第一章ー15

 暑い日の梅雨の様なじっとりとした蒸し暑さと息苦しさで目を開けると、視界に映るもの全てが褐色であった。


 摩訶不思議だな、まだ半ば夢の世界に片足を突っ込んでいるのかと思いながら体を動かそうとするが、動かない。


 以前経験したことのある金縛りにまた合っているのだろうか。


 しかし思い返せば、あの時は指先一つ全く動かない状況だったが今回は大きく動けないだけで多少の自由はある為、金縛りとはまた違う状態な気がする。


 それにもっちりしっとりとした感触が肌から伝わってくるのがより金縛りに合っている説を否定してくる。


 まるで何かに絡みつかれている感じだ。


「おや、お目覚めか主。昨日は激しかったな」


 頭の上から聞こえる声の方を見ると、赤い瞳がこちらを見つめていた。


 ぼんやりと寝ぼけていた頭に電流が走り、一気に目が覚めた僕は瞬時に動けない理由を察し、ガイナから逃れようとジタバタと藻掻く。


 しかし、当然ながら力で勝てない僕はガイナが拘束に使っている手足により力を入れたせいで、柔らかな双丘に顔が沈んでしまい呼吸が苦しくなる。


「なんじゃ、急に暴れるでない。もう少し楽しもうぞ。……もしや漏れそうなのか? 流石に我に引っかけられては堪らんな。いや、主がそういう趣味と言うなら甘んじて受けいれる覚悟はあるぞ」


「そんな特殊性癖ないよ!」


 僕を拘束していた両手両足を離したガイナから、あらぬ疑いを否定しつつ慌てて距離を取る。


 離れてみると分かったが、ガイナは素っ裸で僕のことを抱きしめていたらしい。


 そして僕も裸だった。


 昨夜は用意されていたオーバーサイズで全く似合わないバスローブを着て眠った筈だ。


「なななななんで僕もガイナも裸なんだよ! 昨日寝た時はちゃんとバスローブを着てたはずなのに!」


「それは主が夜中に起き出して獣の如く我に覆い被さったからではないか」


 ガイナは瞳を潤ませ、体をくねら頬に手を当てながら恥ずかしそうに顔を赤らめる。


 釣られて僕も一気に顔が熱くなるのを感じながら、昨夜のことを振り返るがそんな記憶は全く無い。


 ガイナ程の美女と素敵な一夜を過ごした記憶など、余程の量の酒でも飲んでいない限り忘れる筈がない。


 そもそも酒が入ろうが何しようが僕に獣になる勇気などある訳が無いのだ。


 そこまで状況が整理出来た僕は気付いた。


「……悪ふざけは止めてよね、ガイナ」


「はあ、もう気付きおったか。つまらん。そうじゃ、昨夜は何も無かったし、主の言う通りひん剥いて抱きしめていたのはちょっとした悪戯じゃよ。じゃが、主の可愛らしい主は随分と元気ではないか。仕方ないのう、我で良ければ慰めてやるぞ」


 ニタニタ笑うガイナの指摘に慌てて両手で股間を隠す。


 事実ではあるが可愛いは余計なお世話である。


「七海様、ガイナ様、失礼してもよろしいでしょうか?」


「あ、はい、どうぞ」


 羞恥心や怒りで頭が支配されていたせいで、自分とガイナがどういう状況なのかすっかり頭から抜け落ちてしまい、 脊髄反射で返事をしてしまう。


 扉を開けて入って来た美乃は少し驚いた風に口元に手を当て、忍は汚らわしいものでも見るかのような目で睨みつけてきた。


「あらあら、朝から随分お元気ですね。朝食の時間、ずらしましょうか?」


「え、あ、すいません!」


 しまったと思った時にはもう手遅れ。


 美乃の気遣いが今はただただ辛いだけであった。


 悪戯がより面白い方向に発展して満足気に腹を抱えて笑うガイナを余所に、恥ずかしさで死にそうな僕はベッド脇にぐちゃぐちゃの状態で放置されているバスローブをいそいそと羽織るのであった。



「今朝はすみませんでした」


 昨日と同じくホールで朝食を食べながら美乃に謝るが、恥ずかしさの余り彼女の顔を真面に見れず、顔も火照りっぱなしだ。


 僕はそんな有様だというのに原因たるガイナは今朝のことはどこ吹く風で骨の硬い魚を頭からバリバリと食べている。


 豪快な食べ方の割りには以外にも箸を器用に使いこなしているのが不思議だ。


 どこで覚えたのだろうか。


「いえいえ、若い男性なら仕方ないですよ。今度からは返事があっても扉は開けない様にしますね」


「おや、何かあったのですか?」


 食文化が違う国から来たはずなのに、ガイナ同様器用に箸を使いこなすテラスが興味深げに尋ねる。


「それがですね、お二人ったら朝からお元気で……」


「そ、それ以上は言わないでください! あれはガイナの悪戯で、何も無かったんですって!」


「ああ、そういうことですか。 ガイナさんの変化はそんな行為が出来るまでに精巧なものとは思いませんでした。生物学は齧った程度ですが中々興味深い」


 何かを察した顔をテラスはするが、多分勘違いしている。


 これは訂正すればするほど余計に勘違いされるだけだと思った僕は、やけっぱちになりながらご飯を口へとかき込み、盛大に喉に詰めてしまう。


「主、ちゃんと飯は噛まんと体に悪いぞ」


 誰のせいでこうなっているんだと心の中でツッコミを入れながらお茶を一気飲みしていると、忍とは別のメイドが入ってきて何やら美乃に耳打ちしてホールから出て行った。


「七海様、ガイナ様、食事が終わり次第、城にお付き合いください」



 ちゃんと味わえなかった食事の後、僕たちは再び王城へと向かう馬車に揺られていた。


 今回用がある僕とガイナだけではなくテラスも同乗していたが、途中、港で降りた。


 船のメンテナンスの最終確認をしたいとのことだった。


「陛下の御用って一体なんでしょうか?」


「使いの者はそこまでは言っていなかった様です。ですが昨日も言いましたが、今の王国では色々と面倒ごとには事欠かないですから恐らくは……」


 つまりは荒事を解決しろとか、そういう系統で一仕事させられるのだろうか。


 実際に動くのはガイナとはいえ、朝っぱらから先日の彼女の暴れっぷりを思い出すと気分が良いものではない。


 ちゃんと噛まずに食べた朝食が喉の一歩手前までせり上がってくる。


 とは言え、これからは何度もあの光景を見ることになるのだろうから、少しは慣れなければ。


 働かざる者、食うべからずなのだから。

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