第2話 夜は夜で・・・
今日の私の仕事は、午前中は書類作成、午後はいつもの外来と、夜は杉本理事長の代わりに外来診察の担当となっていた。土曜日の夜まで通常外来を開いている医療機関、私はここ以外に聞いたことがない。うちの診療所、内科、小児科を標榜しているので、土曜日の夜は基本的に大人と子供が入り混じって、てんてこ舞いだ。
しかも季節は一月。A型インフルエンザが絶賛大流行中である。昼の外来もそうだが、夜の外来が恐ろしくて仕方がない。
予想通りにインフルエンザの洪水に耐え、何とか午後の診察を終わらせた。あとは夜の診察だ。気がかりなのは、「インフルエンザの数の暴力」に足をすくわれて、似たような重症疾患を見逃してしまわないか、という事だ。医療の世界で、同様のことはいくらでもある。インフルエンザ流行期に、高熱、頭痛を主訴に受診された化膿性髄膜炎の患者さん、嘔吐下痢症が流行しているときに、嘔吐を主訴に受診された腸閉塞の患者さんなどなど、枚挙にいとまがない。
「気ぃつけなあかんなぁ」と思いながら、診察室に向かった。
診察開始の15分前から受付開始となるが、数分おきに事務スタッフが、ドカッ、ドカッとカルテを積んでいく。積まれたカルテも重いが私の気持ちも重い。ただ、時間が来て、この患者さんをすべて診察し終わればゴールである。外来診療のいいところは、「ゴール」が必ずある、という事だ。ただし、その「ゴール」がいつなのかは分からないのだが。
診察開始の18時となり、心のゴングを鳴らして診察を開始した。予想通り、老若男女問わず、発熱の患者さんが続いていく。
インフルエンザ疑いの患者さんは、半ばルーティーンワークだ。
インフルエンザ抗原迅速キットは、発熱からの時間が短いと、インフルエンザにかかっていても「陰性」という結果が出ることが多い。ある程度信頼できる結果を得ようと思えば、発熱後、12時間は置きたいところである。
なので、患者さんの話を聞き、12時間以上たっていれば迅速検査を行なう。迅速検査が陰性でも、状況的に怪しければ、インフルエンザの可能性を捨てきれないので、その辺りはケースバイケースで対応する。12時間経っていなければ、日曜日の当直の先生に診てもらうよう患者さんに伝えて、抗ウイルス薬以外の対症療法薬を処方して経過を見る。
原則として上記のスタイルで患者さんを診ていった。時に高血圧や脂質異常症などの定期受診の方がお見えになるが、それはそれで普通に診察。あとは、全速力で山のように高く積もったカルテ、外来で待っておられるたくさんの患者さんを診察していった。
診察していると、一人、なんだか腑に落ちない患者さんがおられた。20代前半の女性。主訴は「本日午後からの40度の発熱」だそうだ。咳も鼻水も出ていないらしい。問診表を見ると「インフルエンザの検査希望」と書いてある。
患者さんを呼びこんで、少し話を聞いて身体診察。ずいぶんとぐったりされているのが引っかかる。先ほどの原則からは外れるが、患者さんが希望されているので、まずインフルエンザ抗原迅速検査を行なった。
結果が出るまでの間に、また全速力で患者さんを診ていく。そして、気になった患者さんの結果を見た。当然結果は「陰性」。しかし、先ほどの原則のように「明日来てね」ではまずいような感じがする。
「高田さん、診察室にお入りください」
と診察室に呼び込んだ。「インフルエンザの検査は陰性」と伝え、もう少し詳しく話を聞くことにした。
「高田さん。今日の午後から高熱、という事ですが、それまでの体調はどうでしたか?詳しく聞かせてもらっていいですか?」
「はい、一昨日くらいから、なんだか胃がムカムカしていて、近所のクリニックでこの薬(プロトンポンプインヒビターという種類の胃薬)をもらったんです。でも全然スッキリしなくて、昼過ぎから急に熱が出てきて、すごく体がだるくなったんです」
付き添っているお母様も心配そうだ。
「高田さん、今拝見していると、ずいぶんとしんどそうですね。血液検査をさせてもらっていいですか?結果が出るまで少し時間がかかるので、点滴室で点滴をしてもらおうと思います」
と伝え、点滴と、院内でできる緊急採血項目を行なうよう指示を出した。とはいえ所詮当院は診療所、大した検査はできない。緊急でできる項目は7項目くらいである。ただ、この患者さん、しっかり調べなければならない、と強く思ったのだった。
そしてまた、全力ダッシュは続く。先ほどの原則には沿いつつも、「見逃しはないか」と注意しながら進めていく。ようやく、カルテの増える速度が落ち着いてきて、カルテの山が減り始めた。時計をチラ見すると19:30。あと30分で受付終了だ。
と少し隙が出たところを見計らったかのように、高田さんの結果が出そろった。
「先生、結果が出ましたが…」
と看護師さんが結果を持ってきてくれた。その結果を見て愕然とした。
「何だこれ…」
検査結果では、肝臓の細胞のダメージの程度を示す項目であるGOT、GPTがともに>1000と振り切れていた。高齢の方で高熱+肝障害とくれば、「総胆管結石、急性胆管炎」だが、若い方である。
「急性肝炎だよな。血液検査をしていてよかったよ。すぐに転送先を探さなきゃ」
と考えながら、点滴中の高田さんのもとへ。
「高田さん、血液検査の結果が出ました。肝臓の数値が非常に高くなっています。病名としては『急性肝炎』だと思います。この結果なら、大きな病院でしっかり検査、治療をしてもらう必要があります。診察をしながら病院を探すことになるので、少し時間を頂きますが、大急ぎで対応しますね」
と説明した。髙田さん本人もお母様も目が点になっていた。「急性肝炎」とは思いもしなかったのだろう。ただ私の中ではすべての話はつながった。急性肝炎で心窩部不快感や吐き気、嘔吐が出るのは珍しくはない。2日前からの胃の調子の悪さも「急性肝炎」の症状だったのだ。ただ、これまで両手と両足の指の数くらいは「急性肝炎」の患者さんを診たことがあるが、こんなに高熱を出してぐったりしている人は見たことがない。
「インフルエンザの検査は陰性でした。検査のタイミングとしては早いので、また明日来てください」
なんてことを言っていたら、彼女は明日を待たずに亡くなっていたかもしれない。本当に危機一髪だ。
まだ山積みのカルテを抱え、患者さんを診察しながら、地域の急性期病院に転送の依頼を掛けた。最初に依頼した市立病院からは、消化器内科の先生から
「先生、それは危険な状態です。救命救急センターに依頼してください」
とお断り&アドバイスを頂いた。また患者さんの診察の合間に、今度は地域の「救命救急センター」に「重症急性肝炎の患者さん」として転院の依頼を掛けた。
「すいません。その患者さん、うちでは受け入れできません」
と断られてしまった。しょうがない。いつもお世話になっている近隣の急性期病院に総当たり戦をすることとなった。もちろん外来患者さんの診察もしながら、である。
ありがたいことに、この髙田さん以外、発熱を主訴に来られた患者さんで、先の原則を逸脱する必要のありそうな方はいなかった。迅速検査をした患者さんは24人、A型インフルエンザの患者さんは17人だっただろうか。「明日来てください」といった人も4,5人いたはずである。インフルエンザの患者さんは結構な数である。
夜の2時間の外来で診察した患者さんは37人。たぶんこの人たちには「命にかかわる誤診」はしていない自信があった。受付時刻が終了し、外来患者さんを全員診察し終えても、まだ髙田さんの転送先は見つからなかった。
その後も懸命に転送先を探し、ようやく少し離れたところにあるA病院が「すぐ来てください」と受け入れてくれた。
大急ぎで紹介状を作成。市の消防署に連絡し、患者さんの転送を依頼した。髙田さんの転送を終えたのは21時を少し過ぎたころだった。
転送を終え、後片付けをしている看護師さんに話しかけた。半ば独り言のように。
「いやぁ、高田さんを見落とさなくてよかったです。血液検査の結果を見たときには倒れそうになりましたよ。根拠はないですが、僕が気がつかなかったら、月曜日まで髙田さん、生きていたかどうかわからないように思います。いやぁ、危機一髪だなぁ。気がついて本当に良かった」
「先生、本当に良かったですね。髙田さん、元気になられるといいですね」
「たぶん元気になりますよ。まだ若いんだし」
という事で、無事に一日が終了した。
しかし、今日は朝から晩まで、ヒヤヒヤしっぱなしだった。私、確か地域の診療所で仕事をしているはずで、大きな病院の救急外来にいるわけではないはずなのだが…?何とか無事に乗り切れたけど、今日は一体全体、何て日なんだ!?
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