恐怖体験

恐怖体験

「あれ、あの人」

 高校からの下校時、隣で歩いている好きな人が、ふと足を止めた。雰囲気の良かった会話が中断されてしまい、少々不機嫌になりながらも、私は気になっている人の視線を辿る。

 いつも乗り降りするバス停に、マスクをした長身の女性が立っていた。身長は私達より一回り大きくて、首を極限まで上げないと、顔はハッキリ見えないだろう。

 何だか私は気味が悪くて、好きな人の腕を少し引っ張って、バス停から一緒に遠ざかろうと手を伸ばした。だけど、私の手は好きな人の腕を掴む事はなく、空を切った。気になっている人は、私が止める声も虚しく、長身の女性に真っ直ぐ向かっていく。

 私は、好きな人の行動を無理矢理止めようとした。

 危ないよ、知らない人には無闇矢鱈に声をかけるもんじゃないよ。もしかして、その人は知り合いなの? でも、私と一緒に帰ってるのに知り合いに話しかけるなんて……。

 他者から見たら器が狭いと言われるような発言が、次から次へと脳内を駆け巡る。私は好きな人に全てそれを投げかけようとしたが、出来なかった。

 長身の女性が、勢いよく首をこちらに向けた。その拍子に、マスクがハラリと落ちる。

 女性の口が、耳まで裂けていた。

 棒立ちする私に、昨日クラスメイト達がこぞって噂していた話が、鮮やかに蘇る。

『ねぇねぇ、この付近のバス停で、口裂け女が出るって知ってる?』

『知ってるよ。確か、私達の下校時間帯に現れるんだよね。どうせ嘘だろうけど』

『それがね、私の友達が見たらしいの! マスクとって、耳まで裂けた口晒したんだって! でも、私綺麗?って言われる前に逃げたからセーフ!』

『いや、その友達も嘘ついてるでしょ』

『ほんとだって〜! 伝承通りに、あと一歩で口を耳まで裂けられるところだったんだよ!』

私も、子供騙しの嘘だと思っていた。今目の前で、ホンモノと遭遇するまでは。

 女性は弓形に弧を描いた目元で、好きな人の姿を捉えた。そして、少し離れた私でも喉元が見えるくらい口をガバリと開ける。

 ああ、言うんだ。

 私、綺麗?って、口裂け女が言うんだ。

 血濡れたように真っ赤な口を動かして、身長で覆い被さるように見下ろして……。

 私はそこまで考えて、腹の底が急激に冷えた。

 踵を返して、地を蹴る。起こりうる事象から、私は全力で目を逸らした。好きな人を置いていく罪悪感がないと言ったら嘘になる。

 けれど、耳まで口が裂けるのはごめんだ。

 私は脱兎の如く、その場から離れたのだった。


 翌日、好きな人は普通に学校に登校していた。耳まで口は避けていなく、いつも通りの様子だった。私は驚いて、声を掛けた。若干の後ろめたさを抱えながら。

「あの、昨日大丈夫だったの?」

「何が?」

「だって、長身の女性……っていうか、口裂け女が……」

「ああ! あの人ね! 実はさ……」

 好きな人が嬉々として、スマホの画面を掲げる。見ると、昨日の長身の女性が、天井に吊るされている画像が映し出されている。

 また、長身の女性は一人だけではない。何人も、何十人も、天井から生えているかのように、首に縄を巻き付けて吊るされていた。

 眼球が上を向き、悲痛な顔のまま留めた女性達は、もう生きていない事が容易に読み取れた。

 目を丸くする私に、好きな人は捲し立てるように言葉を並べる。

「背が高い女性が、吊るされている姿って見てて興奮するんだよね! 見かけたら、ついつい吊るしちゃうんだ! 例え、相手が口裂け女でも!」

 輝くような笑顔を、私に向けられた。

 冷や汗が、頬に一つ伝う。それが合図かのように、私は好きな人に背を向けると、そのまま走って逃げた。


……ああ、良かった。


 私、背が低くて、良かった。

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