第一章ー4

「姫様、どうかお下がりください!」


「いいのですしのぶ。隠れたところで船を沈められてしまえば同じこと。ならば王家の一員として恥じぬ最後を」


 メイド服を着た侍従の制止も聞かず、腰にまで伸びた艶やかな黒髪を姫と呼ばれた女は、懐から取り出したリボンで束ねながら船首へと向かう。


「皆の者、武器を取りなさい。ただただ蹂躙されてはあの世でご先祖様たちに合わせる顔がありませんよ! 忍、赤火を!」


 忍も私を止めるのを諦めて腹を括って最後まで供をしてくれる気になったのか、船室からいつの間にか取って来ていた愛用する母から受け継いだ赤い柄の薙刀を渡してくれた。

 

 大砲を向けこちらを狙う五隻の船に囲まれたことで、すっかり戦意を失っていた船員たちは私の一喝で立ち直ったらしく、皆次々に武器や武器になりそうな物を手に取ると雄たけびを上げる。


 その様子を見た私は満足気に頷くと、皆に堂々と胸を張って最後の命令を発する。


 夢半ば、こんなつまらないことで命を落とすことになろうとは運命は残酷なものだ。


 いや、まだ諦めてなるものか。


 国を巻き込んでの大戦を始めようと言い出した私がこんなところで死ぬわけにはいかない。


 どんな死中にも必ずや活路があるはずだ。


 情けなくも諦めで鈍った頭に喝を入れて考えを巡らせる。


 とはいえこの状況、取れる手は二つしかない。


 皆を一喝しておきながら情けなく駄目で元々の降伏か、それとも……


「機関全開! あの船のどてっぱらに大穴を空けてやりなさい!」


 当然、私が選ぶのは降伏ではない。


 あの程度の下賤な輩相手に降伏していては、この先の戦いで勝ち目はあるまい。


 ならば選ぶべきは突撃だ。


 装甲がある軍艦ではない自分たちの船は大砲で集中砲火されれば容易く沈むだろう。


 だが、敵船のどれか一隻に近づいてしまえば、同士討ちを恐れてむやみやたらに他の船は撃ってこないはずだ。


 後はそのまま肉薄した相手の船に乗り移り、乗っ取って敵の船団を返り討ちにしてやれば万事解決だ。


 我ながら血の気が多い策だとは思うが、それは父方の血のせいだろう。


 命は下した。


 後は如何なる犠牲を払おうともやり遂げるのみだ。


 覚悟と共に私が薙刀を敵船に向けて構えたその時、突如辺りが暗くなった。


 まだ日が昇ってそう時間は経ってはいない。


 それに今日は雲一つない快晴で、ましてや日食でもないはずだ。


 異常事態に何事かと空を見上げた私は、驚きの余りはしたなく人生で一番の大口を開けてその名を叫ぶ。


「鋼鎧竜! ……ここまで不運が重なると笑えてきますね」


 空が暗くなった原因は故郷で遥か昔から語り継がれてきた人間が決して敵うことない存在、鋼の鎧を纏いて鎧を食らう竜、鋼鎧竜であった。


 まさかここまで天に見放されているとは、私は前世で余程のことを仕出かしたらしい。


「人間共に告げる。我が主の意向に従い貴様らを助けてやるからその場を動くな。動けば諸共死ぬぞ」


 頭に直接語りかけられたのは私だけではないらしく、船上にいる皆を見回すと困惑した表情を浮かべていた。


「姫様、如何為さいますか」


 冷静沈着で普段からあまり感情を表に出さない忍ですら、見たことのない狼狽えた顔をしている。


「……折角助けてくれると言うのですからここは素直に甘えましょう。両舷停止、急いでください」


 姫の素早い判断に従うことで辛うじてパニックに陥らずに済んだ船員たちは慌てて船を止める為に動き出す。


 一方の襲っていた側、この辺りを縄張りにしている海賊たちは思いも寄らない事態に統率を失い右往左往している。


 姫が乗っている外輪船を沈めればとある筋からがっぽり大金が貰えるとの情報を掴み、意気揚々とアジトを出航したのが嘘の様な狼狽ぶりだ。


 それでも圧倒的強者への恐怖からか、誰が言い出したのか、どうにか上空の鋼鎧竜に対抗する為に船上に設置されている移動式の大砲の下に板や木箱を置き始める。


 鋼鎧竜に狙いを定める為に角度を付けようと苦心してるらしい。


 そんなことをしたところで上空の鋼鎧竜に届くはずも無く、寧ろ暴発する危険が上がるだけの自殺行為に等しいのだが、死にたくない一心で行動する彼らが気付くことは無い。



「よし、止まりおったな。魔法で保護はしておるが一応耳を塞いでおけよ主。ちと五月蠅いかもしれんからな」


 言うや否や、ガイナは大口を開けると口内に真っ赤な球体を生成し始めた。


 何故赤いかはよく見ずとも分かった。


 球体の中で、炎が渦巻いていたからだ。


 それはまるでガラス玉の中に所狭しと猛り狂う炎を閉じ込めた様に見え、思わず綺麗という言葉が口をついて出てしまう。


 火球とでも言うべきそれは、ガイナの口の中である程度大きく成長すると、轟音と共に発射された。


 火球は真っすぐに包囲網を作っている内の一隻に向かって飛んで行き着弾。


 狭い狭いガラス玉から解放された炎は自由への喜びの舞を披露するかの如く激しく揺らめく。


 炎は殆どが木で作られているのであろう船体はおろか、大砲すらも込められた弾ごと高熱で溶かした。


 瞬く間に海賊船は、乗組員諸共海の藻屑となってしまう。


「クックックック、あの程度で沈むとは人間の作る物はやはり脆いのう。どれ、他のもさっさと片づけてしまうとするかの」


 矢継ぎ早にガイナは火球を生成して撃ち出す。


 帆船では素早く動いて躱すことなど出来ず、無慈悲に船は火球に襲われる。


 中には寸でのところで船から海に飛び込んだ者もいたが、火球の爆発範囲から考えると死へのカウントダウンがコンマ数秒伸びただけだ。


 こうしてガイナは人が及ばぬ圧倒的な力で一分も掛からずに残りの四隻も沈めて、いや、焼き尽くしてしまった。


 火球の神秘的な美しさと轟音による衝撃でしばらく呆けていたが、眼下の惨状に気付いた僕は震えが止まらなくなる。


 何故なら何人もの人間が乗っていたであろう船を沈める様に指示したのは自分なのだから。


 言い訳にしかならないが、ガイナがここまでやるとは思っていなかった。


「ガ、ガイナさん、やり過ぎだよ。驚かすとかして追い返すぐらいで良かったのに!」


「そうなのか? だがこっちの方が面倒が無いじゃろ。敵や獲物に情けを掛けたところでロクなことがないと昔から相場は決まっておるからの」


 過去に何やらあったのか、ガイナは緋色の目を細めながらしみじみと言う。


 ガイナの言い分は正しいのかもしれないが、平和な日本生まれで争いとは無縁で育った僕には受け入れ難いものだ。


 ガイナの、いや、自分の力の恐ろしさを自覚してしまった僕は膝を抱えて泣きそうになる。


 半ば強引に決められた魔獣帝国モンスターエンパイアという能力。


 使い方を誤れば、この能力はきっと国すらも容易く亡ぼす。


 こんな能力、僕の手には負えない。


 人間を燃やし、踏みつけ、食らうモンスターの大軍を想像してしまい、ぞわりと背筋を冷たい物が伝う。


「主よ、そう恐れるでない。寧ろ我の様な強大な存在を下僕にしたことは誇るべきであろう」


「貴方と僕じゃ考え方も価値観も違うんです。……これで沈めた相手がどっかの国の正規軍とかだったら取り返しがつかない」


 人の命に貴賤はないとは思っているが、海賊の様な犯罪者か否かで心の痛み方が多少は違ってくる。


「うじうじしておっても仕方なかろうに。とりあえず下に降ろすから助けた彼奴等に恩を売りに行かんか。その為に助けたんじゃろうが」


 ガイナは徐々に高度を落とし、船が近づいて来るとどういう理屈かは分からないが——恐らく魔法だろう——羽ばたくをことを止めてホバリングするヘリコプターみたく器用によりゆっくりと高度を落とす。


 十分に高度を落としたと判断したのか、下降するのを止めたガイナは船上に向けて僕を放り投げた。

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