第一章ー6

 何か、音が聞こえる。


 寝ぼけ眼でじっくり聞くと、音の正体が分かった。


 コンコンとリズミカルに木製の扉を叩く音だ。


 一体誰なのだろうか。


 正体を確かめに行こうにも、ベッドから起き上がれない。


 何故だか分からないがとてつもなく眠いうえに、心地良い揺れが睡魔をより強力にしてくるからだ。


 もう、ノックをしているのが誰かなんてどうでもいい。


 悪いが居留守を決めてもう少し眠らせてもらおう。


 どうせ僕の部屋を訪ねて来るのは怪しいセールスマンか、しつこい宗教の勧誘くらいなのだから無視したところで大して問題はない。


 再び心地よい眠りの世界に旅立とうと、布団を頭から被る。


 だが、ノックの音は鳴りやまず、旅立ちを邪魔し続ける。


「……もう、誰なんだよ」


 快眠を邪魔された怒りで布団を思い切り蹴飛ばして目を開けると、目に入った天井が見慣れたボロアパートの天井とは違うことに気付く。


 その証拠に、同じ木製なのに人の顔の様に見える染み——毎日毎日目が合うので愛着が沸き、シミーと名前を付けておはようお休みを言っていた——が無い。


 まだ寝ぼけているのかと思い、目を擦りながらベッドから立ち上がって、ついでに頬を抓ってみる。


 猛烈に痛い。


 赤くなった頬から伝わるヒリヒリとした痛みが僕に現実を突きつけてくる。


 どうせ夢だと高を括っていたので、力を入れて抓り過ぎた。


「おっとっとっと。なんで揺れてるんだ? そうだ! 僕、船に乗ってるんだ!」


 ぐらりと揺れた足元の違和感で全てを思い出す。


 自分が死んで異世界に転生して強大な力を持つ竜を配下に収め、襲われていた船を救い、今はその船に乗っている。


 こうして我が身に起きたことを振り返ってみると、漫画や小説みたいな突拍子のない話で少し笑えてきた。


 事実は小説より奇なりとは正にこのことだろう。


「七海様、いらっしゃらないのですか? 姫様が昼食をご一緒したいと申しているのですが」


 食事と聞いた瞬間、現金な腹の虫が泣き出す。


 すっかりと忘れていたが、打ち合わせに寝坊したせいで今朝から何も口にしていない。


 いや、それは前の体での話なのか。


 どちらにしろ体が食事を求めているのには変わらないのだから、些細な問題だ。


「今出ます。少し待って下さい」


 好き放題に寝ぐせで跳ねている髪をどうにかこうにか直しながら扉を開けると、メイド服を着た女——確かシノブと呼ばれていたはず——が立っていた。


「お待たせしてすみません」


「いえ、お気に為さらずに。食堂へご案内しますのでこちらへどうぞ」


 無表情な忍に、怒らせてしまったのかと冷や汗が出る。


 気まずい沈黙に耐えながら、時折大きく揺れる通路を歩く。


 途中、数人の船員とすれ違ったが、何故だか違和感を覚えた。


 違和感の正体が喉に刺さった魚の小骨の様に気になった僕は、答えを探して辺りを見回す。


 答えは直ぐに分かった。


 忍の髪色だ。


 船員たちは皆黒や茶色といった日本人にも多い髪色だったのだが、唯一忍だけが暗めの金髪なのだ。


 違和感の正体が分かり、アハ体験で脳が活性化した僕は忍の珍しい特徴にも気付いてしまう。


 それは目の色。


 忍の目は紫と黄色のオッドアイなのだ。


 物珍しさにもう一度、今度はもっとじっくり見てみたいなと考えながら歩いていると、急に止まった忍にぶつかりそうになる。


「こちらが食堂です。どうぞ」


 食堂と聞いて再び大きな声で鳴いた腹の虫を𠮟りつけながら中へ入ると、既に周りからは姫と呼ばれる女、美乃が座って待っていた。


「呼びつけてしまって申し訳ありませんでした。忍は何か粗相をしなかったですか? 彼女、仕事は出来るのですが無愛想なせいで誤解されやすいんですがいい娘なんですよ。たまに見せる笑顔なんか飛び切り可愛くて……」


「姫様、そのくらいにしてください。七海様、どうぞ」


 ほんのりと白い頬を朱に染める忍が引いてくれた椅子に座る。


「色々とお話したいことはありますが、まずはお食事をどうぞ」


 いつの間にか背後から消えていた忍が料理を運んでくる。


 スープにパンと簡素な物ではあるが、元居た世界と左程食文化が違わない様で少し安心した。


 何しろここは竜がいる世界なのだ。


 奇々怪々な食材、それこそモンスターの内臓やらなんやらが使われたグロテスクな料理が出てきてもおかしくないと実は内心覚悟していたのだが、いらぬ心配だったらしい。


「さあ、冷めないうちにどうぞ」


 スープを一口。


 コンソメスープと殆ど味の差異が無い。


 パンも食べてみるが、固くパサパサで美味しくない以外は至って普通のパンだ。


「命の恩人に出す食事がこんな質素な物で申し訳ありません。長い航海でしたのでこんな物くらいしかなくて。国に帰ればもう少し真面な食事をお出し出来ますので今はご勘弁を」


「いえ、十分ですよ」


 食べ慣れない豪華絢爛でテーブルマナーが複雑そうな物よりも、質素でシンプルなメニューを出してもらう方が僕としては有難いというものだ。


「七海様のご両親はどんな方なのですか?」


 食事を終え、お茶を飲みながら姫様は余程僕のことが気になるのか、食の好みから元の世界のことまでなんでもかんでも聞いてくる。


 別に隠すようなことでもないので全て答えているのだが、この質問には答えに詰まってしまう。


 何せ両親のことなど、どこにいるのかはおろか名前も声も顔すらも何一つ知らないからだ。


「僕は捨て子だったんで両親については何も知らないんです。唯一分かるのは、多分北欧、えっと、外国の血が入っていることだけです」


 その唯一の手掛かりだって天然の金髪と青い瞳から孤児院の先生が推測しただけであって、確かではない。


 遺伝子検査で自分のルーツを辿ってくれるサービスがあるらしいが、左程興味が沸かず、そんな金があるならステーキ肉でも買った方がマシだと思いしなかった。


「知らぬこととはいえ、失礼しました。どうかお許しを」


「気にしないでください。慣れていますから」


 別に美乃に気遣って言った訳ではない。


 これまで何百回としてきた話だ、今更思うところなど欠片もない。


 とはいえ、逆に気を遣われしまったのか美乃からの質問が止み、僕にとっては本日二度目の気不味い空気が流れる。


 本来引きこもり気味のコミュ障にとってこの空気はあまりにも耐えがたい。


 ましてや相手が女性となると余計に気不味い。


 どうにかこうにか話題を捻り出そうとするが、異世界の女性相手にどんな話をすればいいか見当もつかない。


「そう言えば、後どのくらいで到着するんですか」


 悩みに悩み抜いた結果がこれでは、昔から女性との縁がなかったのは当然であろう。


「そうですね、予想外のことがあって多少の遅れは出ていますが、そろそろ見えてくる頃かと思います。よければ甲板へどうぞ」


 ティーカップがとうに空になっていたこともあり、美乃に案内されて甲板へと出てみる。


 甲板から見える景色に、僕は思わず息を呑む。


 燦燦と輝く太陽の光に照らされ、黄金に輝く建物が立ちならぶ陸地。


 かつて日本を黄金の国と例えた人物がいたそうだが、きっと彼も今自分が見ているのと同じ様な景色を見たのだろう。


「ようこそ我が国、光導王国へ」

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