3日目 午前10時53分
宗形の自暴自棄エンドのフラグをへし折り、私は書斎のある東館の3階から西館の1階へと爆走していた。
そこの食堂にて、現在とあるイベントが進行中であった。
「……あなたはいつもそう、秘密主義の厭世家で、誰も信用しない。妻の私ですら!」
「そんなことはないと言っている! 曲解して捉えるのはお前の悪いクセだ!」
僅かに開かれた扉の合間から聞こえるは、激しく言い争う棚谷夫妻の声。
この喧嘩を今止めないと、高確率で別ルート『復讐の鬼』のフラグが再開し、前回のようにチェーンソーで真っ二つにされてしまう。
しかし、宗形と棚谷夫妻のイベントは同時刻に発生し、どちらかしか選べないという厄介な作りとなっており、いくら全速力で向かおうともどちらか一方には間に合わなかった。
「待って二人とも!」
その幼き勇者の叫びが響き、私は自分の足に急停止をかける。案の定、トリプルアクセルを決めて床の上を転がるも、毛の長い絨毯のおかげで音は立てなかった。
「僕もね、お父さんは隠し事が多いと思う。でも、そんな静かで色んな事を教えてくれるお父さんのこと、僕は大好きだし、お母さんもって言ってたよ」
私は這いつくばったまま、扉の先を覗き込む。
いつもなら、両親の剣幕に恐れをなし、誰かが仲裁するまでダイニングテーブルの下で震えるだけだった少年。
しかし今は、両親の未来を救うために両手を広げ、ガクガクと震えながらも真剣な顔つきで母に向き直った。
「確かにお母さんはちょっと、思い込みが激しいと思う。でも、それは僕たちを心配してて、愛しているからなんでしょう? お父さんはいつも、ダメダメな僕に寄り添ってくれる素晴らしい人だって言ってたよ!」
すると二人は、言葉も発さず呆けた様に息子を見つめ、そして、ゆっくりと視線を上げた。
「……その、声を荒げてしまって、すまなかったな裕美。部屋に入るなと言ったのは、ほら、明日、お前の誕生日だろう?」
棚谷は俯き加減でぶっきらぼうに、それでも裕美の目を見ながら言った。
「え……⁈ まさか、あの小さな箱は……」
彼女は両手を胸の前で合わせ、目を輝かせていうも、夫は恥ずかしそうにぷいと顔を背けた。
「今まで、結婚指輪すら買ってあげられなんで、すまなかったな」
裕美は駆け寄り、そんな不器用な夫とかすがいの息子に抱き付いた。彼もまた、慣れない手つきで二人の背中に手を伸ばす。言うまでも無く、奏斗は安心しきった満面の笑顔を浮かべていた。
私は心の中で両腕ガッツポーズを決め、ゆっくりと立ち上がって台所へと向かう。
本来、一つしか選べないはずの選択肢を、二つ手に入れたこととなる。元から不安定だったこの世界に、だいぶ負荷がかかってきた証拠であろう。
致命的なバグのせいで、ハッピーエンドが迎えられない。私は
バグを取り除くことは出来ないが、ひたすら繰り返すことはできる。
押してダメなら引いてみろ。
台所に辿り着き、家政婦の如く扉の隙間からこっそり中を覗く。
すると、示し合わせたかのように若者たちも口論中で、すぐにエーオとシースケが取っ組み合いの喧嘩となる。ビーコの甲高い悲鳴、落ちて割れる食器、キッチン台で見えないが殴り殴られる生々しい音。
思わず声をかけて、仲裁をしたくなる。シナリオ的にもそれが正解ルートなのだろう。
しかし私は、ぐっと我慢する。
しばらく経つと静かになり、代わりに笑い声がだんだんと響いてきた。
「そっか、お前、そんなにビーコのことが……」
「なんだよエーオ。お前も負けないぐらい、ビーコにこと好きだったのか……」
夕暮れの土手の上で繰り広げられそうな、懐かしさを匂わせる会話が続き、勝手に仲直りし始める。
そして二人は互いを健闘しながら立ち上がり、立ち尽くすビーコに片手を差し出して、それぞれの熱い思いを述べた。
「「つきあってください!」」
ビーコは二人の後頭部を交互に見つめた後、にっこり笑って言った。
「あたし、一個上のディーノ先輩と付き合ってるから。ホントは、スキーに来る前に言えばよかったね。ごめんね?」
彼女は軽い足取りで娯楽室に通じる扉へと向かい、さっさと出て行ってしまった。残された彼らは石像となり、さらさらと砂になりゆく幻想が見える。
しかしこのイベントで、二人は失恋を乗り越え硬い友情に芽生えることとなる。
この小学生が考えたような一連の流れを、登場人物の誰かしらが邪魔をすると、まるで手のひらを返したかのように憎し合い惨劇が始まるので気が抜けない。
その時、目の前の景色が明滅し始め、子どもが描いた絵のようにぐにゃりと歪む。
よし、キタと、私は小躍りしたくなった。
『ユキゴン』3日目ルートにて、台所にいる若者たちに話しかけないと、『復讐の鬼』7日目ルートに飛ばされるという、頭を抱えたくなるようなトンデモバグ。
しかし今回ばかりは、もしかしたら感謝することになるかもしれない。
(奏斗君、二つ目のお願い、頼んだよ!)
小さき共犯者に祈りを込めながら、テレビの電源を落とすように、一気に視界がシャットアウトした。
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