第15話
恋愛とか青春とか、そういうのは今いらない。何度も、そう思っている。
そんな、アニメやドラマで理想化された学生生活じゃなくて、今までの傷を癒すために、「友達がいる」という確かな記憶が欲しい。それだけで、わたしが今悩んでいる大概のことは解決しそうだし。
「いよいよ近づいてきたねぇ。どきどきする。小学校の時の遠足で眠れなかったってことなかったけど、金曜の夜は、眠れないかもしれないなぁ」
「先輩、友達として、電話の場所に、一緒に行ってほしいんです」
「えっ、俺たち友達じゃなかったん? 」
「先輩は、恋とかそういうんじゃなくて、尊敬……尊さというか……なんというか、うまく言えないんですけど、そういうのがあるんです。だから、わたしが友達とかいうの、なんかいいのかなって……。同じ土俵に上がれてるのかなって」
なんか、全然そんなことないのに「付き合ってください」と告白しているみたいで、無性に恥ずかしくなってくる。告白なんて、一回もしたことないけど、きっとこのくらい恥ずかしくて、嫌われそうで怖くて、不安で、それでもどこかでうっすらと、期待をしてしまうのだろう。
「そんなの、みんな同じ土俵にいるはずなのに、違うっていうヤツがおかしいんだよ」
「そう……、ですかね」
「うん、そういうこと気にして人間関係築いてるヤツ、自分の見栄ばかり気にしてるだけだから。相手にしない方がいいよ」
「すごい強気で言うじゃないですかぁ」
泣きそうだ。鼻声になっていることに気づいてませんように。
「うん。強気でさいこー! サイキョー! 」
「ふふっ、なんですかそれ」
「ええ~、そこはのってきてよぉ、強気サイコー、って」
その時の笑い顔にまた、わたしは涙が出そうなほど安心する。
「今だって、先輩はわたしを助けているんですよ」
「そっか」
いくらでも助けることが出来ていたのか、俺は、と先輩は言った。
出発する日の前日、最終確認のため部室に集まると、鼻血がでた。空が灰色の雲に覆われた、雨の日だった。
「あははっ、ザッキー興奮しすぎ」
「別に笑わなくてもいいじゃないですか。あと、興奮してるんじゃないです。ちょっと、洗面で止めてきますから」
「待っとくね。あ、バスの時間とかチェックしとく」
「よろしくお願いします」
血が吹き出そうになりながら、鼻をティッシュでおさえて、上を向いて言う。くすんだ白い天井が目に入る。口の中には血がたまる。
「いいから早くいってきな。制服汚れるよ」
トイレの洗面に左右逆のわたしがいる。ティッシュが赤く染まっている。誰もいない、白い洗面台で鼻血の流れるのを見た。赤くて、水と混ざり合って半透明になった液体がゆっくり流れていく。
小さいころから鼻血がでてばかり。鼻に何度、脱脂綿を詰め込んできたのか、見当もつかない。
「小鼻をつまみなさい」と散々、保健室で言われたことを思い出す。保健室に行くのは、鼻血が出たときだけだった。すりむいても、頭が痛くても、無理して保健室に行かなかった。そんなわたしを、いつも母は分からない、という目で見た。
そういえば、プール掃除のときに毎年鼻血が出て、ろくに掃除したことがない。じりじりとした日差しに中てられ、序盤で脱落する。保健室でみんなの声が聞こえる。世界から外れて、早く戻らないと、もう復活できない気がして、焦る。焦ると余計にドキドキして、全然鼻血は止まらない。銀色をしたゴミ箱。映り込む歪んだ顔。まだ、鼻血は止まっていないのに、早く戻らないといけない気がして、思わず立ち上がる。
「まだ止まってないでしょ」と先生に引き留められる。
鼻血がよく出る人間にとって鼻の中で水が流れるような感覚は嫌なものだ。七・八割、鼻血だから。鼻血はさらさらとしているから、鼻水みたいにすすって鼻に留まらせることができないし、服に血が付くと厄介だ。上を向けば何の遠慮もなく口の中にどくどくと液体状の血液やどろりと固まった血液が入ってきて、結核にかかったみたいに口から血を吐く。プールの授業で、水が鼻に入ってしまったせいで、痛いのに似ていた。
ぼーっとしながら、ティッシュで鼻をおさえていると、どろりとした、肝臓のような血の塊が出て、鼻血が止まっていた。錆びた鉄棒を触った後の匂いがする。血が、人中や頬に付着し、乾燥しかけていた。顔を軽く洗って部室へ戻る。
……何か忘れているような。そんな気がして、振り返る。何も忘れていない。小さな窓の外は、白と灰のグラデーションに塗りたくられている。その時になって、雨が降った後の曇りの空は灰色じゃなくて、白だったことを知った。
「バスの時間、分かりました? 」抜き打ちテストのように訊く。
「うん、八時五〇分」
先輩は全く動じていない。それどころか自信たっぷり。
「え、早くないですか?次とかでもいいんじゃ……」
「だって、次の便、十三時よ。行ったら帰れなくなっちゃう」
「まじですか。路線間違えてるとか読み間違いとか……」
「はいはい、まじですよー。じゃあ、明日は学校ある日と同じような時間に校門しゅーごーで」
「うわあー、先輩、寝坊しないように気を付けてくださいよ」
「むしろ寝られないと思うから大丈夫」
そっちの方がヤバいような。急に頼りなさを感じた。
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