第34話 季節外れの向日葵
和音と2人で昼食の片付けを終えると、俺たちは庭の片隅にある慰霊碑の元へとやってきた。
生き物を飼い続けている限り、当然ながらいずれは別れが来る。どれだけ愛情を込めて世話をしていても、命には限りがあるのだ。
「なんだか不思議……あの子を拾った日が、もう遠い昔みたい」
しばらくの間、しゃがんで手を合わせていた和音がゆっくりと立ち上がる。
お線香の匂いが、細い煙と共に風に乗って俺のほうへと届いてきた。
「一緒にいられた時間は、ほんのちょっとだったんだけどな……」
「あぁ。でも拾った時点でそれは分かってたことだったから」
木の板を削って手作りした墓碑には、“バニラ”と名が書いてある。
この下には、ウチで飼っているチョコの母犬が眠っているのだ。
彼女は……俺たちに親の強さを教えてくれた子だった。
――あれは今から数か月前の話。
梅雨が終わり、夏の暑さが本格的になってきた7月下旬のこと。近所の海で釣りをしていた俺と和音は、二人並んで堤防を歩いていた。
「ふっふふーん、ソーゴ兄より釣れたー! 見てよコレ!」
「おいこら和音。夜道なんだから前見て歩けって。堤防から落ちても知らんぞ」
時刻は21時を少し回ったところ。この日は目当てのアジがあまり釣れず、俺は少し苛立っていた。
隣を見ると、和音が釣り上げたアジが入ったクーラーボックスを自慢げに掲げている。
「また今度勝負しようぜ。それにしてもお前、釣りが上手になったよなぁ」
「まーね! アタシはやればできる子だもん!」
そう言って胸を張る和音。だから前を見て歩けって。
ちなみに妹の陽夜理は夜が弱いので、俺たちが釣りをしているのを眺めているうちに居眠りしてしまった。そういうわけで、今は俺に背負われている。
「あっ……」
そのとき不意に和音の足が止まる。そして彼女はそのまま視線を横へ向けた。
俺も釣られてそちらを見る。するとそこには、海を見つめる一匹のトイプードルの姿があった。リードは付いておらず、近くに飼い主らしき人影も無いように見える。
「なんだあの犬? もしかして……捨て犬?」
「みたいだね……」
そんな会話をしていると、そのトイプードルと目が合う。その犬は俺たちに向かってしっぽを振ってきた。
「どうするソーゴ兄? このまま見過ごしたら可哀想だよ」
「うーん、俺に言われても……飼い主とか居ないみたいだし」
俺と和音は、そのトイプードルをどうするかで軽く言い争う。すると向こうから催促するようにキャンキャンという鳴き声が響いてきた。
「ねぇ、なんだか助けを求めているようにみえない? なんだか見た目もボロボロだし……」
「え? あ、うん……」
俺は背負っていた陽夜理を地面に下ろすと、そのトイプードルに近付いていく。
和音の言う通り、白色の体毛が泥まみれになっている。数日前まで雨が続いていたから……それからずっと外に居たのか!?
するとそれまで大人しく座っていたその犬は、俺が近付いてくるのを見て陸の方へ走りはじめた。そのまま逃げるのかと思いきや、どういうわけか立ち止まってこちらの顔を何度も振り返る。
「なんだなんだ!?」
「アタシたちをどこかに連れて行こうとしてるんじゃない?」
そう言って和音は再び陽夜理を背負おうとする俺に「待っていて」と告げると、犬を追いかけて行ってしまった。
「大丈夫かな……」
いくらか街灯があるものの、少し離れれば辺りは真っ暗だ。すぐに和音の姿は見えなくなってしまった。
五分ほどその場で待っていると、和音がさっきの犬を引き連れて戻ってくるのが見えた。
「ソーゴ兄……」
見ると和音は足元のトイプードルとは別の、小さな犬を抱えていた。
「子供が居たのか……」
その犬はだいぶ弱っているようで、小刻みに震えている。自分では動けない様子だった。
そこで俺は気付いた。このトイプードルは親犬で、自分の仔犬を護ろうとしたんじゃないかって。
だけどだいぶ衰弱しているみたいで、この様子だと助かるかどうかはちょっと分からない。
「病院に連れて行こう。知り合いの獣医さんのところなら、この時間でも診てくれるはず」
俺がそう言うと、和音は頷いてくれた。俺たちは2匹の犬を抱えながら、獣医さんの元へと急いだ。
◇
「あのときはどうなるかと思ったよね」
「和音が見付けなきゃ、助からなかっただろうな」
幸運にも、その仔犬はただの栄養失調だった。その場で獣医さんに頭を下げて治療を受けさせてもらった。
そのおかげもあってか、数日も経つと元気に走り回るくらいには回復してくれた。
――だけど母犬の方が重傷だった。
カラスか何かに襲われていたのか体が傷だらけで、そこから感染症を起こしてしまっていた。
助けを呼ぶときは元気そうだったんだけど、子供が助かったと安心したのを見た瞬間に倒れてしまったのだ。
「きっと自分よりも子供を守ろうとしたんだろうな」
「死んじゃう寸前まで、チョコのことを大事そうに舐めてたもんね……」
結局、母犬がウチに居た時間は本当に数日間だけだった。
だけど俺を含めた全員が泣いた。バニラと名付けれたそのトイプードルは、俺たちに親の愛の大きさを教えてくれたんだ。
「ごめんね、チョコも結局お兄のところで預かってもらうことになっちゃったし……」
「気にすんなよ。見捨てるわけにもいかなかったし」
和音は平気なのだが、他の家族がアレルギー持ちだった。だからチョコを彼女の家で飼うことはできなかったのだ。
チョコもチョコで、この墓の下に母親が眠っていることを理解しているのか家から離れようとしなかった。
「でもチョコ、幸せそうで良かった。お兄に拾われて、オハギとかボタンたちが家族になって。あのままお母さんワンコと一緒に死んでいたら、今みたいな生活は送れなかったもん」
「そうだな……そうだよな」
みんな事情があって家族や飼い主たちの元を離れ、我が家にやってきている。
もちろん中には仕方のない理由があって譲られた奴もいるけれど、ほとんどが捨てられた子ばかり。
だからこそ、俺たちが愛情をたくさん注いで、幸せにしてあげたい。
「それじゃ、アタシはそろそろ帰るね。お昼、ごちそうさま」
「あぁ、勉強頑張れよ」
しんみりとした空気の中、和音が門の方へと歩き始めた。
俺も月曜からまた大学だ。明日はアシュフィールド先生の講義もある。
海猫亭のことで頭が一杯ですっかり忘れていたけれど、そういえば課題も出ていたはず。しっかりやっておかないといけないと、学業を疎かにするなとまた怒られてしまう。
そんなことを考えていると不意に和音が立ち止まり、俺も足を止める。
「あ、そういえばさ……お兄」
「ん? どうした急に」
そう訊ねるも、答えが返ってこない。
なにかを言おうか迷っているのか、和音は背中で手を組んだまま、俯いてしまった。
「和音?」
「――アタシ、さ。将来は獣医さんを目指そうかなって思ってるんだ」
その言葉に、俺は素直に驚いた。
和音との付き合いは長いが、自分の夢を語ったのは初めてだったから。
それも獣医だなんて――。
「やっぱり、悔しいよ。あのとき、もっと何かできてたら、チョコはお母さんを失わずに済んだんじゃないかって」
「それは……」
「ただの自己満足だってことはアタシも分かってる。でもソーゴ兄やヒヨリのこともそう。誰かを失ったあとに、あのときに何かできていればって思うのは……あんなみじめな思いはもう、イヤなんだ」
そう零す和音の声は震えていた。
普段は能天気で明るい彼女が、そこまで考えていたなんて。でもそうだよな、コイツはいつも真剣だし他人に優しい。
「別に和音は何も悪くなんかないのに」
「だけどさ。ただ何もしてあげられない無力さってやっぱり辛いよ。アタシは馬鹿だけど、何も手を差し伸べられない無能にはなりたくないんだ」
「和音……」
俺はこのとき、幼馴染としてどう言葉をかけてあげればいいか分からなかった。
もちろん俺だって和音と同じ気持ちだ。だけどそんな考え方で突っ走ったら、いつかきっと彼女まで不幸になってしまうんじゃないかとも考えてしまう。
(いや違うだろ)
そこで俺はハッと我に返る。今は和音が夢に向かって頑張ろうとしているんだ。彼女の成長を喜ぶのはあっても、心配するのは余計なお世話だったと反省する。
なにか壁にぶち当たった時は、俺たち大人がフォローしてやればいい。
「俺は応援するよ」
「……本当? お前じゃ無理だって笑わない?」
「笑うわけないだろ。でも獣医になるのは大変だぞ。今の内からしっかり勉強しておけよ?」
「――うん!」
そう言って振り返った彼女の表情は、まばゆい黄金色のヒマワリのような笑顔だった。
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