【太陽】【リンゴ】【希薄な目的】
ジャンル:悲恋
「例えば、……」ゼミ講師の大野は用意していたリンゴを手に取り生徒たちに問いかける。
「君たちは、このリンゴを見て何を連想する?」
「赤い!」何人かの生徒が声を揃えて言う。
「そうだ、他には?」
「リンゴ飴! アップルパイ!」
「その調子だ、まだあるぞ」
「青森!」
「そう、名産地に目をつけるのも良い。信州もそうだ。どうだ、それだけか? 他に連想するものはないか?」
「はい!」一人の女子生徒が手を上げた。
「では、浅丘くん」
「はい、喉仏と
浅丘恭子
大野の受け持つゼミで一際異彩を放つ生徒であり、それゆえ他の生徒たちから浮いた存在でもあった。
恭子に好奇な視線が集まる中、大野は口元をゆるめながら力強く答える。
「そうだ。英語に変換して考えることも有効だ。Adam’s apple, The Big Appleといった具合だ」
恭子は満足そうな笑みを浮かべて、静かに手を下ろした。
「リンゴ一つとっても、視点や切り口を変えれば実に色々な物が見えてくる。これは論文を書く際に必ず役に立つ。君たちには常にそういったことを心がけてほしい」そう言って大野はリンゴを齧った。
大野はいつからか、親子ほど歳の離れている恭子に対して恋心を抱くようになった。最初は他の生徒とは異なる面白い着眼点を持つ女子生徒としか見ていなかったはずなのに、次第にその、どこか人を惑わすような
「先生! 今日の講義も面白かったです! この後一緒にお茶しませんか?」恭子が無垢な笑みを浮かべて言う。
大野にとって願ってもない誘いだった。講師と生徒の禁断の恋。二人きりになれるのは神が与えてくれた千載一遇のチャンスだと感じた。
カフェへと向かう道すがら二人は文学の話に花を咲かせた。大野には性急なところがあった。男である以上、やはり肉体的な関係を求めてしまう。そして、女性もまた、すましていても考えていることは男とたいして変わらないと信じていた。
「アイスコーヒー2つ」
注文を済ませ、ウェイトレスが去ったのを見計らい大野が切り出す。
「恭子くん、君に是非読んで欲しい本があるんだ」
大野は普段からカバンに何冊か本を入れて持ち歩いている。そのうちの一冊は、元都知事が執筆した「太陽の季節」という大野にとってはバイブルとも言えるものだった。もし今の時代に出版したなら大問題になるような性的表現満載の一冊であり、これを恭子に読ませたあと感想を交わすという名目で性の話題を繰り広げようという狙いだった。
「わー、何ですか? 嬉しい!」恭子は無邪気にはしゃぐ。
「アイスコーヒーお待たせしました」
ウェイトレスは二人の前にアイスコーヒーを置き「ごゆっくりどうぞ」と一礼して戻っていった。
大野は笑顔がこぼれぬよう、努めて冷静にカバンの中に手を入れた。
「あ、でも『太陽の季節』だけはやめてくださいね。私あれ読んだことがあるんですけど、何ていうか本気で気持ち悪くて、吐き気がするというか、生理的に受け付けないんです」
大野の手が止まった。
「あれって、女性は男にとって欠くことのできない装身具とか、自分が弄んだ女の人に中絶手術を強要して母子共に命を奪っておきながら、死ぬ事で一番好きだった、いくら叩いても壊れない玩具を自分から永久に奪ったとか意味不明じゃないですか?」
大野の額に汗が滲む。
「あと、高級宿でみなぎる凸部を障子に突き立てて破るって、何やってるのって感じですよね。通報案件ですよ」恭子のおもいは止まらない。
「いえ、いいんですよ。どんなジャンルが好きかは人それぞれです。いいんですけど、私的には、女性をいやらしい目でしか見ていない希薄な目的で書かれたものとか幼女趣味ものとか異常性を感じる性癖とか拒絶反応が出ちゃって最後まで読めないんです」
大野は一旦カバンから手を引っ込め、アイスコーヒーでカラカラになった喉を潤した。
「ダメですね私ったら、ああいうのを喜んでる人たちを見ると虫酸が走っちゃって、同じ人間として見れないんです。あ、でも先生に限ってそんなことあるわけないですよね。ごめんなさい。それで、何ですか、その本って?」
大野はカバンから一冊の本を取り出してテーブルに置いた。
“人間失格”
もはや自分は完全に人間でなくなりました
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