What A Day!(なんて日だ!)
川線・山線
第1話 「呼び出し」は突然に
「先生、今暇でしょ!すぐ外来に来て!」
医局にある電話の向こうから、外来看護師の奥山さんの声が聞こえた。緊迫した声は、ただならぬ事態を予感させた。
私の勤務している診療所は、昭和30年代に「医療機関のないこの地域に」という事で建てられた、50年以上の歴史がある診療所だ。設立当初は常勤医も定まらない不安定な運営だったようだが、先代の理事長である上野先生が常勤医となってから、地域の信頼を集める診療所となっていった。昭和50年代には入院ベッドを持つ「有床診療所」となった。診療所が一番輝いていたそのころは、私もかかりつけ患者の一人だった。
医学の進歩、医療機器の進歩は早く、今では「普通」の診療所のはずなのだが、ありがたいことに、地域の人たちには「何かあったら診療所へ」と思っておられる方がまだ多くおられる。
とてもありがたいことではあるが、「その期待を裏切らない」ことは大変なことである。
私の憧れであり、恩師でもあった上野先生が昨年亡くなり、今は、上野先生の1年後輩にあたる80代の東山先生、現理事長で60代の杉本先生、そして40代の私の3人で診療を行なっている。
今は二人の先生が外来診療をされている時間である。医局で少し調べ物をしていた私が外来に呼ばれる、という事はよほどのことである。
慌てて、外来に下りて行った。
「奥山さん。どうしました?」
「どうもこうもないよ。先生、私に走ってついてきて!後で話すから!」
というなり、訪問診療用のバッグを抱えて、奥山さんが診療所の裏から飛び出していった。
「何だ?何だ?」と思いながら、ダッシュで追いかける。奥山さんは、私が診療所にかかり始めた中学生のころにはすでに働いておられた看護師さんである。昨年定年で、今は嘱託として働いてくださっているが、どれだけ元気なんだろうか?こっちが必死である。
「先生、この裏道を走ったほうが速いのよ!車だと一方通行が多くてかえって時間がかかるのよ!」
と、いわゆる「路地」から「路地」へと走っていく。追いかけるのが大変だ。
1分ほど走っただろうか?奥山さんがあるお宅の玄関先で、声を掛けながらお宅に入る。
「岩屋さ~ん!診療所だよ~!入るね~!」
奥山さんに続いて玄関を入ったところで、まず驚いた。玄関とリビングを結ぶ廊下で70歳代と思しき男性が倒れていて、その奥に、奥さんだろうか、青い顔をしておろおろしている。
「あぁ…、先生…、お父さんが…」
「岩屋さん、岩屋さん、わかりますか?」
何も考えずとも体が動いている。条件反射みたいなものだ。急いで倒れている岩屋さんの肩を強く叩きながら声をかける。ピクリとも動かない。
「奥山さん。岩屋さんを仰向けにしよう!力を貸して!」
と、二人で倒れている岩屋さんを仰向けにする。呼吸も止まっているようだ。急いで心臓マッサージを始める。奥山さんが奥さんに尋ねていた。
「岩屋さん、救急車よんだ?」
「はい、さっき。『数分で来れる』って言ってた」
「そう。先生連れてきたからね」
奥山さんと奥さんが話をしている間、私は心臓マッサージを続けた。状況はよくわからないが岩屋さん、心肺停止状態だ。奥さんも、奥山さんもご年配だし、体力の続く限り、私が心臓マッサージを続けなければならない。
「先生、今、しゃべっていい?」
「はい、大丈夫ですよ」
と奥山さんが声をかけてきた。私は心臓マッサージをしながら答えた。
「この岩屋さん、上野先生が昔、お母さんを往診してたのよ。ついさっき診療所に電話があって、ご主人が『頭が痛い』といって突然倒れて、大いびきをかき始めたんだって。診療所からここに来るの、走ってくるのが一番早いんだ。だから先生を呼んだんだよ」
「なるほど。わかりました」
ようやく話が見えた。たぶん岩屋さん、クモ膜下出血だ。現時点で心肺停止だから、予後はとても厳しい。
「岩屋さんの奥さ~ん。ごめんね~。今お身体見せてもろたけど、厳しい話やけど心臓も止まりかけです。救急隊が来るまで、頑張って心臓マッサージ続けるから、救急隊の人が来たら、心臓マッサージ続けながら、大きな病院で診てもらおう!」
と奥さんに声をかけた。院内で、ストレッチャーに乗っている患者さんに、足台を置いて適切な高さで心臓マッサージをしても、1分もしたら腕がしびれてくる。しかもいまは患者さんは床の上、私も玄関先に膝をついた状態である。身体はきついけど、心臓マッサージは止められない。必死になって心臓マッサージを続けた。
ありがたいことにそれから2分ほどで、遠くに救急車の止まる音がした。このお宅、車が入ってこれない道に面しているのである。救急隊もストレッチャーを推してくるのが大変だろう。
「救急隊です。こちらが岩屋さんのお宅ですか?」
と救急隊がやってきた。心臓マッサージをしている私を見て
「先生、お疲れ様です。代わりましょう」
と救急隊員が代わってくれた。救急隊長は奥さんから話を聞いた後、「メディカル・コントロール」を受けるための電話をしながら、気管内挿管を行なった。
蘇生処置を継続しながら救急隊員は岩屋さんをストレッチャーで、そして奥様は
「ありがとうございました」
とおっしゃって救急車の方に向かわれた。
「いやぁ、奥山さん。こんな道よくご存じですね」
「そりゃ、診療所に長く勤めていれば、この辺の土地勘はつくよ。上野先生の往診にも付き添っていたしね」
「それにしても奥山さん、身のこなし、速かったですね。あと数年は働けそうですよ」
「もう、私を何年働かせる気?体のあちこちがギシギシいってるよ」
と言いながら診療所に戻り、私は経過を詳細にカルテに記載した。
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