第14話 六日目 嘘泣きするなら目元は隠せよ!?






「ますたー……ますたー……朝ですよ」



 ――もう朝なのか……まだちょっとダルいなぁ……。


 なんか、桜崎さんの夢を見たような気がする。桜崎さんが、泣き笑いみたいな表情で俺の事を抱き締めてくれた様な……うん、良い夢だった。

 心做しか、体も温かくなっている気がする。


 と言うか、なんか暑いな!?


「……むむ。私以外の女の気配を察知しました。起きて下さい、そんな夢よりも良い思いをさせてみせます」


 いや、良い思いってお前には体が無い…………んんっ?


「……おかしいな。リディの声が耳元で聴こえる……そしてなんか風が耳元に当たって擽(くすぐ)ったい!」

「ふふふ……あむっ」

「ひぃっ!?」


 ちょ、誰!? いや、犯人一人しか居ないから分かるけど……分かるけどさ!? なんで耳を噛んで来たんだこいつ!?


「ちょっ……リ、リディだよな!? 色々聞きたいことはあるけど、とりあえずそれちょっと擽ったいからやめてくれません?」

「ほはよふごらいまふ(おはようございます)、まふはぁ(ますたー)」

「いや、喋らないでくれないかな?!」


 耳を甘噛みされる経験なんてないから、ちょっと鳥肌が……大丈夫だよね? そのまま勢いに任せて噛んで来たりしないよね!?


「ふっ……はふがのわらひれもさすがの私でもまふはぁのむむをかんらりらんれますたーの耳を噛んだりなんて――」

「だから喋らないでくれる!? 何言ってるか分かんないから!!」


 いつの間にか体を手に入れていたりとか、何故か俺の背後で一緒に寝てたりとか、あとやたらと俺にくっついていたりとか、聞きたいことは山程あるけど……先ずは耳から口を離してくれぇぇ!!






♢♢♢





 目を瞑る。


 故意に作り出した暗闇の中で、俺は精神統一をしながらベッドの上で胡座を組む。


 そして感じ取るのは体内の魔力。

 体を流れる魔力を察知して、観察……うん、魔力量が増えてる感じはしないし、制御も問題なく出来る。まだ魔力は回復し切ってないけど、これなら今日も訓練出来そう――


「ダメですよ?」

「ひぃっ……」


 気配なく背後から抱き着くのやめてくれないかな!? 今までは頭の中で声がするだけだったから問題なかったけど、急に耳元で声が聞こえたり抱き着かれたりするとびっくりする。


 そしてさりげなく腕を俺の体前に回して体を押し付けないで欲しいな……感触がやばいんだよぉ!!


「服を貸して頂きありがとうございます、ますたー」

「いや、貸すって言うかリディが勝手に俺の『簡易収納』の中にある寝間着をひったく……あ、はい! 俺から渡したんだったね! そうだったそうだった!」


 だから、前に回した腕に力を入れるのをやめてください。絞まる、絞まるから……出来ちゃいけないところに括れができそうだからぁ……っ。



 結局の所、全くもって何もかもが理解出来ないが、どうやらリディは俺の傍でよりサポートしやすくする為に体を手に入れた様だ。


 ホムンクルス。

 それは錬金術の極致であり、錬金術師が目指すべき到達点。

 そのホムンクルスを、リディはここ数日の間にコソコソと神力を使って作っていたらしい。


 やれ肌質がどうとか、髪質がどうとか、感触がどうとか……どれだけリディがホムンクルスを作るのに努力したのかを事細かに説明された。


「私はますたーの為に生まれた存在であり、私の全てはますたーのモノです。さあ、そういう訳ですからこの出来たての完璧な体を隅々まで堪能してください」


 いや、両手を広げられても……。リディってこんなに積極的だったっけ?

 ホムンクルスの見た目に関しては異世界基準で絶世の美女を目指したらしい。


 足首くらいまである長いプラチナブロンドはキラキラと陽の光を浴びて輝いている。何よりちょっとリディが動く度にサラサラと揺れる指通しの良さそうな髪質が綺麗だなって思った。

 シミ一つないツルツルとした白い肌にはハリがあり、スリスリと腕や首……頬なんかに擦り付けて来るリディの肌はすごく触り心地が良かった。


「……脱ぎますか?」

「いや、いいから……って脱ぐなぁ!」


 そしてスタイルも良い。程よい肉付きで筋肉もついており、さっき脱ごうとした時にチラッと見えた腰は括れていた。

 俺と同い年くらいの年頃に見える見た目ではあるが、耳が少しだけ長く先が尖っている……それは種族特徴。リディが体を作成した際に参考にしたのは、ファンタジー定番の種族であるエルフ族だった。


「ただのエルフ族ではありません。現在はもう絶滅したと大陸では噂されている特殊なエルフ――"古代エルフ"を参考にしました。まあ、実は絶滅なんてしていなくて、現在も生き残りやその子孫達が"ハイエルフ"に紛れて数人ひっそりと大陸に遊びに来ていたりしますしね。大陸の近くの島に"古代エルフ"の安息の地があって、様々な理由で結構な頻度で島を出て大陸に向かうみたいです。私は"古代エルフ"の中でも伝説上の存在となっている"始まりのエルフ"を参考にしました。私も原初――始まりですからね」


 ブカブカの黒いTシャツを着たリディが、ドヤ顔で胸を張りそう説明をしてくる。上手いことを言っているつもりらしい。丈の合ってないブカブカの服じゃカッコつかないけど……いや、ムッとされても事実だからっ。



 それにしても、始まりのエルフねぇ……。

 確かにこうして近づいて観察すると、その美しさが良く分かる。長いまつ毛に翠色の瞳。整った顔立ちにプルンっと潤いのある薄い桜色の唇。

 細くはあるがしっかりと肉はついていて、柔らかそうな頬が朱色に染り…………真っ赤っかに?


「あ、あの、ますたー。そんなに見つめられると……」

「あっ、ごめん」


 目と鼻の先。

 ……正確に言うと鼻の先が少し触れていたが、まるで吸い寄せられるかの様にリディに近づきその頬に手を添えていた。

 手のひら越しに、リディの温かい体温が伝わってくる。


 あれ、何だこれ……このままだと俺、リディとキスを………………いやいやいやいや!! ダメだろそれは!

 いくらリディが美少女だからって、いきなり手を出すとか最低過ぎる。異世界に来てタガが外れてしまった阿呆にはなりたくない。気を引き締めないと……リディに嫌われたくないし。


「本当にごめんな、リディ。俺、どうかしてたみたいだ……ちょっと顔を洗ってくる!」


 慌ててリディから距離を取り、ベッドから降りて立ち上がる。そして、メインベッドルームを出て、俺は洗面所へと走り出した。




「チッ……あと少しだったのに……」






 ん? 今リディが舌打ちしたような……気のせいか。






♢♢♢





 …………洗面所に行くのに10分も掛かった。


 正直、このマスタールームは広すぎる。

 まあ、ホテルの最上階を丸々1フロア使ってる訳だから仕方がないんだろうけどさ。

 一人……いや、今は二人暮しか。それでも余裕で余る広さだ。

 シングルルームが恋しい……。


「そして、朝の衝撃が強すぎてすっかり忘れてたけど……今日は一日安静だったな」


 リディに心配を掛けてしまい、その罰として絶対安静となったのが今日だ。まあ、ご飯も運ばれて来るようだし、この部屋は広いから軽い運動とかも余裕で出来るだろう。

 一応リディに許可を取ってからになるだろうけど、少しでも体を動かさないと落ち着かないんだよな。


 どうか、許可がおりますように……!


「あっ……そう言えば、ミムルルート様が時々俺の生活を見てるって言ってたっけ? 一応確認しておこうかな……」


 通路を抜けてリビングへと戻ってきた俺は、メインベッドルームへ行く前にリビングに置かれているソファの一つへ腰掛け、『簡易収納』にしまってあった神器の本を取り出す……あれ、何か厚みが増しているような……。

 取り出した本を捲り、捲り、前回ミムルルート様に宛てて書いたメッセージ部分まで進めていく。やがて目的のページまで辿り着いた俺は、ゆっくりと次のページを見る為に紙をめくる………………えっ。


『大樹くん、私ね……気づいちゃったんだ。 大樹くんに大事な事を伝える時は、言葉にしないと分かって貰えないって。だからね、私は決めました。ちょっと自分の神界を抜け出して大樹くんの所に行きます! そうすれば、ずっと傍で大樹くんの事を見守れるし、同じ経験をして沢山の幸せを共有出来る……それってとっても素晴らしい事だよね!? 大樹くんもそう思うよね? 大丈夫! 私が傍に居れば、大樹くんが無茶をする前に止めることもできるし、大樹くんを危険から守ることも出来るから。すっごく心配したの。悲しかった。私がもっとちゃんと分かりやすく説明出来ていればって心の底から後悔した。傍に居れない事がこんなに辛いことなんだって初めて知った。怖かった。泣いちゃうくらい、大樹くんを失うのが怖かった。だからね? 私が傍で見守ってあげるの。ずっとずっとずっとずっと見守ってあげるからね? なんか部下の天使が必死に止めて来るけど、私は頑張るから! 問題は原初スキル――あぁ、今はリディちゃんって名前で呼んでるんだっけ? 良いなぁリディちゃん。大樹くん、私の事もちゃん付けで読んで良いんだよ? ミムルルートっていうのが長いなら"ミムルちゃん"とか、"ミムちゃん"とか、好きに呼んでいいからね? あ、でも初めては直接声にして呼ばれたいなぁ……うん、やっぱり天使たちを振り切って早くそっちに――――』


 おぉ、神よ……。


 普段とは明らかに違う文章。

 改行がない。

 話が二転三転してる部分もある。

 何より驚きなのはこれと同じ様な文章がまだまだ続いていそうな点だ。


 心配掛けてしまった事に関しては本当に申し訳ないと思うが、ちょっと怖いですミムルルート様……。

 そして初めて知ったこの本のギミック。どうやらこの本は文章を書けば書くほどに白紙の紙が増える機能が搭載されているらしい。

 一応今のところ製本出来る範囲に収まってるけど……まさかとは思うが、ある程度まで書き続けたら新しく製本されたりとかしないよな? 普段は本自体が大きいから一枚で事足りるし、このギミックには全く気が付かなかったなぁ。


 ……とりあえず、ちゃんと返事を書かないと。


 俺が無事な事、心配かけてしまって申し訳なく思ってる事、ミムルルート様は本当に悪くなくて全ては俺の不真面目が原因で起こった自業自得だという事、次からは周りの言うことにもちゃんと耳を傾けて生きて行くと誓う事……うん、こんな感じで纏めていこう。


「えっと……『最後に、もしも本当に遊びに来てくれるのなら楽しみに待っています。ただ、俺はこの空間の事に関して殆ど知らないので、遊びに来るならリディに相談してください。』と」


 折角のリゾートなんだから、ミムルルート様にも楽しんで貰いたいな。……そしていつもミムルルート様の暴走を止めている天使様にも。出来ることなら……!

 この文章を見て、ミムルルート様を止められる人が必要だと思ったので是非とも……お酒も用意しますっ!!


 最後に名前を書いてから本を閉じる。

 朝から驚きの連続でどっと疲れた……。

 まあ、リディもミムルルート様も俺を大事に思ってくれているからこそなんだろうけどさ。


 そんな事を思いつつ、リビングから移動してメインベッドルームへと戻る。

 扉を開けて中を見ると、リディがベッドの上に仰向けになって寝転んでいた。

 目を閉じて全く動かない……本当に寝てるのか? いや、そもそもホムンクルスって睡眠がいるのか?

 『検索』で調べれば分かるんだろうけど……俺、『検索』を使うの下手くそだからなぁ。


 一応寝てたら申し訳ないので音を立てないようにゆっくり歩き、リディが寝ているベッドの端へと腰掛ける。


「そうだよな……普段は、お前が直ぐに教えてくれてたもんな」


 規則的な呼吸を繰り返し目を閉じているリディを見ながら、小さな声でそう呟いた。


 ……まだ、六日なんだよな。


 そう。異世界へやって来たのも、ミムルルート様とのやり取りも、スキル『リゾート』を使ったのも、そして……リディとの出会いも。


 たったの六日。されど六日。この六日間の出来事は色濃く印象に残っている。


 "意志"と言う絵の具のないパレット。

 地球に居た頃の日常はそんな感じだった。


 どれだけ望んでも、どれだけ抗っても、求めていたモノが手に入ることは無い。涙で筆を濡らしても、色が無いのでパレットを湿らせただけで終わってしまう。それが俺の日常。


『お前は私達の言うことを聞いていればいい』『あなたは私達の理想を叶える為に産まれてきたのよ』

『『大樹、私達の為に生きなさい』』。


 ……巫山戯るな。


 俺はあんたらの人形なんかじゃない。

 俺はあんたらの玩具なんかじゃない。

 俺はあんたらの奴隷なんかじゃない。


 俺はあんたらの理想を叶える道具じゃない!


 無色のパレット。

 そこに色が与えられることは無い。勝手に絵の具を持ってくる事も許されない。

 無色の方が都合がいいから。ゆっくりと育つのを待ち、時が来れば自分達の望んだ通りに塗り絵を始められる様に……まっさらなキャンバスであれと望まれた俺への対策。


 だから俺は……自分を痛めつけた。

 中学生になって直ぐに両親と大喧嘩をして、

 父親に殴られながらも叫び続けた。

 母親に叩かれながらも叫び続けた。


 俺は心に血の通わせた人間だと。

 絵の具が与えられないのなら、この体に流れる血を撒き散らしてやると。


 ボロボロの体を引き摺って、まっさらなキャンバスの前に立って、血塗れの拳を握り締めて……命を賭して"怒り"を殴り付けた。


 ――――自分を取り戻す為に、死ぬ気で抗い続けて来たんだ。



「……まあ、その大喧嘩で近所の人から警察を呼ばれて表向きは大人しくなったんだけどな」


 そこからあからさまに監視したり、スマホを取り上げたりはしなくなった。その代わりに習い事へ大量に通わされたけど……スマホでゲームをしたり漫画を読んだりは出来たので、多少はマシになったと思っていいだろう。


 そこでまさか、友達ができるとは思わなかったけど。

 "こまちちゃん"は元気にしてるかな?


 俺が魔法職で、こまちちゃんは騎士職。

 ガチ勢という訳ではなかったから、二人でチャットをしながらのんびりと遊んでいた。


 こまちちゃんはこまちちゃんで虐めにあった影響で学校に行けず、他人が怖くて外に出られなくなってしまったりと、なかなかに辛い思いをして来たみたいだ。

 色々と相談されて、俺なりの考えを伝えたりしてはいたけど……それが役立ったかどうかは分からない。でも、その後無事に外へ出れるようになり、高校への進学も決まったと嬉しそうに報告してくれた時は自分の事のように嬉しくなったっけ。同い年だし住んでいる場所も割と近かったから、もしかしたら同じ高校に通ってたりして……なんてな。


 荒んだ毎日の中で、娯楽だけが俺の癒しとなっていた。


 そして、高校へ進学してからは家を出た。"中学卒業と同時に児童相談所へ駆け込むか家出する"と脅したら週一で実家に顔を出す条件で許可が下りた。

 それ以外にも成績を上位でキープしろとか、電話には直ぐに出ろとか、"私達の"大切な体に不摂生な食事はさせるなとか……まあ沢山言われたけど一人暮らしできるならそれで構わなかった。


 両親は大人しく見せているだけで何も変わっていない。それが分かっていたから俺は家を出た。高校卒業と同時にどこかへ雲隠れする計画を成功させる為に。


 せめてもの反抗。

 世間体を気にしているエリート思考の両親へ泥を塗る為の命を懸けた、成功しても失敗てしても幸せは訪れない負け戦。


 救いなんて求めない。期待もしない。

 俺の人生は、両親への復讐の為にある。


 そう、思ってたんだけどなあ……。


「まさか、異世界転移に巻き込まれるとは思わなかった」


 桜崎さんと会話をして、居眠りしてたら異世界に転移されていた。


「地球では人生に絶望していた俺が、ずっとずっと望んでいた自由を異世界で手に入れるとは……変な話だな」


 一人ぼっち。

 誰にも邪魔をされることのない環境。

 望んでも得られなかった自由。


 それを異世界で手に入れられた。


「ミムルルート様は謝り続けていたけど、俺としては本当に異世界に来れて良かったと思ってる。それに――――リディとも会えたしな」


 チラリとリディを見ると、まだ目を瞑り眠っている様だった。

 ミムルルート様もそうだけど、特にリディは俺の事を過剰だと思える程に守ろうとする。


「今までの人生で、守ってもらったことなんて無かったからさ。正直、俺はどう反応していいのか分からないんだ」


 眠り続けるリディの頬を軽く指でつついてみる。フニフニと柔らかい感触が指へと伝わり、ほんのりと温かさも感じた。

 数回くらいでつつくのを止めた後、プラチナブロンドの頭に手を乗せて軽く撫でる。


「……嬉しいよ。素直に言えばな。でも、同時に戸惑いもある。未知の経験で怖さも少しだけある。それに、リディが俺の事を大事に思ってくれている様に――俺もリディの事は大事に思っている」


 スキルとかホムンクルスとか、そんなのどうでも良くて。人間じゃなくても……例え守る必要がない存在なのだとしても……。


「――俺もリディを守れる存在でありたいんだ」


 ゆっくりと腰を浮かせて頭に乗せていた手をリディの左頬へと添える。そして、リディが起きていない事を確認してから自分の顔をリディの顔へと近づけて――――その額に、口付けをした。


「好きだよ、リディ。自覚したのは昨日だけど、俺の事を大切に思ってくれているリディが好きだ」


 昨日リディ泣かせてしまった時、激しい罪悪感と後悔が胸を締め付けた。でも、それと同じくらいに心配して貰えてると言う嬉しさと本当に俺の事を大切に思ってくれてるんだなって思えて、リディへの好意を自覚した。


 ただ、告白しようだなんて思ってもいなかった。告白しても、実体のないリディを困らせてしまうだけだと思っていたから。そして何より、断られた時に立ち直れるか分からなかったから。


 でも、いつの間にかリディは体を作り実体を得ていた。

 芽生えて直ぐに封じ込めた筈の気持ちが、再びその成長を進めてしまう様になった。


 というか、リディのスキンシップが激しくて手を出そうとする最低な自分を抑えるのが大変だった……。もう少しスキンシップは控えめにしてもらいたいかな……俺の逸る気持ちを抑える為にも。


「――今はまだ弱いけど、ちゃんと強くなってお前を守れるくらいにはなってみせるから。そしたら……今度はちゃんとリディが起きている時に告白する。だからその時はどうか……俺の気持ちを受け取って欲しい」

「――――嫌です」

「へっ? …………って、うわっ!?」


 リディの左頬に添えていた手を離して、部屋を出ようと考えていたその時。俺の右手首がリディの左手によって掴まれる。そして、リディの声がしたと思った直後に掴まれた右手を強く引っ張られ、リディの上に俺が覆い被さる様な状態になってしまった。


 目を白黒させてしまうような急展開がやっと落ち着いたかと思ったが、リディはそこで止まらない。覆い被さる俺を両手で抱き締めたかと思えば、そのままくるりと俺ごとベッドの上を反転し……リディが俺に覆い被さる様な状況になってしまった。


「え、えっと……起きてたの?」

「はい、ますたー。そして私は怒っています」


 あー……寝たフリをしてたのね……。

 覆い被さるリディの顔を見てみると、ぷくっと頬を小さく膨らませて俺を見下ろしていた。

 あ、それ怒ってますって表情のつもりなのね。普通に可愛いなって思いながら見てた。

 ……いや、膨らませた頬の大きさは別に関係ないからな? 一生懸命頬を膨らませても意味ないからやめような?


「……ちなみに怒ってるのは、俺がお前に告白した事についてか? だとしたらごめん。お前からしたら迷惑かもしれないけど、俺は――――」

「あ、告白については寧ろ嬉しかったのでお気になさらず。私もますたーが大好きですし、愛していますから」

「え? あ、うん……んん?」


 ちょ、ちょっと待ってくれ……俺の心が許容量を超えて混乱し始めたから……。


「私は私という存在を自覚した瞬間からますたーの事を愛していました。ますたーの過去に触れ、その全てを見て、『ますたーを守りたい』、『ますたーを癒したい』、『ますたーのそばに居たい』と思っていました。私はますたーを愛しています。ゾッコンです。あいらぶゆーです。ちゅきちゅきだいちゅきです」


 ……うん、恥ずかしいからちょっとやめようか。特に最後のやつ!!


 と、とりあえずリディとは両思いって事で良いんだよな?

 なんか、リディの圧が強過ぎる気がするけど……。

 恋愛なんてした事ないから全然わかんないぞ!?


「あれ……それじゃあ何に対して怒ってるんだ?」

「……ますたーは、私の事が好きなんですよね?」

「え、あ……うん。好きだぞ?」

「ならどうして……どうして、私を襲ってくれなかったんですか!?」

「…………はぁっ!?」


 お、襲うって……どいういうことだ!? リディの言ってる言葉の意味が理解出来ない!?


「いや、お前襲うって……」

「ますたーは私の事が好きな筈なのに、手を出してくれませんでした。私の顔をまじまじと眺めていた時も、頬に触れていた時もハッキリと欲情していたのに……先程もです。私はキス待ち顔で待機していたと言うのにますたーは唇をスルーして額へキスしました。私の純情な乙女心が傷つきました。しくしく……」


 いや、純情な乙女は"手を出してくれなかった"とか"欲情"とか言わないと思うんだ。そして、嘘泣きがわざとらしい……っ。


 えっ、もしかして朝から始まったあの激しめのスキンシップとかも含めて襲って欲しいってサインだったのか……? いや分かるかっ!!

 こちとら恋愛初心者だぞ!?


「えーん……しくしく……これは、ますたーに癒してもらわないと私はもうここから動けません」

「うん、声だけで嘘泣きを演じるのはやめようね? せめて目元を隠そうよ!? 嘘泣きするならこっちをガン見するな!!」


 というか、癒すって何をすれば……。


「キスしてください。今度は唇に。そして今日一日は私の言う事に絶対に従ってもらいます」

「俺は構わないけど……本当に良いのか?」

「はい。私はますたーの事を愛していますので。寧ろ、こうしてますたーと触れ合いたくてこの体を用意しました」


 ……そこまで言われれば、もう迷うことは無い。

 そっか。俺が思っているのと同じように……いや、寧ろ俺よりもずっと前からリディは俺の事を好きでいてくれたんだな。触れ合う為に、わざわざ納得のいく肉体を用意するくらいに。


「ふぅ……リディには敵わないな」

「ふっ、私はますたーの全てを知り全てを愛していますから」


 互いに見つめ合い、ゆっくりと顔を近づけていく。触れ合う寸前でリディの瞳が閉じられたのを確認してから俺も瞳を閉じて――――互いの唇を重ねた。


 数秒の間の短めの口付け。しかしながら、その柔らかな感触は強く記憶に刻み込まれる。


 唇を離して、再びお互いに見つめ合う。

 しかし先程までと違い……リディの頬は微かに赤くなっていた。そしてそれは、俺も同じなのだろう。


「……好きだよ、リディ」

「はい、私もです。ますたー」


 離れた唇は再びゆっくりと重なり合う。


 こうして俺たちは互いの気持ちを確かめる様に重なり合い――――退屈だと思っていた休息日は、気づけば忘れられない一日となっていた。



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