第2話 初めての買い物

自慢ではないが、俺は無職だ。

というよりも、社会不適合者。

生まれてこの方人生というものがうまく行った事はなく、学校でも馴染めず、中学も後半に差し掛かる頃には不登校に。

高校には入学したのだが、やはりすぐに辞めた。

バイトもほとんど未経験。

つい先日30歳を迎えたが、つまるところ俺の人生は部屋の中とインターネットで完結している。

たまの外出はコンビニに行くくらい。

なんでこんな事になったのかは分からないが、おそらく同年代の人間と比べるとあらゆる『経験』が不足しているだろうし、未来に対する『展望』もない。


スマートフォンを眺めること1時間。


疑いがあったわけではない。

宇宙銀行という名の謎のアプリ、これを使えばおそらく俺の人生は変わるんだろう。

それにもかかわらず、いまいち心の整理がつかずにただ部屋の中には静寂の時間だけが流れる。

だが、それもやはりいい加減じれてきた。


「買う…売る…ヘルプ…。 こういう時はまず、説明書を読むのが先なんだろうけど、買うか。 買う…本当に買えるのか…?」


とりあえず、買うというボタンを押してみる。

やはり、というべきなんだろうか。

いわゆるインターネットショッピングに最適化されたサイトのようなページに移動した。

さっきまでの簡素なレイアウトとは一風変わり、検索窓があり、おすすめの製品やカテゴリーが表示され、個人的にはかなり使いやすいと感じる。

このアプリはおそらく俺の思考等を読み取って作られているのだろう。

おすすめ一覧に表示されている物達は俺の趣味嗜好にしっかりと沿ったチョイスがなされている。

ならば使いやすいと感じるのも当然か。

やはり、このアプリは普通ではないな。


「だけど、今の俺はこういうのじゃなくて…」


一度戻りさっきまでの簡素なマイページに移動する。

そして、ヘルプのボタンを押した。


「おっ…これは…こういう感じなのか」


俗に言う質疑応答スタイル。

ヘイSiriと呼び掛けたら返事が聞こえてきそうなほどだ。

よし、では単刀直入に聞いてみようか。


「えーっと…これはあの、電子マネー的な使い方もできる感じですか…ね?」


『はい! スマートフォンをかざしていただければお支払い可能です! なんでも好きなものを自由に買い物してくださいね!」


おぉ…!

返事が返ってきたぞ!

いや、当たり前か。

質問したんだもんな、イエスにしろノーにしろ当然返事は返ってくるよな…。

なんというか、俺は機械音痴なところがあり、システムによって管理された物事が一発で上手く行ったと言うことがあまりない。

だからというかなんというか、ただこれだけの事で凄く『順調』な感じがしてしまう。


そしてなにより、かなり高性能なAIなのか、いやもはや人間が向こう側にいるんじゃないのかって具合に、こちらの意図を読み取り、最適な回答を返してくれる。

それにこの声は例のパンパカパーンの声と同じだな。

不思議とすっと入ってくるような女の子の声、という感じだ。

口調とかもかなり自然で、なんならこのSiriなら普通に俺の話し相手にもなってくれるかもしれない。


「あ、えと…ありがとう…っす」


いかんせんコミュ障、ヘルプにドギマギしてしまった。


『どういたしまして! これからもお困りの事があったら何なりとお尋ねください!』


「あっ、はい。 またなにかあったら…。 うっす…」


『では、快適な買い物をお楽しみください!』


「あ、はい。 よろしゃーす…」


…ふぅ。

なかなか良かったんじゃないか?

人との会話なんて、本当に久しぶりだ。

いや、人じゃないのか?って、なんなら聞いておけば良かったな…。

うん、次の機会に聞こう。

別に今聞いても良いのだが、ひと段落ついた事だしな。

それになにより、快適なお買い物という言葉を聞いてから胸の高鳴りが止まらないでいる。


「やはりこれは…このアプリには全てを手に入れる力がある…!」


普段から買い物はしている、親から金をせびりコンビニでお菓子やジュースを買うのだ。

高校生くらいまでは存在していた『お小遣い制度』、二十歳を超えたあたりで貰えなくなった『お年玉』。

俺はこの十数年間ずっとたった数百円を対価にプライドや尊厳を傷つけられ生きてきたように思う。

普通の人なら嫌気がさして週に一度のバイトでもするんだろうが、いかんせん社会不適合者な俺だ。

小言を言われながらも、お菓子ジュースの誘惑には勝てず、いつも死地に向かう戦士のように金をせびってきたのだ。

その、ストレスからの解放…!


「良いのか? 良いのか? 俺、こんなに幸せになって…!」


体の奥から身震いが起きるような衝動、思わず踊り出しそうになる。

いや、少し踊っている。

だって、これほど嬉しいことはない。


「はぁ…はぁ…。 ちょっと体動かしただけでもキツイな、なんか体のあちこちが…痒い。 」


そういえば、まるっと2週間は風呂に入っていないような…。

コンビニに行って宇宙銀行の力を確かめようと思っていたのだが、あまりに不潔か?

今は…午前3時か。

今の時間なら親もパートに出かけていて居ないし、チャチャっとシャワーでも…いや、違うな。

急いでマップを起動させる。


「えーっと、近場の宿泊施設は…おっ、これいいねぇ、こんなのあったのか」


ふむ、朧月旅館か…。

俺の住んでる地域は別に観光地というわけでもないし、適当なビジネスホテルでもと思ったのだが予想以上に良さそうな旅館が見つかった。

刺身に天ぷらステーキに非の打ち所がない御膳に、どうやらスーパー銭湯が併設されているらしく大浴場も完備。

だが、何より俺の目を引いたのはこの『貸切風呂』の文字だ。

もとより社会経験の乏しい俺だ。

いや、それが関係あるのかは知らないが、衆目に全裸を晒して風呂に入る勇気など当然ないので、普通のビジネスホテルのシャワーでも使えたら良いと思っていたのだが。


「貸切風呂か…。 風呂に浸かるのなんて何年振りだろうな。 ここなら人目も気にならないし、なんなら全然近いぞ。 徒歩15分ってところか」


和室の部屋に、檜の大きな桶風呂。

源泉…というわけではないと思うが、掛け流しで随分と気持ち良さそうだ。

流石に露天とまではいかないが、猫の額ほどの中庭がガラス越しに眺められ、なんならガラス戸を開ける事もできる。

半露天といったところか。

木々の緑と風を楽しみつつ、のぼせそうになったら少し涼めるように設計されているらしい。

一本の樹の周りに円形に配置された檜のベンチが良い風情と言った感じだ。

ここに座り、熱った体をさましながら見上げる青空は心地よいだろうな。


「よし、ここに決めた! って、そういえばホテルとかって当日予約しても泊まれないんだっけ? …まあなんとかなるか」


なんといったって、俺にはこれがある。

そう、宇宙銀行がね。


「それじゃ、行きますか」


着替えはとりあえず館内着があるから良いとして、忘れ物はないか?

…ないな、スマホだけだ必要なものは。

どこか浮き足立ったままだが、とりあえず出かけてみよう。

ダメだったら、帰れば良いさ。

今の俺は、普段引きこもっている人間とは思えないほどの活力に満ち溢れている。

うつ病の人に一億円渡しても意味ないらしいが、俺には効果覿面だったようだな。


そして俺はワクワクと不安を抱えながらも、旅館に泊まるという人生史上最大のイベントに向け、家を飛び出した。

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