第3話。椿綺の日々
「靴はあるな」
私が学校から家に帰ると、玄関には
廊下からリビングに行き、扉を開けた。
「
「ああ。ただいま」
白雪は椅子に座っていた。テーブルの上に顔を伏せており、見るからに疲れている様子だった。
「仕事は大変だったか?」
私はテーブルを挟んで、白雪と向かい合うように座った。すると、白雪が顔を上げ、私と目を合わせた。
「死んだ魚の目をしているな」
「そんな目はしてない」
白雪が体を起こして、伸びをする。
「椿綺。お姉ちゃん、頑張ったよ」
「そうか」
「ちゃんと褒めてよ」
「……よくやったな」
頑張るだけなら誰でも出来る。だが、白雪の場合は人一倍頑張る必要があった。それでようやく人並みか、少し良くなるくらいだろう。
初日はかなり問題を起こしたそうだ。元々、白雪が働くことを止めていたのには、そういった問題を起こすとわかっていたからだ。
白雪は一つの物事に集中が出来ない。
そう言えば聞こえはいいが、実際はもっと酷いものだ。私は慣れてしまっているが、白雪の突発的な行動に驚く人間は多くいる。
「で、今日はどうだったんだ?」
白雪が働き始めてから一週間。私は念の為に白雪が仕事に行った日には、何があったのか細かく聞くようにしていた。
「報告することは何もありません!」
私は白雪の脚を蹴った。
「そのやり取りが無駄だ」
「だって、本当に何も無かったから……」
初日から毎回報告を受けているが、だいたい問題が起きていた。それは白雪を原因とするモノが大半を占めており、根本的な解決は難しかった。
「なら、順調ということか?」
白雪が目を逸らした。
「白雪。私はお前を叱ったりしない」
私の言葉で白雪を叱ったとしても、それほど伝わらないだろう。悪い意味でも、白雪は私に慣れ過ぎてしまっている。
「ちょっと、ミスした」
白雪が気まずそうな顔をしながら呟いた。
「何をやらかした?」
私が質問をすると、白雪はもじもじしていた。
「マニュアルを燃やしたり、かな」
「ふ……」
「あ、椿綺、笑ったでしょ!」
それをちょっとのミスと言える白雪が凄いと思えた。思わず、鼻で笑ってしまったが、決して白雪を馬鹿にしたわけではない。
確かに、前はもっと酷いものもあった。それらに比べたら全然マシな部類ではあったが。こう何度も失敗をしていれば、気になることも出てくる。
「店長からは何も言われないか?」
白雪を仕事に誘ったのは店長だ。白雪が問題を起こしたとしても、ある程度は大目に見てもらえるだろう。
「店長さんは褒めてくれたよ」
何故、それほどまでに白雪に甘いのか。
「ふむ……」
やはり、一度。直接店に足を運んで、その人間を見ておく必要がありそうだ。会話ですべてを見抜くことは出来なくとも、どんな人間なのかは知ることは出来る。
もし、その人間に下心があった場合にはすぐにでも白雪には仕事を辞めさせる。私が強く言えば、白雪も嫌とは言わないだろう。
「椿綺。何か難しい顔してる」
「私の顔なら、いつも通りだ」
もう少し詳しい話をしたいところだったが、そろそろ夕飯を作らなくてはならない。私は椅子から立ち上がり、キッチンの方に向かう。
「ねえ、椿綺はバイトしないの?」
「ああ。バイトはしない」
それに、私は母親から白雪の面倒を見るという名目でお金を受け取っていた。勉強に使う時間を削る訳にもいかず、どちみち私にバイトは出来なかった。
「椿綺はずっと勉強してるよね」
「私は学生だ。勉強するのは当然だ」
「そんなに勉強して、何か将来の夢でもあるの?」
時々、白雪は余計な質問をしてくる。それを白雪に教えたところで、何かが変わるわけではない。
「私に夢はない」
その時、私は白雪に嘘をついた。
将来の夢とも言えない目標なら、それなりにあったからだ。私が勉強を続けているのも定めた目標に向かって歩いているからだった。
ただ、それを人に語った時、道から外れるような感覚があった。他の人間が立派な夢を語る中で自分だけが、必死に人並みの目標に向かっているなんて、平凡でつまらなく見えるだろう。
だから、私は白雪に何も語らなかった。
夕飯を食べた終わった後、洗い物をしていると白雪が隣に並んできた。肩が当たるくらい近いが、少しだけ間が空いていた。
「手伝うよ」
「じゃあ、皿を拭いてくれ」
基本的、白雪に料理は手伝わせないが、簡単な作業なら任せる時もある。その方が白雪の不満を解消出来る。
「椿綺。ありがとう」
「どうした。急に」
「お仕事。大変だけど、楽しいよ」
仕事が楽しい。その言葉を聞いて、私は少しだけ残念に思えた。白雪は見た目だけではなく、考え方も母親に似始めたようだ。
私達の母親は生粋の仕事人間だ。私達が生まれる前は仕事ばかりしていたが、父親と出逢ってからは母親も変わったそうだ。
「やっぱり、白雪の方が母さんに似てるな」
「椿綺の方が似てるってば」
何度目かの言い合い。
結局、いつも答えが決まらないのは、お互いに母親に似ているからなのだろう。どっちの方がより似ているかは、考えてもわからなかった。
「……白雪は母親と連絡を取ってるのか?」
「ううん。連絡はしてない」
白雪も子供というわけではない。母親が家にいなくとも、寂しがったり、わがままを言ったりはしなかった。
それは私も同じで、母親がいようがいまいが関係はなかった。ただ、やはり私は母親から白雪を押し付けられていると感じる時もあった。
私は母親が実家に帰っている理由を知っている。
認めているわけではないが、母親の行動が無意味だとも考えていない。むしろ、事情も聞かずに納得している白雪に驚きすらする。
「なら、父親は?」
「毎日メッセージを送ってくるよ」
「無視してたら、そのうち来なくなる」
「そんなのお父さんが可哀想だよ」
私達の父親は娘に嫌われる典型的なタイプだ。自分の娘を愛してはいるのだろうけど、溺愛し過ぎて嫌われる。
私も昔はそれなりに我慢をしたが、先に我慢の限界が来たのは白雪の方だった。白雪を怒らせた父親の腕に歯型が付いていた光景は今でも忘れられない。
今の歳になって、私達が露骨に父親を避けるということはなくなった。白雪も昔よりは我慢が出来るようになり、軽く抱きしめるぐらいなら許されるだろう。
「あと、椿綺が連絡無視するのが悲しいって。お父さん言ってた」
「それは向こうが悪い。毎日毎日、元気にしてるか?なんて送られても、他に答えようがないだろ」
「元気じゃない。なんて送ったら、お父さん飛んで帰ってきそうだもんね」
白雪は父親に甘えているが、私はもっと早くから父親には甘えなくなった。そもそも自分が両親に甘えたという記憶は残っていなかった。
だから、私の父親に対する扱いが雑になるのは仕方がなかった。家族であっても、他人の父親を見ている気分になる。よく出来た父親というのも、不憫なものだと感じてしまう。
「これで全部だな」
すべての皿を洗い終わった。やはり二人でやる必要はなかったとは思うが、白雪が満足そうだから何も言う必要はないだろう。
「椿綺、えらいえらい」
白雪が私の頭を撫でてきた。
「白雪。私を子供扱いするな」
ただ、すぐに白雪の手を引き離した。
「今度はお姉ちゃんも撫でて」
白雪が頭を下げた。私は両腕を上げて、白雪の髪をぐしゃぐしゃにした。それで白雪が嫌がって逃げたが、私は満足した。
「椿綺のいじわる」
「だったら、私に頼むな」
他人を褒めるなんて、私には難しい。
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