第一章ー5
「ちょっと噓でしょーーーーー」
突然、本日二度目の浮遊感に襲われた。
ガイナは本当に僕のことを主だと思っているのかと疑いながら、情けない悲鳴を上げながら落ちていく。
きっと途中でガイナが魔法で落下速度を落としてふんわりと優しく着地させてくれるはずだと淡い期待もしてみるがするだけ無駄だったらしく、勢いそのままに落下した僕は甲板へ鈍い音と共に背中から着地——墜落と言った方が正しそうだ——した。
着地の衝撃で真っ二つに割れてしまったかもしれないお尻を摩りながら立ち上がると、ギラリと日光を反射させた鈍い輝きを放つ刃が突き付けられた。
驚きながらも急いで手を上げて、敵ではないことを示してみる。
どんなに文化が違っても敵意と抵抗する気はないと示せば、早々突きつけられた刃が僕を貫き鮮血を体から噴水が如く噴き出す羽目にはならないだろう。
よほど野蛮な民族でない限りは。
それに最悪の場合は、きっとガイナが助けてくれると信じたい。
既に助けて欲しい状況に関わらず、助けないどころか脳内に堪えた笑い声が聞こえてくるのは気にしないことにする。
「貴方は何者ですか? 鋼鎧竜とはどういう関係なのです」
得体の知れない珍妙な生物を見る目で、薙刀をこちらに向けて警戒しつつ糸目の黒髪美女が聞いてくる。
一見しただけでは、周囲の人間も含めて日本人の様に見える。
凛とした表情だが、よく見ると彼女が持つ薙刀が小刻みに震えていた。
突然現れ圧倒的な力で五隻の船を瞬く間に容易く沈めた竜から落ちてきた人間に、恐怖心を抱くのは当然の反応だろう。
立場が逆なら僕だって怖いし、こんな風に問い質すこともせずにとっくの昔に武器など放りだしてスタコラサッサと逃げだすに違いない。
「僕は
話ながら、この世界の人間と淀みなく意思疎通が取れていることに自分でも驚く。
ガイナとの会話では、竜との出会いと脳内へ直接語りかけられた二つの衝撃でそれどころではなく気付かなかった。
そういえば、現地の言語をインストールだとかなんとか事務机の女が言っていたが、こういうことだったのか。
一から言語を学び直す必要がないのは実に有難い。
会話は問題ないが、一応後で本でも借りて読み書きの方も確認しておくべきかもしれない。
ただ、言語に問題なくとも僕のコミュニケーション能力には元々大いに問題があるので、下手に刺激しない様に慎重に言葉を選びながら事情を説明しつつ謝礼を求めるという高度な交渉が上手く出来るだろうか。
全く自身はないが、やるしかないと意を決して僕は交渉の口火を切った。
自分が元は違う世界の人間で、この世界には来たばかり——実感はないが生まれたばかりと言った方が正しいかもしれない——であること。
上空の鋼鎧竜ことガイナは自分の支配下にあり、自分を害さない限りはこの船に対しては一切手を出さないことの確約。
助けた代わりに一晩で良いので宿を提供して欲しいこと。
一様に武器を構えて警戒しながらも、船上の全員が時折側の人間とひそひそと話つつも僕の話に耳を傾けていた。
一通り事情を説明して要求を出したので、僕は様子を伺う。
武器を突き付けつけらたまま話した経験などないので、上手く話せたかはあまり自信が無い。
なんならところどころ緊張の余り声が上擦った自覚がある。
武器が突き付けられていなくとも、他人に上手く物事を説明できる自信など無いのだが。
我ながらそんな体たらくで、今までフリーランスのイラストレーターとしてよくやってこられたものだと思う。
実際かなり値切られたり、報酬が未払のまま逃げられたりも多々あった。
当たり前というか、予想通りというか、皆信じられないとでも言いたげな困惑した顔をしている。
僕に薙刀を突きつけている女を除いて。
彼女だけは困惑するどころか口角を吊り上げ、先程までは開いているのかどうかよく分からなかった目をかっぴらいて満面の笑顔を浮かべているのだ。
まるで、欲しかったものを手に入れて喜ぶ無邪気な子供の様に。
しかしその笑顔が僕にはひどく恐ろしく、邪悪なものに見えた。
「それはそれは大変な身の上なのに助けていただいてありがとうございました。私は
無邪気で不気味な笑顔から一転、張り付けた様な柔和な笑顔に替えて矢継ぎ早に話す彼女の願いを僕は首を縦に振って了承した。
一晩の宿どころか謝礼金を貰えて人が住む場所まで連れて行ってもらえると言うのならば断る理由などない。
ただ、少しばかり警戒だけはしておくべきだろう。
彼女の貼り付けた様な笑顔に見覚えがあるからだ。
あれは、他者を利用する者が浮かべる偽物の笑みだ。
「忍、七海様を客室に案内して差し上げて」
美乃の側で目から光線でも出そうとしているのかと錯覚する程に睨んできていたメイド服を着た女、忍に案内された客室はお世辞にも広いとは言えなかったが、今の僕にはベッド一つあれば充分なので不満は無い。
「主よ、聞こえておるか?」
船室にある小さな窓からでは全く姿が見えないガイナの声が頭に響いて来る。
笑い声が聞こえていたのだから聞こえて当然だ。
「聞こえます。とりあえず船の速度に合わせて付いて来てもらえますか」
「話は聞いておったからそうなる気はしておったが、こんなとろくさいのに合わせて飛べというのか。早く飛ぶより面倒なんじゃが仕方ないのう」
心底嫌そうな声を出すガイナであったが、ため息交じりに了承してくれた。
「一応船も守ってはやるが、万が一の時には主の身を優先するからの」
僕の安全を優先してくれるのは嬉しいが、口約束とはいえ、護衛の仕事の契約を結んだ様なものなのだから一応では困る。
ガイナの考える一応の範疇は、かなり大雑把そうな気がするので念の為に釘を刺して置く。
「万が一の時でも出来る限りは船も守ってあげてください」
「分かった分かった。我に掛かれば人間の船程度、どれだけ襲ってきたとしてもその船一隻守る程度造作もない。人間以外ならば保証は出来んがな」
何かあればまたあの惨状を見ることになるのかと想像してしまい、胃の中から酸っぱいものが混み上げてくる。
襲ってくる相手と自分、それぞれの為にもこのまま何事もなく船が目的地についてくれるのを祈りながら少し休もうとベッドに横なった僕を直ぐに睡魔が襲ってきた。
理解が追い付かないことばかり続け様に起こったせいで思っているよりも疲れていたらしい。
本当なら不測の事態に備えて起きているべきなのだが、結局は船の心地良い揺れに後押しされた抗いきれない睡魔に身を任せて目を閉じた。
人間以外何が襲ってくるのかとガイナに尋ねることなく。
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