幕間ー1
「少しよろしいでしょうか」
「なんだ、入りたまえ」
部屋の主の許可を得た来客は、少々重く固い扉をすんなりと開けて中へ入る。
鋼鉄で囲まれ無機質で武骨な部屋の中は、所狭しに置かれた価値だけで選ばれた調度品や絵画で溢れ返っており、我が強過ぎるそれらは一切調和していない。
どうにか豪奢な部屋にしたかったのであろうことが見て取れるが、端的に言ってしまえば成金趣味剥き出しの下品で趣味の悪い部屋だ。
そんな下品な部屋のでっぷりとした主とは対照的に、一切無駄な贅肉が無い程鍛え上げられた肉体を持つ来客、コモエンティス中尉は顔を顰めそうになるが堪える。
この部屋を作り上げる為に、どれだけ光導王国との取引から中抜きしたのだろうかと考えてしまうと怒りが沸いて来るがこれも堪える。
自分をあまりよく思っていない上司の機嫌を僅かでも損なえば後が面倒だからだ。
「艦長、今回の一件は流石にやり過ぎかと思うのですが」
癖が強い独特な香りの葉巻を吸いながら、モノッコはやはり来たかという顔をしつつコモエンティスを睨みつける。
「コモエンティス君、いいかね、これは帝国の利益を守る為の作戦なのだ。君だって知っているだろう、王国が反逆を起こそうとしているのは。この作戦は愚かなことを考えた王国への忠告であり罰なのだよ。ならば何をしたとてやり過ぎと言うことはないと私は考えるがね」
ぶはーっとこれ見よがしに口に貯めた煙をモノッコはコモエンティスに吐き出す。
無礼極まりない行いにも、やはりコモエンティスは煮えくり返る腹の内を顔に出さない。
この船に配属されて以来、彼から無礼な行いをされるのは今に始まったことではなく、こうして耐えるのは日常茶飯事であり、慣れたものなのだ。
モノッコは典型的なドラスティア帝国人だ。
帝国臣民と呼ばれる自分達が正解の頂点であると信じて疑わず、他国の人間を須らく軽んじ、隷属民と呼んで使い捨ての物や害虫と変わらぬものとして扱う。
それは相手が他国の首相や貴族、王族だろうと関係ない。
では、コモエンティスは帝国臣民では無いのか。
無論、軍艦の副長という重要な役職に任命されるくらいなのだから帝国臣民に決まっている。
ただし、半分だけと注釈は付く。
彼は帝国臣民と隷属民の間に生まれた。
帝国本土では奴隷制度が推奨されており、隷属民は奴隷として扱われ、農作業や工事、工場仕事などの企業単位からペットの世話や子守り、家庭での雑務と言った目的での個人単位まで規模の大小はあれど安価な労働力として広く浸透している。
それだけに、当然ながら邪な欲求の発散相手として奴隷を所有する者も多くおり、ベインス・コモエンティスの母もそうした扱いを受けて彼を身ごもった。
基本的には帝国臣民と奴隷や隷属民との間の子供は帝国臣民として扱われることはなく、運よく無事生まれたとしてもその未来は決して明るくはない。
だが、極稀になんらかの才能を持っていたり、帝国臣民側の親の家に子宝が恵まれない場合は養子として迎え入れられることがある。
ベインスも本妻との間に長年子供が出来なかった父によって幼い頃に母と無理やり引き離され、コモエンティス家の養子となった。
奴隷身分から唯一、這い上がれる道だと幼いながらに理解していたベインスは、虐待に近い教育と実父と義母からの蔑みの目に耐え続け、必死に己を磨いた。
いずれはそれなりの社会的地位を築いて、どこにいるかも分からない母を探し出し、買い取る為に。
彼の必死の努力は士官学校主席入学という実を結んだ。
流石にそこまでの成果を見せつけられてしまえば、コモエンティス家も周りの帝国臣民というだけで混血のベインスをあざ笑っていた学友たちも何も言えなくなり、彼の人生は幼き頃に夢見た通りに開かれたかの様に見えた。
しかし、士官学校の卒業が間近に迫ったある日、彼は一通の手紙で突如コモエンティス家の跡継ぎの座を失った。
原因は彼の失態でもなければ家が破産し、受け継ぐもの全てを失った訳でもない。
長年の不妊治療の結果、義母が高齢ながらも懐妊、男子を出産したのだ。
こうしてベインスは跡継ぎの座を名も知らぬ腹違いの弟に譲る羽目となった。
そこからの彼は崖から落ちる岩よりも早く出世街道から転落していった。
辛うじて家から追い出されることは無かったが、軍上層部である父の後ろ盾は失われ、士官学校卒業後は主席卒業者とは思えぬ僻地への配属が決定された。
この人事は疎ましい存在ながらも、捨てるには惜しいと感じてしまった父の意向が反映された結果なのではとベインスは考えている。
その後、ベインスは世界中の帝国臣民ならば誰もが行きたがらないような場所の駐屯艦へたらい回しの様に転属させらた。
しかし、彼は母の為にと腐らずに軍人としての職務を果たし続けた結果、多少の出世に成功し、今に至るのだ。
だからベインスは混血だと自分を侮り、蔑み、軽蔑してくる私腹を肥やすか出世にしか興味の無い上官にも、時折受け入れられないのは分かっていながらも意見具申しつつ付き従ってきた。
いつか本国へ配属されることを夢見て。
「お言葉ですが、反逆を企てているのは美乃姫を始めとした王国上層部のみ。港周辺に住んでいる一般市民達にはなんの咎も無いはずです。彼らを巻き込む可能性のある本作戦は非人道的であり、中止すべきかと愚考致します」
ベインスの中元を、モノッコは鼻で笑い飛ばす。
「私の立案した作戦を君は非人道的だと言いたい訳か。私はそうは思わん。そもそもこんな僻地に住む未開の猿とさして変わらぬ者たちを君は人間としてみているとは目が腐ってるんじゃないのかね」
ベインスは湧き出る怒りが外へと溢れぬ様に固く拳を握りしめる。
帝国軍人としてモノッコとベインス、どちらが正しいかと問われれば前者だ。
軍人でなくとも、帝国臣民ならば大体はモノッコの作戦を支持するだろう。
それだけ帝国臣民にとって、彼らの言うところの隷属民への扱いは人を人とは思わぬ酷いものなのだ。
「光導王国の文明レベルは確かに我々に劣るものかもしれません。ですが、彼らには彼ら独自の文化、技術があり、中には目を張る物もあります。一概に未開と言うのは早計かと」
「君は隷属民の肩を持つ訳か。これだから隷属民の血が入っている様な者を部下にはしたくないのだ。もういい、出て行きたまえ。君と話していると気分が悪くなってくる」
「……分かりました」
渋々ベインスが部屋から出ると、通信科の士官であるファルケン伍長が立っていた。
「あの噂、本当だったんですか」
どうやら彼は二人の会話に聞き耳を立てていたようだ。
頬に赤い跡がその証拠である。
「盗み聞きはよくないぞファルケン伍長」
謝罪しながらも、ファルケンの目に怒りの炎が燃え盛っているのをベインスは感じた。
彼も又、モノッコの、帝国のやり方や思想に疑問を持っているのだ。
ファルケンの両親はともに帝国臣民であり、いわば彼は純潔の帝国臣民だ。
だから元々は帝国に植え付けられた思想になんの疑問も持っておらず、正しいものだと信じていた。
だが、初めての配属先であるこの船でベインスと出会ったことによって彼の中に隷属民へのイメージが変わった。
ベインスは隷属民の血が流れながらも非常に優秀で尊敬出来る人物であり、隷属民全てを劣っていると決めつけている帝国の思想にファルケンは疑念を感じる様になった。
その疑念は光導王国の人々と関りを持つ内に確信へと変わり、帝国の思想は間違ったものだと考える様になっていた。
「今回の一件、噂を聞いた貴方を慕う他の者も苦言を呈しています。貴方が立ち上がるのならば、共に光導王国に骨をうずめても良いとさえ言う者までいます」
声を荒げるファルケンに声のボリュームを落とす様ベインスはジェスチャーする。
「滅多なことを言うんじゃない。誰かに聞かれれば軍法会議ものだぞ」
「分かっています。しかし!」
一度は下がったファルケンの声のボリュームが、興奮からか跳ね上がる。
「落ち着きたまえ。私と君たちだけでどうこう出来る問題ではない。情けない話だが、光導王国が自力で答えに辿り着くのを祈るくらいしか私たちには出来ないんだ」
敬愛する上官の情け無い口振にファルケンは噛み付く。
「副長は御母上のことがあるから踏ん切りがつかないのではありませんか? 本当に御母上のことを思うのならば、変えるべきはご自身の立場ではなく帝国だと私は考えます」
「……この話はここまでだファルケン伍長。持ち場に戻りなさい」
ファルケンが言い過ぎたと気付いた時には既にベインスは去った後だった。
ベインスとて、出来ることならば今すぐにでもモノッコの非道な作戦を光導王国に伝えたいと思っている。
だが、そんなことをすれば母を買い取り、再び共に暮らすという願いは潰えてしまうだろう。
ベインスは揺れ動く。
自分を生んでくれた母を取るか、母の生まれ故郷を取るかの二択の狭間で。
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