似てない」
顔だけなら白雪と似ていると思っていたが、表情や体格には明確な違いがある。それに私はどちらかと言えば結月の方に似ているだろう。
「姉妹だからと言って、同じ人間になる必要なんてまったくない。それが双子の場合も同じだ。同じ顔だろうと、同じ心を持つわけではない。考え方は異なり、生き方は自らが示すものだ」
キッチンの方から結月の鼻で笑う声が聞こえた気がするが。私らしくないことを言っているのは自覚している。
しかし、目の前にいる人間を迷わせない為には私が私なりの答えを伝えなくてはならない。それが私がここにいる意味なのだから。
「ボクにはわからない」
理解は出来ても、受け入れられないか。
時雨が幼くてして、既に大人としての考え方を持っているのは。結月の影響だと考えるべきか。愛情を大量に注ぐことの悪影響が時雨には現れていた。
私は時雨に近づいた。
ゆっくりと手を動かして、時雨の頬に近づける。
時雨が避けないことを確認してから、私は時雨の顔に触れた。まだ子供特有の肌の柔らかさが伝わり、指先の感覚に気を取られてしまう。
「椿綺おばさん、くすぐったい……」
「ああ。すまない」
やはり、時雨は大人ぶっているわけでも、強がっているわけでもない。これが時雨という人間なんだと認識した。
だとしたら、私が時雨に出来ることは何も無いのかもしれない。私と時雨が似た考え方を持つというのなら、それが答えになっていた。
「時雨。私はお前の家族だ」
「家族……」
「お前の姉や兄、母親にも話せないことは多いだろう。もし、誰にも話したくないことがあれば、私が聞いてやる。だから、一人で悩まないでくれ」
いずれ時雨は己の凝り固まった考え方に蝕まれるだろう。最悪の場合、未来に希望を抱けずに、誤った答えを導き出してしまう可能性があった。
その時、私は時雨の傍に居るべきだ。
「椿綺おばさん。ありがとう」
ああ、子供とはこんなに愛らしい生き物なのか。
私の体は自然と動いていた。
時雨の小さな体を抱きしめる。
この体は暖かくて、よく知っている匂いがする。
「椿綺。子供って、いいものよ」
私は時雨を胸に抱いたまま、隣まで来ていた結月に顔を合わせた。せっかく、気分が良かったのに一気に最悪な気分になった。
「私にはまだ早いだろ」
「でも、もう子供は産めるでしょ?」
「時雨の前で変な話はやめてくれないか」
もしかしたら、一番の解決策はこの女から時雨を引き離すことではないかと私は考えた。しかし、やはり親と子、離れ離れにするのは、よくはないだろう。
「子供って、欲しい時に出来るとはかぎらないのよ」
「……だから、私は──」
その時、私の言葉は最後まで続かなかった。
結月が不気味な笑みを浮かべている。
ああ。知っているとも。
これが、この女の本性であることくらい。
「結月。時雨を失うような結末だけは私に絶対に認めない。もし、そんな未来が訪れたとしたら、私はお前との縁を切る」
「ええ。約束するわ。もしも、そんな未来が迫ったとしたら。私はアナタに時雨を任せるわ」
きっと、これは例え話だ。
そんな未来を迎える前に結月が時雨を止めてくれると信じよう。今の私には白雪という、既に背負っているものがあるのだから。
「時雨。また会いに来る」
「うん。わかった」
今は、時雨から手を引こう。
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