第33話 ほうれん草嫌いな仔猫と常夜鍋
現れた陽夜理と美愛ちゃんは、2人ともエプロン姿だった。
黄色の可愛いヒヨコが描かれたエプロンが陽夜理で、ピンク生地に黒猫が美愛ちゃんだ。どちらもそれぞれに似合っているし可愛い。揃って並ぶと本当の姉妹のように見える。
「お兄ちゃん、お昼ご飯ができたから食べよ!」
「豚肉と頂いたほうれん草で常夜鍋ですって。お母さんが和音さんも是非って」
そういえば今日は元々、アシュフィールド先生をもてなしたときに残った豚肉を食べようって話だったっけ。
「うっ……今の会話の後に誘われると、ちょっと照れくさいじゃん。なんだか嫁に来たみたいな感覚……」
ん、何を小声でボソボソと言ってるんだ和音は。
「でもやった! ママたちお出掛けしてるし、お昼買いに行かずに済んでラッキー! 食べるたべるー!」
そして和音はいつもの調子に戻ると、嬉しそうに美愛ちゃんの腕に飛びついた。相変わらず切り替えの早い奴だな。
卓上のカセットコンロに火を灯すと、昆布ダシの良い匂いが部屋に充満しはじめる。
「わぁ~、美味しそう!」
和音は目を爛々と輝かせながら鍋を覗き込んで感嘆の声を上げた。こらこら、行儀が悪いぞ?
一方、美愛ちゃんは華菜さんの後ろに張り付くようにして鍋を眺めている。
「ん、どうしたんだ?」
「あー、実はこの子ったらほうれん草が昔から苦手で」
「え? そうだったんですか?」
美愛ちゃんはこの家に来た当初から、食べ物の好き嫌いがあるような素振りは見せたことが無かったので驚いた。
俺がそう尋ねると、美愛ちゃんは恥ずかしそうに顔を伏せると――……こしょこしょと華菜さんの耳元で何か話し始めた。
「え? でも今日は食べてみるって?」
「いや、別に無理して食べることはないぞ? なんなら豚肉だけでも……」
「でもソーゴ君や和音ちゃんと同じ物が食べたいって」
華菜さんが美愛ちゃんの声を代弁するように言うと、美愛ちゃんはコクコクと頷く。
なんだそれ? ちょっと嬉しいけど。
俺が華菜さんと一緒に美愛ちゃんをなだめていると、当の本人はバツが悪そうにうつむいてしまう。本当に好き嫌いに関しては不器用というか……真面目というか。
するとそのとき、背後から大量のほうれん草をカゴに入れた陽夜理が現れた。
「うっ……」
鍋の中へ投入されていくほうれん草の山を前にして、美愛ちゃんは絶望したような顔を浮かべる。
おいおい、本当に大丈夫なのか?
だが意を決して鍋を前に席に着いた。そして俺たちも揃って鍋をつつきはじめる。
「おっ、美味しいー!」
「良かった。ミアお姉ちゃんのために、ちょっと味付けを変えてみたの」
美愛ちゃんが持っている取り皿には、山盛りの大根おろしがあった。そして溶き卵。他の人たちはポン酢で食べていたのだが、それらのトッピングを陽夜理が準備してくれていたみたいだ。
「ヒヨもね? ほうれん草のエグみが舌に残る感じが、ちょっとだけ苦手なの」
「あぁ、だからそこへ大根おろしと卵なのか」
たしかにほうれん草はシュウ酸という成分が含まれている。これは灰汁が出る原因となって、どうしても味にエグみが出てしまう。
だけど大根おろしと卵でコーティングしてやれば、舌に乗っている面積が少なくなり、エグみを感じる時間を減らすことができるって仕組みなんだろう。
「ほうれん草も下茹でしたり、スープの温度を一定以上にすれば灰汁が少なくなるんだけどね。でもあんまりやると、今度は葉が溶けてグズグズになっちゃうから……」
陽夜理の料理の腕はプロ級だ。こんな美少女なのに俺の妹だなんて……おっと、またシスコン扱いされてしまうな。やめておこう。
それよりも今は目の前の美愛ちゃんだ。ほうれん草を美味しそうに頬張っている様子を見る限り、無理をしているわけではなさそうだが――……なんだかこう、小動物的な可愛さがあって庇護欲が湧いてくるな。
俺がそんなことを思いながら見ていると、視線に気付いたのか顔を上げた美愛ちゃんと目が合う。すると彼女はハッと息を呑むと、慌てたように視線を逸らしてしまった。
(こやつも意外と照れ屋さんだな)
でもそれを口に出せばきっと怒りだすだろうな……なんて心のなかで呟くと、俺は再び箸を動かすのだった。
「そういえば海猫亭はどう? 昨日はお客さんが来てたみたいだけど?」
常夜鍋恒例の〆のうどんを食べ終わり、みんなで食後のお茶を飲んでいると、和音が不意にそんなことを尋ねてきた。
「お客っていうか……あれは視察かな?」
俺が答えると、和音が横から口を挟む。
「え? 視察って……いったい誰が来たの?」
「大学の助教授だよ。俺が受けてる生物学の先生」
「生物の? でもどうして先生が……」
「まぁ色々とあってね。進路相談とか色々とお世話になったお礼も兼ねて招待したんだよ」
俺がそう言うと、和音は目を丸くして「はぇー」と驚いた。
「すっごく綺麗な人だったわよね? 学内じゃ男女問わず人気があるんですって。それもスタイル抜群のイギリス人」
「ちょっ、華菜さん? またそんな言い方すると……」
「へぇ~? ソーゴ兄はそういう女性が好みなんだ? はっ!? まさか下心があって近付いたんじゃ……」
ほら! やっぱりこういう流れになるから!
「なわけないだろ。あの人はそういうのに敏感なんだから」
俺はそう断言すると、熱いお茶を口に含む。すると華菜さんは頬に人差し指を当てながら首を傾げ始めた。
「そうかしら? でも先生、夜中にコソコソとソーゴ君の部屋を覗こうとしてたわよ?」
「ぶふぉっ!? は、はぁ~!?」
ゴホッ、ゲホッ……む、むせてしまった。
いきなりなんちゅうデマカセを言うんだ華菜さんは。
「もう、そんなたちの悪い冗談はやめてくださいよ!」
「嘘じゃないんだけど……まぁ、女のことは女にしか分からないものなのかしらね~?」
またそうやって、ニタニタと意地の悪い笑みでそんなことを言う。
さては俺と先生が二人っきりでいたことをまだ根に持っているな!?
「ほら、和音も食べ終わったんならさっさと帰れよ。期末テストがもうすぐなのに、全然勉強してないってお前の母さんが愚痴っていたぞ?」
無理やり話を逸らそうと、俺はターゲットを和音に変えて話しかける。
「うぐっ……で、でもっ! 昨日は家の畑の手伝いしてたし!」
「それとこれとは別」
俺はお茶を飲み干すと自分の使った食器を片付けはじめる。俺は洗い物係なので、台所へそれを運ぶのだ。
するとそれを見た和音が慌てて立ち上がる。
「あ、お兄ちゃんアタシも手伝うよ! ご馳走になったお礼に」
「じゃあお願いするかな……だがそれで勉強のことを誤魔化せると思うなよ?」
「わ、分かってるってば。それにほら。今日はあの子の月命日でしょ? お墓にお参りしてから帰るよ」
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