その1 左町さんは定時で帰れるのか?

 気がつくと、拓光たくみがこちらをのぞき込んでいた。

 

「ダメっすよ。転移の瞬間にボーっとしてちゃ、オレもほら……左町さまちさんが話かけるから……」

 

 そう言うとベーっと舌を見せ

 

「ひたかんひゃったんでふから……」

 

 とクレームをつけてきた。

 見せられても、どこを噛んだか分からなかったが

 

「ああ、わるい」

 

 と謝っておいた。

 雑な謝り方は気にしていないようで「立てます?」と手を差し伸べてきた拓光たくみの手をとりオレはゆっくりと立ち上がった。

 

「じゃ、行きましょうか」

 

 そういうと拓光は先導するように歩き出した。

 真っ白で無機質な一本道の廊下は迷わない為の開発側の配慮なのだろうか。それともデザインを考えるのが面倒くさかったのと経費削減の為?

  

「さっきの話ですけど……」

 

「さっきの?」


 いやさっきまで倒れてたんだけど……なんのこと言ってる? こっちの疑問を察したのか拓光が続ける 

 

「さっきの転移の時の……ほら、転移後の世界が消えるやら消えないやらの」

 

 ああ、それか……

 気になってはいる。

 

「どっちでもよくないです? 消えてようが消えてまいが」

 

 拓光の答えはひどく投げやりだった。

 納得がいっていないオレの様子を察し拓光が続ける。

 

「まあ、オレ達は与えられた仕事をこなしてればいいんですよ。いち会社員っすよ? それに部署が違うんすから分かんないっすよ。そういうのは開発の方に聞かないと……」

 

 そう。

 俺達は一般的な日本の会社員だ。

 先程の物騒極まる『殺人』も『業務』の一環でしかない。

 

「さっきの田村君も……ほら。今頃目ぇ覚ましてますよ。まあ……目覚めたかったかどうかは置いておいて……」

 

 そうだ、先程の勇者『田村君』は生きている。現実の世界で。

 

「そうだな。オレらが殺した田村君は今頃目ぇ覚ましてる頃かもな……」

 

 いやいや……と拓光が突っ込んでくる

 

「左町さんが。ですけどね。オレは田村君、殺してないっす」

 

「共犯者だろ? オレが実行犯、お前が黒幕。罪はお前のが重いだろ」

 

「ひでえな」と言いつつも拓光は気にした様子もない。このやり取りも、もう何回目か? ひと仕事終わった後のお決まりというヤツだ。

 しかし、遠い……

 

「長いんだよな……ここの廊下。もうちょっとなんとかなんないのか?」

 

「オレらは仕事ですけどね。プレイヤーは壮大な冒険が終わった後の次の未知の世界への出発点なわけですし……こう……なんていうか……」

 

 ここで拓光が言葉に詰まる……上手い言葉が出てこないのだろう。

 

「余韻があった方がいいって?」

 

 助け船を出すと。「そう、それそれ」と頷いた。

 

 そんなものか……

 たしかに、若い頃やってたゲームは終わらせるのがもったいないほど熱中していたものもあった。

 そんなゲームのエンディングは暗い画面に開発者の名前がダラダラ流れてるだけなのに、それまでの数十時間を思い返し余韻に浸って……いたことがあった気もする。

 

「まあ一応、話はあげときましょうよ。機会があればですけど……たしかに開発用の裏ルートがあった方が効率いいっすもんね」

 

「効率うんぬんというより、気が滅入るんだよ。なにもない、代わり映えのしない景色が長時間続くと……」

 

 分かりますー。と適当な相槌を打つ拓光越しに『案内所』が見える。

 病院の待合室の受付のような場所は、これまた無機質で真っ白な所だ。受付のカウンターには誰もおらず、その上にあるモニターは昔のテレビのように砂嵐が流れ続けている。

 

「いつも思うんですけど……この白黒のザーザーはなんなんすかね」

 

 これがジェネレーションギャップか!

 たしかに! アナログ放送特有のこの砂嵐は2000年代にデジタル放送に代わってからは見れなくなったものだ……若い拓光が知らないのも当然といえば当然なのだ。

 そうか、なんとなく違和感を感じていたのは最新の薄型のモニターに砂嵐が映し出されていたからか。

 

「昔のテレビはな、チャンネルの半分くらいはコレが映ってたんだよ」 

 

「は? なんの為にっすか?」

 

 デジタル効率世代の拓光にしてみれば、「なんでそんな無駄なことを?」となるのだろう。単純に、映らないチャンネル、電波が悪いチャンネルがそうなってただけなんだが……

 

「意味なんかないよ……さあ報告済ませて次に行くぞ」

 

「え? 意味ないんならこんなの流す必要……」納得のいっていない拓光をよそにオレは報告を始める。

 

「社員番号『016701』左町蒼佑です。被験者3番、田村直人の案件を完了しました。」

 

 何を感知してアチラ側は反応しているのだろう? こちらのメッセージを受け取ったのか、上の砂嵐のモニターに反応がある。

 

「あー……はい。仲村なかむらです。ご苦労様。田村君の報告はまだ入ってないけど……えーっと……被験者1番……最初の被験者である中澤さんは目を覚ましたよ」

 

 モニターは相変わらず砂嵐のままだが、モニターから女性の声が聞こえる。開発の仲村さんだ。

 最初の中澤さんは、1カ月くらい前に終わらせたはず。

 目覚めるのに1カ月もかかるのか……大丈夫なのかよ。

 

「目覚めるまでに、ずいぶん時間かかるんですね」

 

「え? そう? まあ、こっちとそっちじゃ時間の体感がだいぶ違うからね」

 

 へー……どのくらい違うんだ? 実はまだ1週間くらいしか経ってなかったりして。

 オレの疑問を代弁するかのように拓光が仲村さんに質問をする。

 

「ちなみにそっち……現実にはどのくらい時間が経ってるんですか?」

 

「君達が仮想世界に入ったのが9時前で……今が10時過ぎだから、1時間くらいかな?」

 

 いち……1時間……?

 

「え? いや……ん? は? 1時間すか?」 

 

「そう、1時間」

 

「え? 60分で1時間の、1時間すか?」

 

「そう60分で1時間の、1時間」

 

「1ヶ月と1時間じゃなくて?」

 

「え? それはもう、どういう意味なの? 1時間に別の定義があるってこと?」

 

 拓光は混乱している。もちろんオレもだ。

 それはそうだろう。1カ月間、仮想空間で働き続けてたと思ったら。実際には1時間しか経っていないと言うのだから。とりあえずいったん落ち着こう。

 混乱中の拓光を一旦下がらせて、仕切り直す。

 

「私達が仮想空間に入ったのは9月17日午前9時過ぎでした。1時間しか経ってないということは、今は9月17日の午前10時ということですか?」

 

「だから、そうだって言ってるでしょ」

 

「聞いてないです」

 

 

 オレと拓光が今いる空間は仮想空間である。

 務めている七々扇ななおうぎ電工の開発した仮想空間体験機。bermainブルマイン

 インドネシア語で『演じる』『遊ぶ』などの意味だそうだ。

 

 従来のようにヘッドセットを使用し視覚、聴覚だけ反映させるVRではなく脳を直接ハックすることで実現する、フルダイブVR。

 

 技術的には30年先の出来事だと思われていたのだが、それを実現可能な領域にまですすめたのが今オレ達のナビゲーターしている仲村さんだ。

 

 経歴、実績共に申し分なく、過去の偉人や天才と比べても引けを取らない才能の持ち主だが……

 

 やはりどこか浮世離れしている。

 

「あの……それ、ちゃんと伝えといてくれないと……」

 

「えー……体感する時間に差異があることは伝えたはずだけどなぁ……そっちの部署との連絡に行き違いがあったのかもねぇ」

 

 こちらのクレームに不満げな様子だ

 

「多少の違いなら、なにも問題ないですよ! 1時間が1カ月ですよ!? こっちは長期出張のうえ秘密保持の為に連絡も出来ないって、嫁と散々揉めたんですよ!?」

 

 揉めるのは当然だ。

 

 何カ月か家に帰れない。

 

 いつ帰れるか正確には分からない。

 

 その間は連絡は出来ない。

 

 なんでなのかは言えない。

 

 嫁は「殺し屋かスパイにでもなったんか!? 意味分からんわー!」と大激怒だった。

 

「いやー……そうかー、家族持ってるとそういうこともあるかー。いやー……その……急いでたし。実際にどれくらいの違いがあるか詳しく分かってなかったんだよー……」

 

 ブルマインは今はまだ試験運用中であり、その試験運用中に問題が発生してしまった。

 一般ユーザー向けのテスト運用中に12人のテストユーザーが目を覚まさなくなってしまった。

 そこで七々扇電工は問題発覚前に解決するべく全てを知る人物、仲村さんを責任者に置き……(というより仲村さん以外に詳細を把握出来る人物がいないのだが)問題の解決と原因の究明に乗り出している。

 オレと拓光は開発部門の人間ではなかったのだが前日に急な呼び出しを受け、ろくな説明も受けずに目を覚まさない人達を寝覚めさせる為にブルマインの中の仮想空間に来ている。

 

「まあ、オレは構わないっすけどねー。こっちの仕事のが楽ですし……」

 

 拓光は若いし独身だ。そりゃそうだろう。だが、こっちは嫁と散々っぱら揉めた翌日に「ただいま」と帰宅し、その後「訳は話せない」の一点張り……

 

 ストレスで頭おかしくなったんじゃないかと思われるわ。 

 

「あれ? ちょっと待ってくださいよ……」

 

 ここで拓光は、あること気が付く。

 

「給料半年分の特別報酬って。この体感時間分だったりします?」 

 

 そう、この業務に携わるにあたり特別報酬が出ることになっている。給料半年分の、給与とは別のボーナス。

 これがあったからこそ「帰ったら最新式のドラム型洗濯機買うから」の条件で嫁が送り出してくれたのだ。だが……

 

「それは酷くねえっすか!? こっちでは、ちゃんと時間経ってるんですよ!?」

 

 拓光が猛然と仲村さんに抗議する。

 

「そのあたりは私に言われてもねぇ……君達の直属の上司じゃないし。それに、現実には、1日で終わっちゃう作業だし。時給換算したらなかなかのモンだよ?」

 

「あ! だからあんなフワフワした説明だけで強引にこの機械に押し込め……」

 

 ここで強引に仲村さんが話題を打ち切り

 

「まっ! まっ! まっ! ね? とにかく仕事は進めてくんないとさ。今日中に全部終わらせなきゃだし。私、残業はイヤよ?」

 

 強引にまとめようとしてきた。 

 

 いや。オレだって言いたいことは山ほどある。どうせ時間の進みが遅いんだから今言わずに、いつ言うんだ?

 そんなオレの思考を見透かしたのか

 

「言っとくけど、ここでの……案内所での時間は現実世界と同じなんだからね。早くしないとマジで時間ないよ?」

 

 それを聞いた拓光が反論する。

 

「いや、さっき時間の体感差があるって言ったばっかじゃないすか!」

 

 それを聞いた仲村さんはため息をつき、馬鹿にしたように拓光を諭す。

 

「あのねぇ。ここで時間差があったら私と今しゃべれてないでしょ? 『案内所』では時間差は生じないの」

 

 なるほど。それもそうだ。単純計算で700倍もの速さで時間が流れててたら何言ってるか分かんないもんな。

 

「『案内所』ではブルマインによる脳の活動補助は行っていないからね。長時間ブルマインに潜ってると、『案内所』での、こういう小休憩も本来必要なんだよ。脳に負担が掛かりすぎるからね」

 

 ブルマインで脳の活動の補助をして短時間で長時間の冒険を……ってことか。たしかに忙しい現代人には魅力的だ。1時間で1ヶ月なら、現実の会社での嫌な仕事も『たまの作業』になるわけだ。

 ブルマイン……ウチの会社が躍起になって商品化にまでこぎ着きたいわけだ。

 

「でも、そんな脳の活動を……単純計算で……えーっと……700倍? にもなるような……その、ドーピングみたいなマネしててオレら大丈夫なんすか?」 

 

 もっともな質問を拓光がぶつける、身体的な異常は今のところ認められていないと事前の説明では聞いていたが、さっきの話を聞いて不安になるのも当然だろう。

 

「ある程度のことは、そちらの部署には伝えてるはずなんだけどね。今のところは脳波や身体的な異常は見受けられないよ。ただ……」

 

 ん? ただ? ただなんだ?

 仲村さんは少し伝えるのを躊躇ってからオレたちに今の『オレたち』の現状を伝えてきた

 

「たまに。たまにだよ?ふ…ふふ…ヨダレ垂らして手足痙攣させながら『アバアバ』言ってるのは絵的によくないかもね」アハハ

 

「アハハじゃねー! 今すぐこっから出せぇえええ!」

 

 仮想空間に拓光の魂の咆哮が響いた。 

 

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