第5話。椿綺の観察

 土曜日。白雪しらゆきの様子を確かめる為に私は勤め先の弁当屋に行くことにした。いつもなら昼間は二人で食事をしているが、白雪が仕事を始めてからはそれも減ってしまった。


「ここか」


 自宅から歩いて行ける距離にある店。こんな場所に弁当屋があったことを知らなかったが、それものそのはずだ。ここは大通りから外れた道にある。


 店の中は随分と小綺麗に見えるが、最近建てられたというわけでもない。元々あった建物を再利用して、新しく店を開いたようだ。


 私は店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


 店に入ると若い男の姿が目に入った。素敵な笑顔は練習でもしているのか、素直に感心する。


 カウンターに近づき、メニューを見る。が、すぐに視線を上げた。奥の方で動く人間の中に白雪が居ることを確かめる為だ。


「ご注意はお決まりでしょうか?」


「……ああ、これで」


 指先でメニューを軽く叩く。正直、弁当はどれでもよかったが、一番安い物を頼んだ。


「椅子に座って、しばらくお待ちください」


「ああ」


 白雪は接客はしていないのか。


 さっき、店の奥を覗いたが白雪の姿は見えなかった。もし、白雪を見つけたとしても、何かが出来るわけでもないが。


「……っ。なんだ」


 椅子に座り待つことにしたが、店の奥からとんでもない音が鳴り響いた。思わず、体が反応したが本当に驚いたのはその後だった。


「申し訳ありません」


 先程の男が私に謝ってきた。


「何かあったのか?」


 男は答えずらそうな顔をする。私の聞き方が間違っているとわかっているが、どうしても確かめたかった。


「新人の子が手を滑らせてしまったようで……」


 白雪。だと、なんとなく決めつけた。


「よくあるのか?」


「いえ、今回はたまたま……」


 再び店の奥から音が鳴り響いた。


 男はなんとも言えない顔をする。


「その新人の名前は白雪か?」


 私の方から名前を出したのは、確認の為だった。


「もしかして、白雪さんの知り合いですか?」


「私は白雪の妹だ」


「あ、妹さん」


 先程まで苦虫を噛み潰したような顔をしていた男が少しだけ笑顔を取り戻した。私が白雪と姉妹であることを知って、男も気が抜けたのだろう。


「それで、白雪は店の邪魔になっていないか?」


「白雪さんは、よく頑張ってくれてますよ」


「私が聞いてるのは、役立っているかどうかだ」


「まだ入ったばかりで、慣れないことも多いですから。役に立っているか、というのは難しい質問ですね」


 それは私が望む答えになっていた。


 ただ、他に気になったことがある。いくら白雪を店に誘った側の人間だと言っても、ここまで白雪を庇うのは不思議だった。


 他人ならともかく、私は白雪の妹であることを告げた。わざわざ私に対してまで、白雪の立場をよく見せようとする理由がわからなかった。


「白雪は昔から抜けているところがある。怪我だけはしなように気を使ってほしい」


「わかりました」


 あまり私的な会話を続けるのもよくないだろう。


 私がケータイを取り出すと、男は奥の様子が気になっていたのか。すぐに私の傍から離れて行った。


「念の為に送っておくか」


 父親から白雪の仕事の様子を聞かれていたが、私ではなく白雪に聞くべきだろう。ここから見たところで、白雪が何をしているかまったくわからない。


 私の考えでは白雪が接客をしているものだと思っていた。白雪の中身はアレだが、見た目だけなら美人と言ってもいい。口にガムテープでも貼ってレジの横に立たせておけば外からでも目立つだろう。


「お待たせしました」


 私に弁当を渡してきたのは別の女性店員だった。


 先程の男もそうだが、この店員も若い。私と同じ歳くらいか、それ以上か。となれば、白雪が一番年齢が高い可能性もあるのではないか。


 白雪は二十歳を超えてはいるが、性格も合わさって子供らしさがある。しかし、本人は気にしているのか、私の前で姉ぶっているのも大人として振る舞いたいからだ。


 私は弁当の入った袋を受け取って、店から外に出ることにした。ただ、外で袋の中を確かめた時に私は忘れ物があることに気づいた。


「お茶は買う必要があったか」


 家に作り置きのお茶はあるが、たまには違うお茶も飲みたかった。店の中には飲み物も売っていたようだが、買い忘れてしまった。


 仕方がない。帰る途中にある自販機で飲み物を買って帰ることにしよう。


 そんなことを考え、歩き出した時。


「待って、椿綺つばき!」


 私は背後から腕を掴まれた。


「白雪。何の用だ?」


 白雪の手を振り払って、私は顔を向けた。


「どうして、声をかけてくれなかったの?」


「仕事をしていたからだ」


 私が白雪に声をかける為には、呼び出す必要があった。そんなことで白雪と店の営業を邪魔をするような行動は誰からも望まれないだろう。


「……店長さんと何を話したの?」


「あの男が店長なのか」


 随分と若く見えたが。あれが店長か。それなりに頼れる人間には見えたが、一つ不安な要素を感じてしまった。善人は必ずと言っていいほど、痛い目を見る。


 あの男も甘い対応ばかりしていたら、いずれ最悪な形で返ってくるだろう。この世界は理不尽で、すべての出来事が理想だけでは乗り越えられないのだから。


「店長さんに聞いたら、世間話だって言われた」


「なら、世間話をしただけだ」


 白雪が納得していない顔をする。


 あの程度なら世間話と言っていい。多少、個人的な会話もあったが、それも白雪の為だ。ここで話すようなことではなかった。


「白雪。仕事はどうした?」


 私は話題を変えた。適当な話題というわけでもなく、単純な疑問があったからだ。よく見れば白雪は店の制服のようなものを着ており、仕事が終わったわけではないようだ。


「休憩時間だよ」


「そうか。なら、ちゃんと休め」


 立ち去ろうとするが、白雪が回り込んできた。


「椿綺。これ」


 白雪の手にはお茶のペットボトルが握られていた。ずっと、白雪が体の後ろに手を回していたのはこれを隠していたからなのか。


「くれるのか?」


「うん。たまには違うお茶が飲みたいかと思って」


 私はペットボトルを受け取って袋に入れた。


「それじゃあ、また後でね!」


 白雪は店の方に戻って行った。


 余計な手間が省けたが、私がお茶を買い忘れたことに白雪は気づいたのだろうか。白雪の成長とは関係なく、その白雪の気遣いが私は少しだけ嬉しかった。


 ただ、これも妹として姉に向けるような一般的な感情なのだろう。私が個人的に抱くとは感情は、まったく別物だと考えていた。




「……」


 家に帰り、私はリビングの椅子に座っていた。テーブルの上には食べかけの弁当の容器が置かれており、今はペットボトルを口にしていた。


 テレビはついているが、音は雑音のように鼓膜を抜けていくようだ。先程まで感じていた感情が急激に冷めていくことを感じる。


 いつも白雪が座っている席に目を向けた。


 以前は学校がある時間以外は白雪と一緒に食事をしていた。それは私と白雪が家族らしくいられる大切な時間であったはずだ。


「これから、もっと減るのか」


 昼だけではない。夕方も白雪の帰りが遅くなれば一緒に食事をすることが出来ない。食事の時間を遅らせることも考えたが、それでは白雪が気にしてしまう。


「これにも慣れるしかないか」


 私は。寂しさを感じていたのか。


 簡単には認められないが、目を背けることも出来ない。心とは不便で、無くせるもなら消してしまいたかった。


 私が人間である必要なんてない。


 もっと機械的であれば、悩まず、苦しまず、もっと賢く生きられるはずだ。感情的になるのは情けなくて、欲望に従うのはありえない。


 いくら理想を描いても、私には手が届かない。


 まだ私が子供だからなのか。


 一人で考えても答えは出なかった。

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