第一章ー20
ライヒアンス号。
それは様々な分野の技術を100年先へ進めたとまで言われるシュードライフシステムを利用した画期的な機関を積んだ船の名だ。
処女航海の後、ライヒアンス号はセレブや上流階級向けの観光客船として運用されていた。
当時はまだシュードライフシステム自体が一般には殆ど普及しておらず、民間会社所有の船に搭載されたのは異例のことで、建造計画が発表された時には紙面を大いに賑わわせた。
その為、今からすればかなりのぼったくり価格だったにも関わらず毎回チケットは即完売であった。
一か八かの大博打で多額の予算をつぎ込みライヒアンス号を建造した観光会社は賭けに勝ち、笑いが止まらなくなる程儲けたのは観光業界内ではちょっとした伝説になっている。
そんな当時としては最新鋭の船として話題で合ったライヒアンス号も建造から20年近くも経てばすっかり旧式と成り果て、足が速くより快適な船旅を確約する新造船達に活躍の場を奪われてしまった。
しばらくの間は広大な川を遡上する観光ツアーに使われていたが、あちらこちらにガタがき始め、旧式故に修理やメンテナンス用のパーツ調達も難しくなったことが致命打となり、役目を終えて港に放置される様になった。
こうして、時折パーティー会場として使われる以外は解体を待つ身となっていたライヒアンス号は、国から要請を受けた所有会社がこれ幸いとばかりに美乃へと売却し、テラスと共に遠路遥々光導王国へとやって来たのであった。
そんなライヒアンス号は今、老体に鞭打たれ、船体や機関から異音を悲鳴代わりに上げながらひた走っていた。
意思があれば私に任せろ、港まで全力で走ってやるとやる気満々なのか、それともこんな扱いを受けるのならばあのまま解体されていればよかったと泣き叫んでいるのか。
どちらにしろライヒアンス号は今、美乃に買われる以前、港に放置されていた頃を知る者が見れば、あの船はこんなに速度が出たのかと驚愕するであろう速度が出ている。
「この船、途中でバラバラになったりしないよね。それか爆発したりとか」
「その時は我が助けてやるから情けない心配をするでない。小物臭いぞ」
異音から生まれた当然の心配ごとを口にしただけなのに小物臭いは言い過ぎだろと思う。
現にテラスは頬白島を出航した後、様子を見に行ったきり機関室から戻って来ないのはきっと無理を強いているエンジンらしき物——そう言えばこの船の動力機関について聞くのをすっかり忘れていた——を宥めすかすのに必死になっているからの筈だ。
甲板でも船員達が各々、周辺の警戒や武器の用意と言った仕事を慌ただしくこなしていた。
武器と言っても急な出航だった為に大砲は積み込めておらず、昨日の一件から数人の船員がもしもの備えにと持ち込んだ私物の弓や単発式の猟銃くらいしか真面な武器は無い。
正直なところ、海賊たちが所持していると思われる帝国製の武器と比べると無いよりは幾分かマシ程度の物なのだが、持ち主たちはいつでも使える様に用意を始めていた。
正に戦場になるであろう港に着く前に、船上が戦場になっていた。
人間、手持ち無沙汰だとつまらない親父ギャグを思いついてしまうものなのだろうか。
この非常時に何を考えているんだと心の中で自分を叱責しながら、気分を切り替える為に深呼吸をする。
「どうした? また気分でも悪いのか? 主は揺れに弱すぎるのう」
「違うよ。ちょっと気持ちを切り替えたかっただけ」
「そうか。ここが落ち着かんと言うのならば空でも飛ぶか?」
「そっちの方が落ち着かないよ! 別にもう大丈夫だし」
僕を見下ろしていたガイナはつまらなそうに視線を海へと戻した。
実は揺れで体勢を頻繁に崩すものだから見かねたガイナが肩を持って支えてくれているのだが、よく考えればいつでもテイクオフされる危険性があるこの状態は少し恐ろしい。
速さとしては現代の観光船や遊覧船に毛が生えた程度なのだが、揺れはこちらの方が圧倒的に酷い。
だが、張り詰める緊張感のお陰なのか幸いにも船酔いは鳴りを潜めていた。
僕たちの到着が僅かでも遅れれば、流れるのは僕の吐しゃ物ではなく罪無き人々の血なのだ。
そのことを思えば酔って海か便器に向かってゲーゲーしている場合では無いのだから有難い。
しかし、今回の一件、首謀者はなんと言うか、馬鹿なのだろうか。
燃え残りの資料から得た情報と状況を合わせれば、首謀者の立てた計画が僕にすら推測できた。
それ故に、計画に穴が多いと言うか、短絡的と言うか、上手く言えないが、とにかくこの計画が成功すると思って実行するなんて首謀者は馬鹿としか言いようがない。
「あの人って馬鹿なんですか? それとも僕には分からない裏があるんですか?」
船の速度が遅いと言って今にも船首から海に飛び込んで泳ぎ出さんばかりに港があるのであろう方を見続ける美乃は目線を変えることなく答える。
「向こうがこちらを馬鹿と思っているのです。隷属民如きに偉大な帝国臣民である自分の計画を見抜ける訳がないとでも考えているのです。そこに焦りと劣等感が足されて余計に計画が杜撰になったのしょう。こんな世界の片隅にある小国にいるのは出世コースから外れた証ですからね。なんとしてでも一旗上げて本国に帰ろうという腹積もりかと。帝国の人間からすれば、己の利益になるのならば他国の人間がどうなっても構わないのです」
どこの世界でも出世争いが熾烈を極めるのは変わりないらしい。
周りをどれだけ巻き込んで気にしないことも。
人間の醜い側面もまた、異世界においても変わらない様だ。
「港に着いたらどうするんですか?」
「可能ならば当初の予定通りに証人として数人の捕虜と使っている武器を押さえたい所なのですが、最優先は民の命。状況によっては全て沈めます。いえ、沈めて貰うと言った方が正しいですね。ガイナ様の力をお借りして。証拠なら七海様が見つけてくださった書類だけでも十分ですから」
「それならガイナを先行させた方がいいんじゃ」
人間形態でもこの船よりも遥かに早いのだからその方が余程いいはずだ。
同行はしたくないが。
「あの港は我が国にとって重要な施設ですので、焚火と同じ運命を辿られると困ります。もう再度同じ物を作れるだけの余力はありませんから。もちろんガイナ様を信用していない訳ではありませんが、現場を視認できる場所には私もいた方が何かと都合がいいでしょう。七海様だって後から全て私の指示だったと言える方がよろしいのでは?」
チクリと棘のある物言いだが、言われるだけの実績というか前科があるので仕方がない。
それに全責任を負う立場にある人間が現場に同行して直接指示を出したことにして責任を負ってくれると言うのならば、功を焦って勝手に動くよりも大人しく言われた通りにしているのが吉だ。
今回の様に人命が掛かっている時は尚更である。
僕の表情から心中を察したのか、露骨にこいつは情けないな、みたいな顔をガイナはしているが、見なかったことにしよう。
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