彼に用意したマウスは、わたしのものである。

 ここまで来たら、禁止されている私物の持ち込みなど軽微なアクシデントだ。わたしは彼にパソコンのスキルを尋ねる。操作に関しては問題ないようだ。プログラミングも、学校で習った程度はなんとなく理解はしているという。まだ緊張しているのか、Tシャツから手が離れない。


「では、まずは簡単なアルゴリズムを作ってみましょう」


 わたしは用意したプリントを渡す。パソコン机の椅子に座った彼がそれを受け取ると、パーテーションで誰にも見られていないことを最大限に利用して、わたしは彼の背中を包み込むような姿勢になり、彼のプリントに指示棒がわりの自分のボールペンを突きつける。


「もし、このスイッチがONになったら、ランプが赤く点灯する。スイッチがOFFの時はランプは点灯しない。このアルゴリズム考えてみましょう」

「はい」


 問題文をわざとらしく、ゆっくりとボールペンでなぞる。時折、わたしの髪が流れて彼の肩に触れるのを楽しみながら、「大丈夫?」と、どうでもいいタイミングで彼に確認しながら進める。彼はその度に「はい」と蚊の鳴くような声で返事をした。


 わたしは斜め上から彼の顔を見ると、マスクはしているが、彼の顔のところどころに薄い毛が生えている。とても可愛らしいと思った。その細く柔らかそうな毛並みをなぞってみたい気持ちを必死で抑えながら、一度離れる。彼のどこかホッとしたような空気を感じて、少しだけ傷つくが、笑顔を崩さずに、彼の握っているマウスに手をのせる。


「まずは、ここをクリックしてからパーツを選んでみて」


 自分よりも小さく柔らかい彼の手は、わたしをひどく興奮させた。これまで生きてきた中で見たことのない、禁断の神秘を手に入れた気持ちになれたのである。

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