第一章ー9

 申し訳ないとは思いつつも、テラスの大きな背に隠れて馬車が待つという港の入り口に辿り着くことが出来た。


 学生時代もよくこんな感じで体格の良いクラスメイトに便乗して移動したものだ。


 無論そんな真似をすれば嫌がられるのではと思う人も多いだろうが、コツさえつかめば案外隠れ蓑にされている本人には気付かれないので嫌も何もないのである。


 こうして江戸によく似た街並みには似つかわしくない西洋風の馬車に乗りこんだところで、行き先を聞いていなかったことに僕は気付いた。


「あの、これからどこへ行くんでしょうか?」


金烏城きんうじょう、この国を治める王、私の父の居城です。本来ならば私の屋敷でゆっくりとお休みいただきたいところなのですが、皆様を先に父へ会わせたいのです」


 大変なことになってしまった。


 ただ、一晩の宿を求めての行動がまさかこんなことになろうとは誰が想像出来ただろうか。


 少なくとも僕の貧相な想像力では無理だ。


 ドクンドクンと自分の心臓が張り裂けんばかりに鼓動する。


 突然国家元首たる王に会えと言われては、緊張するどころの騒ぎではない。


 ビジネスマナーもメールの文章位しか知らないのに、貴人に対する礼儀作法など、これまでの人生でとんと縁が無かったので全く分からない。


 おまけに服は長年着古して首元がダルダルになった長袖のシャツに丈が合わないので裾を折ったヨレヨレのジーンズ。


 こうして改めて自分の服装を見直すと、そもそも仕事の打ち合わせに向かう格好でもないなと思う。


 やはり、吊るしの安物でもいいからスーツ位はケチらずに買っておくべきだった。


 いや、今はそんな反省をしている場合ではない。


「この世界の礼儀作法とか全く分からないので、僕とガイナは遠慮させてもらうってことじゃダメですかね? 失礼があってはいけませんし」


「どうしても父に会っていただきたいので駄目ですね。それに、お二人にとっても悪くない提案がありますので」


 今すぐにでもガイナに頼んで馬車から逃げてやろうかと思ってしまったが、思い留まる。


 異世界の勝手が分からぬ国での文無し生活など、考えるだけでも嫌だからだ。


 ここは、どうにか王との謁見を何事もなく切り抜けられるように天に祈るしかないだろう。


 祈ったところで、僕らを管理していると嘯く存在が神様の正体だとしたら当てには出来ないし、する気も失せる。


 その神様のミスで今こうなっているのだから。


「あまり緊張しなくても大丈夫ですよ。父はその手のことを気にする人間ではありませんから。それに、貴方が話している相手だって一応姫なんですから礼儀作法がどうこうは今更の話ですしね」


 気さくで話しやすい雰囲気で警戒心も薄れてしまいすっかり忘れていたが、美乃はお姫様だ。


 彼女の言う通り今更な話なのかもしれない。


「謁見が終われば私の屋敷で精一杯の御持て成しをさせていただきますから、頑張ってください。ねえ、忍」


「はい、姫様。陛下と謁見されている間にお部屋とお食事のご用意は済ませておきます」


 定員オーバーで馬車に乗れずに御者台に乗っている忍が小窓越しに返事をしてきた。


「主よ、いつまでも情けないことを言うでない。たかが人間一人に会うくらい、どうということはなかろうに」


 多分ガイナは身分の違いや、王様に失礼な言動すればどんな不味い事態に発展するか理解していないだろうからそんなことが言えるのだ。


 まあ、王様だろうが取引相手だろうが誰であっても面と向かって話すのが苦手な僕にはある意味関係はないのかもしれない。


 どちらにしろ上手く話せる自信など全くないのだから。


 こうなればやるしかないと覚悟決めながらも、その覚悟は数秒と持たず消え去り思わず頭を抱え込んでしまう。


「私もこの国のマナーは知りませんからお仲間ですよ」


 励ますように肩に手を置いて来たテラスの気遣いに、少しだけ心が軽くなった気がする。


「姫様、皆様方、金烏城に到着しました」


 緊張のせいか気付かぬうちに馬車は目的地に到着したらしい。


 恐る恐る馬車から降りてみるとそこは既に城門の内であった。


 数多の石をパズルの如く積み重ねて作られた堅牢な石垣に城門から外をぐるりと囲むように掘られている水が張られた深い堀。


 真っ白い城壁と瓦屋根のツートンカラーの城の天守閣には鯱ではなく二対の金色に輝く烏の像が飾られている。


 街並みから想像出来たことではあるが、城もやはり日本の城と殆ど同じだ。


 これから会うのは王冠を被った王様ではなく、ちょんまげを結った殿様なんじゃないかと思えてきた。


「姫様、無事の御戻り何よりでございます」


 時代劇の中でしか見たことの無い、裃を着た男が背後に同じような服装の男や着物姿の女たちを従えて馬車の到着を待ち構えていた。


 よく見るとほんの一握りではあるが洋装の者もいる。


「毎度毎度こんな出迎えはいいと言っているのに、源二郎」


「何を仰いますか。姫様の御戻りに出迎えの一つもしないとはそれこそ民や諸外国に示しがつきません。それに此奴等は放っておいても勝手に仕事を放り出して出迎えに出てしまいますから。それならば私が端から場を纏めて出迎えの準備をした方が面倒がありませぬ故」


「偉そうなこと言っておいて源二郎様だって港に船が着いたって聞いてずっとソワソワしてたじゃないですか」


 控えていた一人の発言を皮切りに厳粛な空気はどこへやら、皆が一様にそうだそうだと騒ぎ出した。


「ええい、五月蠅い五月蠅い! 私は姫様たちを陛下の元へとお連れするからお主らはさっさと持ち場に戻れ。書類の山が待っておるぞ」


 源二郎の一喝で、集まっていた人たちはすごすごと持ち場へと帰っていった。


 咳払いをして緩み切った雰囲気を締め直した源二郎は改まった顔をして頭を下げる。


「お客様の前で失礼いたしました。私は国王補佐の本田源二郎ほんだげんじろうと申します。遠路遥々ようこそおいでくださいました。陛下がお待ちですので、ご案内いたします」


 源二郎の案内で城内へと入り、いよいよ王様との謁見が間近になった僕はキリキリとした痛みを発するお腹を摩った。

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