第一章ー8
ガイナがまさかの美女化という珍事はあれど、無事に船が入港出来たことに肩の荷が下りる。
ここまでくれば流石に海賊なんかに襲われる心配はもうないはずだ。
トラウマになること必至の惨状を見る羽目にならず、ほっと胸を撫でおろしながら僕はキョロキョロと港の様子を観察する。
大きな港の割には、意外にも湾内は閑散としており寂しさを感じる。
防波堤や灯篭に似た建物——恐らく灯台なのだろう——にはコンクリートなどの近代的な建築資材が一切使われておらず、匠の技を連想させる石造りであった。
学生時代に教科書か何かで見た江戸時代だったか、明治時代だったかの港によく似ている。
そのせいか、小さな木造船が数隻停泊している中にある一隻の船が異彩を放ち、酷く目立っていた。
鉛色の金属で出来たその船は、港や他の船に比べるとこの船だけ時代が一世紀も二世紀も先の技術で建造された様に見える。
まるでタイムスリップしてきたかの様な船だ。
異世界なのに。
見た目だけなら第二次世界大戦辺りの駆逐艦によく似ている気がする。
ただ、不思議なことに煙突が見当たらない。
代わりに元の世界の物より艦橋が大きく、武装らしき物の数も多い気がする。
そういえば今乗っているこの船も帆船ではなく外輪船だが、蒸気機関で動いているわけではないのか煙突が無い。
一体どんな動力機関でこの世界の船は動いているのだろうか。
幼い頃から海が好きなので、海が舞台となっている映画やアニメに漫画はよく見ていたので船についても多少なりとも知識がある。
だが、何から何まで分かるかと問われれば答えは否だ。
あくまで舞台装置として登場した船の知識だから正しいものなのかすら怪しい。
機会があれば色々と船について美乃に尋ねてみようかと考えていると、タイミングよく美乃に声を掛けられた。
「間もなく港に接岸しますから下船の用意をお願いします」
下船の用意をと言われても、着の身着のままでこの世界に放り出されたのだから用意もヘチマもない。
仕事道具が入ったリュックはおろか、ポケットの中にあったはずのスマホや財布まで無くなっているのは流石に酷いと思う。
あったところで電波も電気も無いであろうこの世界ではさして役に立たない気もするが。
なんなら接岸次第直ぐにでも降りて街を散策してみたいところだが、美乃や船員たちはバタバタと忙しそうにしているので、下手に我儘を言うべきではないだろう。
「童みたくうずうずしおってからに。どうするんじゃ主、この姿のままでも主を抱えて飛ぶくらい造作もないが」
「いや、止めておきます。勝手なことをすれば美乃さんに迷惑かけちゃいますし」
ガイナの魅力的な提案を却下しておきながらも背中から羽が生えるのか、それとも魔法でふんわり浮遊するのか、人間の姿でどうやって飛ぶのかは大いに気になるところではあり後ろ髪を引かれてしまう。
ともあれ、つまらなそうに鼻を鳴らすガイナを余所に僕は下船出来る様になるまで欄干にもたれ掛りながら街の様子を観察することにした。
街は違う世界だというのに、ここまで似るものなのかと感心してしまうくらい時代劇などでよく見る江戸時代の街並みにそっくりだ。
遠くから見た時に黄金の街と勘違いした原因は、光が反射した瓦屋根だったらしい。
街行く人々の服装まで和服そっくりときたものだから思わず異世界に来たのではなくタイムスリップしたのではと勘違いしそうになる。
背後から再び胸を頭の上に置いて来た存在が違うと教えてくれているのだが。
ふと疑問が頭を過ぎる。
「そういえばガイナさん以外にも竜っているの?」
「人間程わんさかはおらんがおるとも。この辺りを我の縄張りとしてから長いこと他の竜は見ておらんがな。竜以外にも人間共が魔獣と呼ぶ存在であればその辺にいくらでもおるから、見たいと言うなら今からでもひとっ飛びしてやるぞ」
「それも今は止めておきます。折角の宿と謝礼をパーには出来ないし」
「存外主はみみっちいのう。我の主ならばもっと豪放磊落になって欲しいもんじゃが」
生来の性根のことばかりは放っておいて欲しい。
ガイナとそんなやり取りをしている内に船は港へと接岸を完了し、船員たちは船倉から荷物の陸揚げを始めた。
港では待ってましたとばかりに人足たちが受け取った荷物を運んでいく。
一国の姫の帰国なのだからもっと歓迎ムードなのかと思っていたせいで少し拍子抜けしてしまう。
「すみません、荷物の陸揚げを優先していますので下船はもう少しお待ちください」
「分かりました。別に僕たち行く当てもないですし、お構いなく」
余程忙しいのか、美乃は僕の返事を聞ききらぬ内に小走りで去ってしまった。
美乃が去った後、手持ち無沙汰の僕は心地よい潮風に当たりながらのんびりとした時間を過ごすことにした。
ガイナも僕に合わせて、時折大欠伸をしながら軍艦を眺めている。
「あれ、美味そうじゃな」
そんな呟きが聞こえた気がしたが、きっと僕の気のせいだろう。
「そういえば主よ、我に対して遜った言葉遣いはこれから先は止めた方が良い」
「どうしたんですか急に」
「こうして直に言葉を交わすようになったからにはその方が良い。下僕に毅然とした態度を取れぬ者は他の者から舐められるだろうからな。動物だろうが人間だろうがそこは変わらんじゃろ」
ガイナは人間の姿になってから魔法で直接脳内に語り掛けるのではなく、口で話している。
つまり他人に会話を聞かれることも当然あるからこそ忠告してくれたのだろう。
未だに強大な力を持つガイナへの畏怖がある為に、偉そうな口調で話すのは恐れ多いと思ってしまう。
しかし、この先のことを考えればガイナの言う通りにすべきだとも思う。
折角の第二の生なんだ。
これを機に少しはコミュニケーション能力を改善する努力をしていこうと胸に誓う。
「分かったよガイナ。……こんな感じで大丈夫ですかね?」
「もう少し偉そうでも構わんが、一先ずは良しとしよう」
僕には主人らしくしろと言うのに、自分は下僕らしくしないのかとガイナに言いたくなるが、言うだけ無駄な気がしたので口には出さないことにした。
「ご歓談中にすみません、下船の用意が出来ましたのでご一緒にどうぞ」
そんなやり取りをしていたせいか、いつの間にか時間が経っていたらしく、ようやく下船する運びとなった。
港に降り立つと、人足や船員たちの中に酷く目立つ浅黒い肌の男がいた。
肌の色もそうだが、群を抜いて高い背が目立つ原因になっている。
かなりの猫背だが、それでも180センチは超えているだろう。
実に羨ましい限りだ。
「彼、やっぱりうちの国だと目立ちますね」
失礼だとは思いながらもじっと見てしまった僕の視線が向かう先が何か美乃が気付いたらしい。
「あの人は誰なんですか?」
「私が技術指南の為に招いたお客様です。テラス様、そろそろ行きますよ」
何やら船員たちに指示を出していたらしい彼は、美乃の声に気付いて手を上げた。
「分かりました。では、皆さん教えた通りの手順で船を整備してみてください。但し、私が戻って確認するまでは動かさない様に」
くたびれた背広姿の彼がこちらに近づいて来ると、余計に大きく見える。
「どうも、私はエジン・テラス。貴方のお陰で無事に光導王国に辿り着けたそうで。ありがとうございます」
握手を求められた手を握り返すと、痩せた細い指ながら骨以外の硬い感触——ペンダコの様な物——を感じた。
「お二人共、親睦を深めるのは移動しながらでお願いします。お父様が首を長くして待っているでしょうから」
美乃にやんわりと急かされ、僕たち港の入り口で待っているらしい馬車に向かって歩き始めた。
忍に日傘をさされた美乃の後について歩くのだが、周囲の視線が集まっている気がして居た堪れない気持ちになる。
姫に対してというより、自分やガイナ、そしてテラスに向かって視線は集まっているようだ。
(目立つのは苦手なのにな)
こんな時、いつもならパーカーのフードを目深に被って少しでも視線が気にならない様にするのだが、今はそのパーカーをガイナに着せているのでそうはいかない。
責めて少しでも早く馬車に乗れることを祈りながら、僕はただただ美乃の後を追うことしか出来ないのであった。
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