第2話

次の夜。

俺は、あの橋の上に来ていた。理由はもちろん、あの少女の言っていることが気になったからだ。あの時は時計などを持っていなかったので、大体の時刻を推測して来たが、まだ少女が来る気配はなかった。

 彼女はいったい何者なのだ?いたって普通の女子のように見えたが、醸し出す雰囲気が、どこか違っていた。まるで、夜の空に輝く星々とはかけ離れて孤立し、ぽかりと浮かぶ月のようだった。

しかし、赤の他人同士なはずなのに、相手はこっちの名前を知っている。何か裏がありそうで怖い。

 なのに、なぜ彼女の言うことに従ったのか。

 答えは簡単、興味本位から。

 なんせやることがないし暇だ。もう半年ぐらい学校には通っていないし、勿論塾や習い事もない。それにどうせ死ぬ身だ。自分がどうなろうと、構いやしない。

 と、橋の反対方向から、タッタと走ってくる足音が聞こえてきた。

 振り返ると、あの少女が走ってこちらに向かって来た。真っ直ぐで、月明かりを艶やかに反射してる髪の毛が、一定のリズムで右、左と揺れている。動きやすい服装にしたのか、上着にジーンズのズボンの出で立ちである。

「すみません、待ちましたか?」

「あ、別に、今来たとこ・・・・・・」

 必要以上に焦ってしまい、まるでデートの待ち合わせの典型的なセリフみたいな言葉が口をついていた。恋愛アニメや漫画の見過ぎだ。本当は数分待っていたのだが・・・・・・。

「なら良かったのです。じゃあ早速行きますか」

 それにしても、少女はあまり息切れをしておらず、平然としている。外見は華奢に見えるが、意外と体力はあるのかもしれない。

 俺は、歩き出した少女の後ろを付いていった。

 しばし、沈黙が流れる。気まずく感じて、紛らわすため適当に質問を考える。

「そういえば、あんたの名前、なんだ?」

「私ですか、庵織いおりです。言うの忘れていたのです」

「苗字は?」

芳野よしのです。でも、呼ぶときは、いおりでいいのです」

いおりか。名前を覚えるのが苦手なので、いおり、いおりと心の中で繰り返す。

 橋を渡り終えたところで、道路を左に逸れて川沿いの道に入る。かと思えば、道の端に行き、川の方へ向かった。

逢見川は、木や背の高い草に囲まれ、川の近くにはあまり人は寄り付かなかった。あるとして、冒険好きの子供くらいだ。なんせ草っぱらでぼうぼうなので、不良の溜まり場にもならないだろう。

その草を庵織は心得ているかのように、難なくかき分け、進んでく。

「え、あの・・・・・・」

草原に躊躇し、庵織に声を掛けるが、声が小さくて聞こえないのか、聞こえないふりをしているのか、庵織は止まらずどんどん進んでいく。仕方なく意を決して足を踏み入れた。

 庵織の通った所をなぞって進むが、草が一度通っただけじゃならないくらいには踏み倒されていたので、どうやら使い慣らしているのだろう。

 草が踏み潰された道を歩くために、下を向いて歩いていると、自分の影ができていることに気が付いた。夜なのに、だ。上を向くと、その理由が分かった。月だ。月明かりが影を作っていたのか。

「どうしたのです?」

立ち止まった俺を不思議に思ったのか、庵織から声がかかる。

「いや、月明かりって、思ったより明るいんだなって・・・・・・」

「みなとさんも気づきましたか。月って、私たちが思っているより、光っているのです。だから、月が出ているときは、星の観察をするには向かないそうです。」

「へぇー・・・・・・」

 でも、日陰ならぬ月影が出ている夜も、なんだか神秘的で素敵だと思った。

 長い距離を進み、途中にあった木陰ゾーンも通り越したとき、さっきの橋の高架下に出た。庵織はすでにそこに到着していた。近づくと、高架下と陸の間に幅一メートル少しの川が流れていたので、頑張って飛び越える。

「ここが目的地なのです。ご苦労様なのです」

 引きこもりにしては、相当な運動だった。肩を上下に揺らして、空気を肺に取り込む。

「それで、ここには、何が、あるんだ?」

息も途切れ途切れに聞くと、

「これです」

と庵織が、上から吊るされている一本の縄を指さした。縄は高架下の鉄筋の所に上手く巻いてある。いやそれより、

「なんで縄の先に輪っかがあるんだ?お前、まさか」

 俺が死ぬための首吊りの縄を作ったというのか?

「あぁ、これはこう使うのです」

 庵織がそう言うと、いつの間にか床に置いてあった脚立の上を登り、輪っかの中に頭を突っ込んだ。

「首吊り自殺の時は、高い所から飛んで首の骨のケイツイってところを折ると早く死ねるのだそうです」

「お前危ないだろ!死ぬ気かよ!」

「大丈夫です。今は死ぬ気ないので」

 庵織は、輪っかの中の頭を戻し、脚立を降りた。

「今は、ってことは・・・・・・」

「みなとさんの想像通りなのです。この首吊りの縄は、私が死のうとした時に作りました」

「え・・・・・・?」

状況を飲み込むのに、少し時間がかかった。意味が分かってくると、次は疑問が次々と出てくる。

「なんで死のうとしたんだ?なんでここを選んだんだ?どうして死ぬのをやめたんだ?」

 なぜ、こんなにも質問をしたのか、自分でも分からない。庵織を知りたかったから?彼女に死んでほしくなかったから?それとも俺と同じように死にたいと思った人が死ななかった理由を知って、参考にしたかったから?でもそれじゃあまるで、俺が死にたくないみたいじゃないか。

「そんないっぺんに沢山聞かれても、困るのです。話すと長くなるので、追々教えていくので、今は良いにしてほしいのです」

庵織は眉をハの字にして言う。

「でも、死ぬのをやめた理由は今教えらるのです」

 庵織が高架下を抜けて草原に出る。そして、くるりと振り返ってこう言った。

「私は死ぬ資格がなかったのだと思います。何故なら、死ぬ覚悟がなかったから。死ぬのに心残りがあるから。それはあなたも同じでは?みなとさんも、まだこの世に未練があるのではないのですか。もしくは死ぬのが怖いとか。そう思っている内は、みなとさんも死ぬ資格はないと思うのです」

 満天の星空を背景に、月光に淡く照らされている庵織の凛々しい姿は、とても美しかった。

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