星空の下で

佐藤大

第1話

 もう、どれくらいたっただろうか。

 ペンキのはげかけた冷たい手すりをさすりながら、下を見降ろす。そこには、墨汁をこぼしたかのような、真っ黒く、大きな川が平然と流れていた。この町を流れる川では一番大きい逢見川だ。

 逢見川からの高さはゆうに五十メートル以上であろう橋から、下をのぞき込む。なんでも吸い込んで消してくれそうな、暗い水面には、弱弱しく光る星々と、白い月、また、小柄な少年の姿が映っていた。しかし、遠いうえに、一日中パソコンの画面ばっか見て近視になった自分からは、その姿はぼやけて見えなくなっていた。

 満月の出る、明るい夜だった。

 一つため息をつく。ここから飛び降りるだけ。たったそれだけの動作なのに、ずっと、体は動かないでいる。手すりの向こう側にさえ行っていない。一か月以上前から計画していたことなのに、いざそこに立ってみると、体がこわばってしまう。

 こんな、優柔不断な性格が、そういう自分が、嫌いだ。

「何をしているのです?」

 はっとして後ろを振り向くと、向こう側の手すりに座っている、ロングヘアーのほっそりとした少女と目が合った。背の高さから見るに、年は俺と同じくらいの中学生だろうか。

 いつの間にあんな所に居たんだろう。ここに来たときは、周りに誰もいないか確認したのに。全く気付かれず、あそこに行けるはずない。ただならぬ少女の気配に、軽い恐怖を覚えた。

「あー、そういうことなのですか。そこから飛び降りて自殺するのですね?なら、ちゃっちゃといっちゃってください」

 少女の口から出てきた衝撃の言葉に、俺は固まってしまった。こういう時って、普通ならいくら他人でもやめなとか言うのではないのか。少なくとも自殺をそそのかすようなことは言わないはずだろう。こういう人が俗にいうサイコパスなのか。もしくは、自分が外に出なくなったうちに、世界はこんなにも冷淡になってしまったのだろうか。

「あー、でも、落ちた時体がグチャってなって、後の処理とか葬式のための修復とかめんどいので、違う方法がいいかもなのですねぇ」

 悪気があるともないともつかない笑顔で、彼女は語り続ける。

「自殺をするときは、あまり迷惑をかけないような死に方で、ちゃんと遺言書も残しておいた方がいいのです。でも、そもそもあなたに死ねる資格なんてあるのでしょうか」

「はぁ?!そんなのどうだったっていいだろ。てかお前なんで上から目線なんだよ。うるっせえんだよ!お前に俺の何がわかるんだよ」

 突然の予想していなかった出来事に直面し、キレて怒鳴ってしまった。言った後少し言い過ぎたかなと思い悔やんだが、ただでさえその時は死のうとしていて、精神があまり安定していなかった。

 しかし、彼女は俺の発言を特に気に留める様子はなく、

「あー、でも今死んでもらうのはとても惜しいのです。せっかくの部に所属していない方を勧誘できるチャンスですのに。でも、学校に来てくれるのかは危ういし・・・・・・」

とまだぶつぶつ、呟いている。そして、時間差で

「あ、不快に思われたならすまないのです」

と、やっと返事をした。

 なんでよりによって死ぬ間際に、こんな変な人に遭ってしまったのだろう。不運すぎる。

 死ぬのは、また日を改めてからにしようと思い、ため息をつきながら無言で立ち去ろうとすると、

「ちょっと待ってください」

と少女に声をかけられた。

「死ぬのをやめてもらって、幸いなのです。やはりあなたは、私たちにとって必要なのです」

「は、はぁ・・・・・・」

 見知らぬ人に、必要と言われても。

 しかし、彼女が次に放った言葉で、不審感が、一気に嫌悪感と警戒心に変わった。

「あの、もし暇でしたら、来てほしいところがあるのです。明日同じ時間に、またここに来て欲しいのです。升井湊斗ますいみなとさん」

 聞いたとき、一瞬息が止まるかと思った。なぜ、彼女は俺の名前を知っているのだろう。

「それでは、また」

 彼女は、手すりから飛び降りると、反対方向にすたすたと行ってしまった。

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