第2話。椿綺の運動
学校には様々な考え持った人間が集まる。
すべての人間が正しい考えを持つとは限らず、間違った考えを持った人間同士が集まれば。彼らにとってはソレが正しい考え方だと思い込むのだろう。
机の上に置かれた花瓶。それを見たのは何度目だったが。隣の机に置かれた花瓶には、今日も誰かの用意した花が無垢なまま咲いていた。
「……」
午前中の授業が始まってから少し経った頃。
教室を包んでいた静寂を切り裂くように、扉が開け放たれた。教室に入ってきた女子生徒は花瓶の置かれた席まで真っ直ぐ歩いてくると、花瓶をどけてからあらためて席に座った。
しかし、すぐに彼女が立ち上がった。
何が起きたのかと思えば、椅子の上に画鋲が置かれていた。どうやら彼女は画鋲の上に座ってしまったようだ。
昔、そんないたずらが流行った時。私は座る度に椅子を確かめるようにした。結局は一度も画鋲が置かれることはなかったが、普通に考えれば危険性はわかりそうなものだ。
周りからわずかに聞こえる笑い声。それだけで誰がやったかわかりそうなものだが、彼女は何事も無かったかのように画鋲をどけて座り直した。
この教室でいじめのようなことが行われている。
その事実を知ったところで、私は何もしない。教師の何となく察してはいるけど、関わりたくないという雰囲気にも気づいている。
誰も味方のいない場所で下手な正義感を振りかざしても彼女は助けられない。心の底から彼女を救うという覚悟を持った人間は教室にはいなかった。
もし、彼女がこの世界から逃げ出す選択肢を選んだとしたら。私達は言い訳をするのだろう。いじめがあったなんて、誰も知らなかったと。
それが普通の人間だろう。
「……」
授業中にケータイに着信があった。
振動も無く、音も鳴っていないが、画面を見れば気づける。姉である
「
授業が終わったタイミングで教師に声をかけられた。先程この教室で授業を行っていた教師とは別で、私のクラスの担任だった。
「何か用か?」
私は誰に対しても同じ態度をとる。それが気に入らないと顔に出す人間もいるが、だったら私と関わらなければいい。
「さっき職員室にお前のお姉さんから電話があった。薬が見つからないとか、言ってたが……」
「そうか」
また薬を無くしたのか。白雪が飲む薬は今朝確認をしたはずだ。家の中を探せば必ず見つかるはずだ
「確か、今はお姉さんと二人暮しをしているんだろ?色々と大変だと思うし、家庭の事情は理解はしている」
正確には二人暮しではないが。父親が出張に行き、母親が実家に帰っているというだけ。以前、学校で三者面談が出来ない理由として、家の話をしてしまった。
「だから、他の先生にお願いして、鳳仙を家まで送るように頼んである。もちろん、すぐに学校に戻ってもらうことにはなるが」
私にとっては余計なお世話だ。しかし、わざわざ助けを求めてきた白雪を無視するほど、私は家族というものを割り切れなかった。仕方なく、私は教師に従って、一度家に帰ることにした。
それから数日後。
休んだ授業の内容を知ることになった。
「体力テストか」
数日前、体育の授業を休んだ。
その結果、授業を休んだ生徒の為にあらためて放課後に体力テストが行われることになった。
私は体操服に着替えて、運動場で準備運動をしていた。教師からは少し待てと言われたが、何を待てばいいのか。
「ちょうど二人だ。一緒にやるといい」
二人。他にもサボった生徒がいたのかと、教師の隣に立っている人物に顔を向けた。それは私にも見覚えのあった女子生徒だ。
あのクラスでいじめを受けている人間。
「鳳仙さん」
彼女は気まずそうな顔をしている。
彼女なりに色々と考えているようだが、ここで私が彼女を無視をして一人で測定をするのは不可能だ。
「私のことは
「なら、私のことも
「わかった」
体力テストを続けながら、話を続ける。
「椿綺さんは私の隣の席ですよね」
「ああ、そうだな」
「いつも騒がしくてごめんなさい」
まさか、来夏の方からその話をふってくるとは思ってもいなかった。来夏が気まずそうにしていたのは、私に悪いと思っていたからか。
「お尻は大丈夫か?」
私は椅子に画鋲が置かれていた話を出した。
体育の教師なら遠く離れたところで、部活をやっている生徒の方に行っている。私達に任せっきりはどうなのかと思うが、男の教師に見られ続けるよりはいい。
「あーこの前の……あれなら踏んでないですよ」
「踏んでない?」
「ただのフリです。画鋲には最初から気づいていました」
どうやら、来夏は悪意のすべてを受け入れているわけではないようだ。
「始まりは、いつからだ?」
「小学生の頃ですよ。あの人達とはずっと同じ学校なので、そこから続いている感じです」
「……それまでに一度でも来夏を助けようとする人間はいなかったのか?」
「いましたよ。余計に悪化しただけですけど」
やはり、軽い気持ちで彼女に手を差し伸べるのはよくないようだ。
「来夏は嫌じゃないのか?」
「うーん、別にどうでもいいって感じです」
「そうか。なら、私が気を使う必要もないな」
「椿綺さん、最初から気なんて使ってないですよね」
今の私に白雪以外の人間を気にするほどの余裕がなかっただけだ。それでも、やはり。隣で色々起きていれば、気にもなってしまう。
「いじめの原因は?」
「どんな原因だと思いますか?」
「そうだな」
来夏の見た目。特別、目立つようなところはなかった。容姿をいじられてという可能性は低いだろう。なら、家庭の事情だったり、本人の行動が招いた結果。考えれば考えるほど、わからなくなる。
「原因までは分からないが……今の来夏は自ら望んでいじめを受けているのか?」
来夏の動きが止まった。
「椿綺さん。凄いですね」
「当たりか?」
「ちょっとだけ、当たってますよ」
来夏が自らいじめを受け入れる理由までは思いつかなかった。ただ、なんとなく、感覚的なもので来夏は私と似ている気がした。
「椿綺さん。よかったら、私とお友達になりませんか?」
「友達というのは、どういう状態のことだ?」
「ケータイでやりとりをするくらいです……学校で私に話しかけると、めんどうなことになりますから」
来夏は私に助けを求めているわけじゃない。
「私に迷惑をかけるな。それが条件だ」
「はい。椿綺さんには迷惑をかけません」
来夏と連絡先を交換することにした。念の為にケータイを持ってきておいたが、役に立つとは思わなかった。
「……椿綺さんは私のこといじめたくなりませんか?」
「どういう理屈でそうなる」
「だって、私は弱虫で……こんな性格だからです……」
「くだらないな。己の愉悦の為に他者を害するような趣味は私にはない。それに来夏をいたぶることは、メリットよりデメリットの方が大きい」
私は自身が臆病者だと理解している。
例え、メリットの方が上回ったとしても、わずかでもデメリットが存在するなら。それを選ぶことは避ける。
「お前ら、いつまでやってるんだ?」
いつの間にか戻って来た教師が会話に割り込んできた。だいたい記録は取り終わっているし、不正もしていない。
後は二人で同時にやる分を終わらせて、体力テストはすべて終わった。それなりに疲れたが、普段から運動をしていないせいだろう。
「よし。帰っていいぞ」
ようやく私達は解放された。私は服を着替える為に教室に戻ろうとしたが、来夏は立ち止まっていた。
「そこまでやる必要があるのか?」
「はい。私は椿綺さんと良き友達でいたいですから」
「そうか。まあ、来夏の自由だが」
私と来夏の関係を人に知られてはいけない。
きっと、そうなった時に困るのは私ではなく、来夏の方なのだろう。余計な気を使ったところで、来夏は苦しめるだけだ。
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