ここは地獄か異世界か①

「…………っ!」


 不意に訪れた頭痛に俺は飛び起きた。


「ん?確か俺は……」


 痛む頭に手を添えると、ヌルリとした何かが指先を濡らした。嫌な予感に俺は慌てて手を離す。そして指先に目をやると、そこには自身の血がベッタリと付着していた。


「うぉっ!どうりで痛い訳だ」


 想像以上の出血に俺は声をあげた。そして何か止血できる物が無いかと辺りを探る。しかし見つかったのは、稽古着の懐から出てきた汗拭き用の手拭い一枚と練習用の木刀だけだった。


「まあ、何もないよりかはマシか」


 誰に言い訳するでもなく、そんなことを呟くと俺はその手拭いで頭を止血した。そして深呼吸をすると、自分の置かれた状況をゆっくりと思い出していく。


(確か俺は……いつものように鍛錬の為に裏山に行ったハズ。稽古着を着ているからそれは間違いない)


 おぼろげだった記憶が少しずつ鮮明になっていく。


(そうだ。俺は足を滑らせて崖から落ちたんだ)


 まだ痛む頭を擦りながら、俺は苦笑する。


(普通はこんな時、走馬灯なんかを見るんだろうが、俺は親父のこと考えてたな)

  

 物心ついた時から、男手一つで俺を育ててくれた親父。だからこそ、死の間際にもそのことばかりを思い浮かべてしまったのだろう。


「もしかしたら、親父が守ってくれたのかもな。なんて、流石に都合が良すぎるか」


 我ながら恥ずかしい妄想だと、顔を上げる。そして、自分が落ちたと思われる崖を見上げた。


(ああ、きっとこの木々がクッションになったんだろう。そうに違いな……ん?)


 眼前の岩肌を覆う様に生える木々を指差して、俺の思考が一瞬止まる。


(そういえばこんなに木、生えてたか?)


 確か俺の記憶だと裏山の崖は木の密集率が低く、崖下まで見通せる程だったハズだ。


(それに何より……)


 先程から感じていた違和感。その正体を探るべく、俺は辺りをぐるりと見回した。


(本当にここ、ウチの裏山か?)


 改めて見るとそこには、まるで見覚えの無い景色が広がっていた。

 見覚えの無い花、見たことの無い虫、空を飛ぶやたら派手な鳥。そのあらゆるモノが俺の知る日常からかけ離れていた。


「やはり俺の知っている裏山じゃあない。一体どういうことだ?気絶している間に何かあったのか?それとも記憶に障害が……」


 不可解な点を列挙し、現状を把握しようと試みる。だが大変な事というのは重なるもので、次の瞬間には、俺のそんな試みも徒労に終わる事となった。


「――――っ!!」


 遠くから微かに聞こえる悲鳴の様な声。それに続いて何かが破壊される音が、木々の間に反響する。


「ああ!もう!なんなんだよ!クソ!」


 頭はいてえし、ここが何処かもわからない。本来なら無視したって誰も俺を責めないだろう。だが、あの声は助けを求める声だった。何を言っているかは聞こえなかったが、必死に何かを訴えている声だった。


『剣の道とはそれすなわち、人間形成の道です。困っている人がいたら迷わず手を差し伸べる。そんな人になれるように自身を磨くのがこの道場であり、剣術とはその手段でしかありません』


 俺が普段から道場に来る小学生ガキ共に言っていた言葉が頭をよぎる。


「はぁ。いつもああ言ってるしなぁ。俺、師範だしなぁ」


 即決できない辺り、俺もまだまだ道半ばらしい。

 痛む頭を押さえると、腹を決める。そして俺は、声のする方向へと木刀を手に走っていくのだった。

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