危機は一髪にて回避出来るか

芒来 仁

第1話

 髪は女の命である。……なんて言葉を聞いたことがある。

 そんなのは嘘だ。男にとっても命なんだよ。なんて反論したくなる。

 そして、そんな一般論は取っ払っても、俺にとってはまさに「髪は命」なのだ。

 危機一髪。鼻先をヒュン、と人の頭ほどの岩が過り、同時に髪の毛が一本はらり、と抜け落ちた。

 周囲の人間は俺のことを幸運体質だと言う。数々の事故に巻き込まれながらも危機一髪ですべてを回避し、傷ひとつなく生還しているんだから、とか。

 けれどそれは幸運というよりは「御加護」なのだ。

 どういういきさつなのかは分からないが、俺はわが身に危険が及ぶとそれを「紙一重で」かわす能力がある。

 しかし、そのために供物として召し上げられるのは「俺の頭髪一本」。恐らくそういうことなのだ。

 たかが一本と笑うなかれ。「供物」である以上、ひとたび召し上げられた頭髪は改めて下賜されることはない。そして。

 俺は、そういう事故に滅多矢鱈に遭遇するのだ。

 道を歩いていれば、荒くれ者同士の喧嘩に遭遇し巻き込まれ、歩道橋から転落しそうになる。

 道路脇を歩いていれば、道路を走る車のタイヤが外れて俺に飛んでくる。

 階段を上っていれば上からあらゆるものが転げ落ちてくる。段ボール箱、ベビーカー、あるいは人間。

 俺にこの能力を与えた何者かは、俺に回避能力を与えたうえで不幸をぶつけまくって楽しんでいるんじゃないだろうか? それが神様だとしたら、よほどの荒神じゃねえか。そんな疑いすら思い浮かべる状況だ。

 こんな人間が幸運体質なものか。まるっきりの不幸体質じゃないか。

 十万本と言われる人間の頭髪。それはいつの間にか半分を切り、まるで武士の月代のようなヘアースタイルになっている。原因の何割かは供物だが、残りはこの体質そのものへのストレス、そして紙一重で感じる恐怖によるストレスなんだろう。


 周囲へはホルモンバランスの異常による脱毛症ということにして伝えているが、この頭で接客業もあるまい。そう思い内勤の仕事を選んでいたのだが、裏方として国内各処の会社拠点を飛び回る生活になった。

 それは別に構わない。構わないのだが……。

 移動のために高速道路を走らせていた車が玉突き事故に巻き込まれ、道路の外――崖に放り出されてしまったのだ。


 紙一重の能力のおかげか、即座に転落してさようなら、とはいかなかった。しかしまさに紙一重、もう一押しで谷底に転落する手前で辛うじて静止しているのが現状だ。

 少しでもバランスが狂えば谷底行き。そんな恐怖を堪えながら、そっとシートベルトを外して車からの脱出を試みる。先ほどからの落石を考えれば生身も危険だが、車と道連れに落下するのも洒落にならない。

 幸い破れ窓から這い出し、車のボンネットに昇ることが出来た。ゆらゆら揺れる車体の上で平均台のように歩みを進める。その間にも頭上を、鼻先を、肩口を、こめかみを、いくつもの大小の瓦礫が跳ねて過っていく。

 気合を入れなおし、ぽん、と崖に向かって車を飛び降りる。何とか無事着地した俺の背後で、俺を乗せていた車は「紙一重で」俺を道連れにすることなく谷底へ転げ落ちていった。

 さて、あとはここからどうやって昇っていくか……と視線を上方に向け、絶望した。

 数十メートルに及ぶ瓦礫の山。少し触るだけで崩れ落ちそうだ。試しに目の前の岩に手を掛けると……バラバラと数十の瓦礫が降り注ぎ、俺の体を掠めて行った。同時にサラサラと髪が解けるように抜けていく。

 しかし、こういう時こそ俺の能力の出番だ。すべてを「紙一重」でかわしてしまえば生還も可能のはずだ。よし、と気合を入れ直して足を踏み出そうと……。


 ……ちょっと待て。

 ……俺の髪、あとどれだけ残ってる?

 ぺたり、と己の頭を撫でる。全体をつるつると撫でる。

 後頭部、うなじのあたり。数本の髪があるのが確認できた。

 数回の危機を乗り越えれば生還可能か……と思った、その矢先。

 俺の視線の先、法面の上方。俺の車が飛び出してきた箇所から。

 俺と同じく先ほどの玉突き事故に巻き込まれた大型トレーラーがゆらりと揺れ、法面を転がり落ちてきた。土砂を突き崩し、大量の瓦礫をばら撒きながら。

 ……数本の髪の供物で足りるわけがない。

 俺に紙一重を与えた神様が哄笑する、そんな声が聞こえた気がした。

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