背徳症状-椿綺の果実-

アトナナクマ

第1話。椿綺の姉

「酷い顔をしているな」


 洗面台のガラスに映る自分の顔を見て、そんな言葉を呟いた。


 日頃の疲労からか、顔色はよくない。笑顔のひとつでもあれば多少マシにも見えるだろうが、無愛想な顔は生まれつきだった。


 私が洗面所から外に出ると、家の中から響くような物音が聞こえてきた。廊下を進み、途中にある扉を開けることにした。


 扉の先にあった光景。一通りの家具が揃っている部屋だ。そこに個性を示すような物。ぬいぐるみなどが置かれており、女の子らしい部屋。というのがひと目でわかる。


白雪しらゆき。何をしている?」


 そんな部屋の中で、姉である白雪がベッドの下に上半身を突っ込み、何かを必死に探していた。


「ケータイが見つからないの」


「白雪のケータイなら、ベッドの上にある」


 ゆっくりと白雪が体を引いて、顔を見せる。


「知ってた」


 白雪が無邪気な笑顔を見せる。そんな白雪を目にして私は反射的に顔を逸らしてしまったが、白雪のことが嫌いというわけではない。


 私は白雪の部屋から出て、リビングに向かうことにした。今は白雪に構うよりも先にやらないといけないことがあった。


 リビング。この家で一番大きな部屋とキッチンが一緒になった空間だ。マンション等ではよくある構造だろうか。この空間を示す、何か正しい呼び方があっと思うが。


椿綺つばき!」


 白雪が私の背中に飛び込んできた。


「っ、どうした?」


「朝ごはん作るの手伝うよ!」


「そうか。なら、まずは椅子に座っててくれ」


「わかった!」


 白雪が近くの椅子に座ったことを確認すると、私はキッチンの方に向かった。冷蔵庫を開けて食材の残りを確認するが、すぐに手を伸ばしてソレを取り出した。


「冷えてるな」


 冷蔵庫の中にテレビのリモコンが入っていた。


 試しにスイッチを押してみると、リビングのテレビがついた。どうやら、リモコンは無事のようだ。


 いつも朝食は手間をかけず、軽い物を作る。随分と手馴れたものだと自分で関心しながらも、作った料理をテーブルの上に置いた。


「いただきます」


 私と白雪の二人だけの食事。父親は去年から出張で家には帰って来ない。母親は長い間実家に帰っており、しばらく顔も合わせていなかった。


「椿綺。お姉ちゃん、いいこと考えたの」


 食事の途中で白雪が会話を求めてきた。


「なんだ?」


「椿綺が学校に行ってる間、働こうと思います」


「また、その話か。何度も駄目だと……」


 目の前にチラシのような物を置かれた。白雪が隠し持っていたのか、それを受け取ると、近所の弁当屋が配っているチラシだとわかった。


「よりにもよってこんな仕事……」


 チラシを手で破ろうとすると、白雪が奪い取った。


「ここの店長さんからね。白雪さん、ウチで働いてみないかって、言われたの」


 ここの弁当屋は白雪がよく通っているそうだ。もし、そこで世間話のひとつでもあれば、白雪が働いていないことは簡単に判明するだろう。


「……白雪の体が目当てか」


「どうして、そんなひねくれたこと言うの?」


「他人なんて信用するものじゃない」


「信用しないと。信頼してもらえないよ?」


 だから、それが不必要だと言っている。


「金が欲しいのなら、父親に頼めばいい。可愛い可愛い娘の頼みなら、断ったりしないだろう」


「そんなの、生きてるとは言えないよ」


「……生き方を自由に選べるほど、白雪に選択肢は残されていないはずだ」


 白雪を自立させる為に必要な手助けを私なりにするつもりだった。しかし、目に見えて失敗することをやらせるのは、愚かなことではないのか。


「椿綺。お姉ちゃん、泣いていい?」


「悲しくもないのに泣く必要はないだろ」


「だって、椿綺はお姉ちゃん何もやらせてくれない。外に出ても、徒歩五分以内の場所しか行けなくて。退屈なの」


「そうか……」


 白雪の食器に目を向けたが、白雪はまだ一口も食べていない。その姿を見て、やはり許可を出すわけにはいかないと考えてしまう。


「ねえ、椿綺」


「口よりも手を動かしたらどうだ?」


「今は椿綺と話してる」


「だったら、会話は終わりだ」


 私は白雪の食器を指さした。


「だから、お姉ちゃんは椿綺と……」


「話があるなら食事の後にしてくれ」


「私の話を聞いてよ!」


 大声を出されても、私は食事の手を止めない。


「怒鳴らなくても聞こえてる」


「全然!聞いてない!」


 白雪の感情任せに動かした手が、テーブルの上に置かれていたコップに当たる。コップはテーブルから離れ、地面に落ちて砕け散った。


 その瞬間、白雪は子供が叱られる前のような顔をする。白雪を怯えさせるほど、普段から怒っているわけでもないが、私の表情からは優しさを感じないだろう。


「あの……椿綺。お姉ちゃんは……」


「危ないから座っててくれ」


 私は椅子から離れて、白雪の足元に散ったガラスを拾い集める。白雪は足を上げて、ガラスを踏まないようにしていた。


「椿綺。やっぱり、さっきの話は聞かなかったことにして」


 コップを割って、白雪はあらためて実感をしたのだろう。白雪は感情的になると周りが見えなくなり、複数の物事に対応が出来ない。かといって一つの物事に長時間集中出来るわけでもなく、白雪は落ち着きがない子だと昔から言われていた。


 私は白雪のことを家族して受け入れていた。自分には不満がほとんど無かったが、どうしようもない現実を受け入れられていないのは白雪の方だった。


「白雪は働きたいのか?」


「うん。働きたい」


「私は白雪の家族だ。白雪がどれだけ失敗をしても私は責めたりはしない。しかし、白雪が仕事で失敗をすれば他の人間にも迷惑をかけることになる」


 そうなった時、白雪は他人から責められるだろう。白雪に向けられていた善意はやがて悪意に成り変わり、白雪の心を蝕む劇薬となる。


「でも、それだと、お姉ちゃん何も出来ないよ……」


「白雪は何もしないでくれ」


 私はただ、冷たく言葉を口にした。


「……」


 白雪はうつむいたまま動かなくなった。


 言い過ぎたとわかってはいるが、私の言葉なんて世の中に蔓延る悪意に比べれば生ぬるいものだろう。


 私の言葉でいちいち傷つくような人間が、社会に出て耐えられるものか。これは白雪を試す為でもあったが、どうやら期待外れのようだ。


 さっさと、ガラスの破片を片付けるとしよう。


「椿綺」


 ガラスの破片を捨てた時。


 名前を呼ばれて、私は白雪の顔を見た。


「お姉ちゃんは変わりたい」


 白雪はハッキリと自らの意志を示した。


「白雪……」


 いつだって、白雪は前に向かって歩いている。


 それなのに白雪の足を引っ張っているのは私の方だ。白雪に傷ついてほしくないと願うのは、私のわがままなのだろう。


 だが、それでいい。白雪を守れるなら、嫌われたって構わない。私が白雪の妹として生まれた時から、それは私に与えられた使命だった。


 しかし、それでは何も変わらない。


「白雪。私は白雪の決めたことを認めない」


「知ってる」


「だが、私の決めたことなら別だ」


 これ以上、白雪を引き止めることは難しいと私は判断した。今回は本気なのか、出来るところまでやらせて、失敗して、後悔させるしかない。


 そうすれば、白雪も私の言葉が正しかったと理解してくれるだろう。もう二度と、余計なことを考えずに生きてくれるはずだ。


「それって、つまり……」


「ああ。その仕事をやっても構わない」


 白雪が立ち上がって、私に抱きついてきた。


「椿綺!ありがとう!」


「やめろ。私に触るな」


 すぐに白雪を突き放したのは、私が他人から触れられることに抵抗があったからだ。それは家族である白雪も同じで、理由が無ければ他人との接触は避けたかった。


「椿綺。お姉ちゃん、頑張るから」


「ああ。程々に頼む」


 私は白雪に期待していない。


 これから先、白雪が何度失敗したとしても、私は気にしないだろう。初めから期待しなければ裏切れた時に動揺せずに済むはずだ。


 私は何か、間違っているだろうか。

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