マイティなダイソンのフィスト
ヤン・コウヘイ
第1話
「大村さんは、ええっと、ああマイティ・ダイソンでやられてたんですね。えー、四大卒業後に第二新卒で日本英雄協会に入社されて英雄三課配属、でマイティ・ダイソンを約五年なさって先月退職と。なるほど」
プラスチックのパーテーションで区切られたブースの中で、事務机を挟んだ向かいに座る職員の男が、くすんだ色の古ぼけたPCのモニターを眺めながら俺の経歴を確認した。さして輝かしくない自分の経歴が読み上げられる間、紙の番号札を机の下で折り曲げたり丸めたりして弄んで、何となく気を紛らわせていた。
立川のハローワークの三階にある英雄再就職支援課はそれなりに混み合っていた。雰囲気も一般向けのハローワークと特に変わらない。元ヒーローと言えど、仕事にありつけない人間が醸し出す気まずい空気は、普通の人たちと何も変わらない。
ヒーロー用の課では普通のハローワークのように専用のパソコンで自分で求人を探す必要はない。失業保険の手続きも丸投げできる。失業保険を受け取りつつハローワークに通い、時期が来れば複数ある天下り先のいずれかの仕事が斡旋されるようになっている。だから正直かなり気が楽だ。
「第二新卒でヒーローされてますけど、新卒の時は一般企業に就職なさったんですか?」
「いえ、アルバイトを」
はあ、と職員は相槌なのか溜め息なのかわからないような声を出して、またPCのモニターに目を向けた。
「
引退の直接的な原因となった過去のやらかしが、しっかり管理システムに記録されているようだった。一生消えない記録だ。入社した直後の新人研修で、敵前逃亡は絶対に犯してはならない禁忌であると習った。おそらく俺の事例は、新人研修でも触れられる題材になるだろう。記録に残るだけでなく、語り継がれるわけだ。
「ダイソンっていうからカービィみたいに吸い込んだりするのかと思ってましたけど違うんですね。大村だからダイソンっていう、そういうことですか?」
職員の独り言だか質問だかわからない言葉に対して、俺はふやけたような覇気のない表情と声で、ええ、ええ、と相槌を打った。
*
「番号札六十九番の山本様ですね、お待たせいたしました。どうぞお掛けください。よければお荷物はそちらのかごにお入れいただいて、はい、ありがとうございます。問診票お預かりいたしますね、ご記入ありがとうございます」
俺は番号札六十九番の客に着席を促し、事務机を挟んだ向かい側に自分も座った。
「本日担当させていただきます大村雄一と申します。どうぞよろしくお願いいたします。山本様は今回休暇取得のお手伝いのお手続きでよろしかったでしょうか?」
六十九番の客は何か答えていたが、俺は聞いていなかった。適当に相槌を打ちつつ、受け取った問診票の内容を顧客管理システムのフォームに入力した。
退職代行ならびに休暇取得工作業。それがハローワークから斡旋された仕事だった。俺は株式会社グッドレストの休暇取得工作課に配属された。業務内容を聞かされる前から、何となく何をするのか想像がついていた。
「要は殴って怪我させて休まざるを得ない状態にすればいいんですよね?」
初日のオリエンテーションで教育担当の社員にそう尋ねた。教育担当の社員は、はいともいいえとも言わず、「元ヒーローならではのスキルと知見を活かして、ご利用者様のワークライフバランス向上のお手伝いをするのが私たちの仕事です」と繰り返した。
事務作業と工作業務が俺の主な仕事だ。ダイソン・フィスト(ミニマム出力)で客を殴って提携先の病院へ送る。客は医師に診断書を書いてもらう。その後、病院に所属する治癒能力系の元ヒーローが客の怪我を治す。治癒能力系ヒーローの天下り先が医療機関なのは想像通りだったが、まさかそんなインチキ業務を行なっていたとは知らなかった。ミニマム出力とはいえ俺の腕は冷却時間が必要なので、客が病院に行っている間に必要な事務手続きを済ませる。客が戻ってきたら簡単な確認作業をして俺の仕事は終わり。それを一日数件こなす。仕事にはすぐ慣れた。
スーツを着て、毎朝池袋の雑居ビルに出勤する。
疲れきった表情の男を殴る、手続きをする、礼を言われる。
生気のない顔つきの女を殴る、手続きをする、礼を言われる。
殴る、礼を言われる。
殴る、感謝される。
殴る、殴る、殴る。
「ほっとしました」
「助かりました」
「ありがとうございます」
こんなに感謝されたのは、生まれて初めてだ。
轢き逃げ犯を取り押さえた時よりも、通り魔を張り倒した時よりも、すき家の強盗をぶちのめした時よりも、何倍も何十倍も、ずっと尊いことをしているような気がした。きっとこれが俺の能力の正しい使い方だったのだ。最初から、こうすればよかったんだ。
*
走行を続ける東京メトロ半蔵門線の車両の中で、俺は日本刀を持った綾野剛と対峙していた。乗客はすでに別の車両へ避難しており、次の停車駅である押上には警察と消防、そして一課のヒーローが待機している。俺はただこいつを足止めすればいいだけ。
「GANTZの実写版観た? 結構よくできてるよね。漫画の実写化にしては頑張ってるよ。まだ観てないならNetflixにあるから観なよ」
俺との距離を一歩ずつ縮めながら綾野剛が言った。距離は約二メートル。
「あの映画で綾野剛はそんなにベラベラ喋らねえよ」
俺は右の拳を強く握りしめた。腕全体の筋肉が怒張する。血管の中で風が吹き荒れている。次第にその風は一陣の熱風となり右腕の内側を力強く吹き抜けてゆく。チャージ完了。いつでも撃てる。
「そういやそうだったね。そうそう、ベラベラ喋るといえば」
綾野剛のような形の人間が、一歩俺に近づく。
「こないだイオンで君と君の彼女が」
女が俺に一歩近づく。
「仲良く買い物してるの見かけたよ。アイって呼んでたけど、彼女アイちゃんっていうんだ? 君と違っておしゃべりだね、あの子。明るい子が——」
笑顔のアイが、俺に一歩近づく——今だ! 今撃って足止めするんだ! でなければ押上に着く前に少なくとも一車両分の乗客がこいつに殺されてしまう。ダイソン・フィストを今撃たないと! でも——。
「タイプなんだよね、雄一。昨日牛乳買ってきてって言ったのに忘れたでしょ。キッチンのホワイトボードに書いといたから帰ったら見てよね」
腹部に唐突な灼熱感と猛烈な痛みを感じた。見なくてもわかる。日本刀が俺の腹を貫いている。にいっと笑ったアイと目が合う。右腕に渦巻いていた炎の風が、急速に勢いを失ってゆく——。
*
「えっ、現役でヒーローされてるんですか?」
デスクのPCから顔を上げて、俺は客の男の顔を見た。特徴のない、印象の薄い顔だった。さまざまな顔写真を混合して生成された平均的な顔の画像をネットで見たことがあるが、まさにそのような顔立ちだった。
男は俺から少し目を逸らして、小さく「はい」と答えた。おかしい。この男は嘘を言っている。元ヒーローか、何でもない一般人かのどちらかだ。現役のヒーローは事前の受付で必ず弾かれるはずだ。というのも、現役のヒーローはたとえどれだけ大怪我をしようと、それを理由に休暇を取ることはできないからだ。どんな怪我をしても協会所属の治癒能力系ヒーローがその日のうちに手当てをして、強制的に回復させてしまう。ヒーローが負傷を理由に休暇を取れるのは心肺停止から十分以上経った場合であり、そうなると治癒能力系ヒーローであっても完全に治すことは難しい。そしてほとんどの場合、それは死を意味する。
とはいえ、ここで波風を立てる意味はない。普段通りの業務を行なって、そのままお帰りいただければ問題ない。
「日本英雄協会は現在、英雄業務を担当する正社員、契約社員、業務委託社員に対して傷病を理由とした休暇の取得を原則禁止しています。もちろんこちらでお手伝いできることはさせていただきますが、申請が受理される可能性は限りなく低いと思われます」
そんなの知ってますよ、と男は吐き捨てるように言った。
「かしこまりました。では事前にご記入いただいた問診票を拝見いたしますね」
俺は男からA4の問診票を受け取り、内容を確認した。氏名、生年月日、住所、職業、相談内容……どれも初めて見るものなのに、なぜか妙に見覚えがある。以前対応した客か? いや、であれば受付の時点で顧客管理システムの情報が更新されるはずだ。会ったことは……いや、ない。顔に見覚えはない。印象が薄いので忘れているだけかもしれないが。見覚えがあるのは、この文字。そう、文字だ。俺はこの文字を知っている。どこで見た? 確か、確か……ホワイトボード。キッチンのホワイトボードの文字。冷蔵庫にマグネットで貼り付けられたホワイトボード——アイがダイソーで買ってきたホワイトボード。
「雄一、久しぶり!」
目の前にアイが座っていた。
「……ディープ・フェイク!」
反射的に立ち上がっていた。無意識のうちに右腕が臨戦体制になっている。なぜ今ディープ・フェイクがここに? あの時俺が逃げ出した後、一課のヒーローに始末されたはずじゃないのか。
*
一人になりたかったけれど、今完全に一人になってしまうとどうしようもなく病みそうだから、トイレの個室じゃなくて三階の自販機コーナーに来てみた。だけどこんな中途半端な時間に誰かがいるわけもなく、結局完全に一人になった。まあ、わかっていたことだけど。
今担当しているヒーローで結果が出ないと、たぶんもうこの部署にはいられない。たぶんというか、面談で直接言われたから確定だと思う。そうなるとグッズ販売代理店の管理か、あるいはもっと悪ければ、代理店の店頭に立たされて販促のイベンターみたいなことをさせられたりするのかな。せっかくここまで頑張ってきたのに、いまさらそんな誰でもできる底辺仕事なんて絶対やりたくない。
マネジメント部署に残る方法は二つ。一つは今の担当で何とか結果を出す。もう一つは全く新規の企画で結果を出す。でもどちらも上手くいく気がしない。前の担当ヒーローと男女の仲になった上にその担当ヒーローが敵前逃亡してそのまま引退というとんでもない失敗をやらかしてしまって、部署内での私の評判はすでに最悪だ。だから頼れる人もいない。
気付けば五分くらい、自販機の前でただ突っ立っていた。そろそろ戻らないと。
自販機に小銭を入れて、デカビタを買おうと思ってやっぱりやめて特茶のボタンを押した。がこん、と遠慮のない音がしてペットボトルが落ちてくる。取り出すと、見慣れない妙に派手なパッケージが目に飛び込んできた。知らないうちに特茶のパッケージが変わっていた。私はあんまり、こういうリニューアルは好きじゃない。たぶん多くの人がそうなんじゃないかと思う。だから復刻版パッケージなんかを出すと売れたりするんだと思う。
……復刻版。復刻。復帰……——カムバック! これだ!
*
日本刀を持った佐藤健が、みずほ銀行池袋西口支店で人を殺し回っていた。
近くの雑居ビルから『るろうに剣心』の衣装を着た佐藤健が出てくる動画がツイートされたのが約十分前。その彼が涼しい顔をして銀行に入ってきて、警備員、客、従業員を無差別に殺害した。およそ人間とは思えない速度で動き、逃げ出そうとする人たちを次から次へと斬り殺した。口座開設の手続きをしてもらっている最中だった僕は、咄嗟にカウンターの内側へ逃げ込み、奥の方のデスクの下に身を隠した。
何が起こっているんだ? わけがわからない。わけがわからないけれど、一つ確信を持って言えることがある。あれは佐藤健じゃない。そして僕はあれが何だか知っている。あれはディープ・フェイクだ。間違いない。東京メトロの襲撃事件の時のヴィランだ。あの事件はよく覚えている。ヒーローの一人、マイティ・ダイソンが敵前逃亡したせいで被害が拡大して、英雄協会が連日大バッシングを受けていた。
あの一件以来ヒーローオタクとしての熱が少し冷めてしまった気がする。けれどもやっぱり心の中にはまだヒーローに対する絶対的な信頼感が残っていて、だからこそ今この状況でも冷静でいられる。大丈夫、ヒーローは絶対に来る。彼らも人間だから全ての被害を防げるわけではないし、失敗だってする。けれども、絶対に来てくれるし、来たからには全力で僕らを守ってくれる……はずなのだけど、やっぱりマイティ・ダイソンの件が脳裏をよぎる。
「おろ?」
生気のない佐藤健の顔が、目の前にあった。
……見つかった!
僕は隠れていたデスクの下から引き摺り出され、複合コピー機の角に頭をぶつけた。視界の端で銀色の刃がゆらりと動く。見上げると、佐藤健が無表情で日本刀を振り下ろすところだった。
僕は死ぬ。ヒーローはきっと来るけれど、僕を助けるのには間に合わなかったんだ。何だよこれ。中学生の頃から硬派にヒーローオタクをやってきて、最後の最後にこれかよ。こんなことならもっと別のことに時間と金とエネルギーを使うんだった。人生の大半を費やした大好きなヒーローたちは、結局僕のことなんてどうでもいいんだ。僕のことなんて知っているわけがないし、救出の優先順位だってきっと低いんだ。なんだよ。こんな最期って、最悪だ——。
耳をつんざくような破裂音と共に、佐藤健が視界の外へ弾け飛んだ。
「えっ」
思わず声が漏れた。
目の前に、男が立っていた。安そうなネイビーのスーツに、手入れのされていない黒の革靴。バスタオルをシュマグのように巻いて、目元以外の頭部と口元を隠していた。
「遅いじゃないか。もう結構斬ってしまったよ」
「剣心は人を斬らねえんだよ」
そう言って男はファイティングポーズをとった。何だこの男。さっきディープ・フェイクを弾き飛ばしたのはこいつだ。ヴィラン相手に一発叩き込めるのだから、一般人ではないはずだ。しかしヒーローでもない。こんな雑な格好のヒーローはいない。
でもあのシンプルな構え、ミニマルで派手さのない戦闘スタイル、刃物をかわしつつ的確に間合いを詰めてゆく姿。彼はもしかして。
撮らないと! 動画撮らないと動画!
右ポケットからスマートフォンを取り出してカメラを起動させ、動画モードにする。録画ボタンをタップすると、ポン、という音とともにスーツ姿のバスタオル男にピントが合った。
*
素早い。あまりにも素早い。あの日——俺が地下鉄から逃げ出した日——俺はただこいつに刺されただけだった。だからディープ・フェイク相手に戦闘を行うのは今が初めてだ。ここまで素早いとは知らなかった。
「ぼーっとすんなよ! 刺しちまうぞ前と同じところ」
中段の鋭い突きが脇腹をかすめた。身をひねって回避し、刀が戻ると同時にそのまま間合いを詰める。
こいつはただの
なるほど。そういうことだったのか。だからあの日俺が、同じ
俺の能力は、正しく評価されていたのだ。俺なら、マイティ・ダイソンなら悪から人々を守れると、そう思われていたのだ。裏切ったのは俺だ。自分で裏切って、そのせいで嫌になって、自分の能力を全く活かせない職業に就いて、それが天職なんだと思って自分を納得させようとしていた。しかしそれは間違いだった。
今、理解した。俺の能力の正しい使い道は——。
逆袈裟斬りを放とうとするディープ・フェイクの手首に踵落としを食らわせ、斬撃を阻止する。そのままの勢いで間合いを詰める。
右腕の皮膚のすぐ下で、熱風が吹き荒れる。スーツのジャケットの右肩から下が焼け落ちて灰になり、腕があらわになる。筋肉が焼け切れそうなほどのエネルギーが腕の中で荒れ狂い、右腕全体が熱した金属のように赤々と発光する。制御不能の一歩手前まで増幅されたエネルギーは緑色の稲妻のように右腕から発散され、ストロボのように目まぐるしく明滅する。
目の前に、剣心の衣装を着たアイがいた。あの日と全く同じだ。でももう、迷わない。今の俺に、迷いはない。
右腕の感覚が、あるのかないのかわからない。チャージが限界を超えている。
まっすぐにアイの目を見つめる。
拳を引き、そして放った。
爆撃のような音とともに、ディープ・フェイクの上半身が消し飛んだ。遅れて耳鳴りがやってきて、そして何も聞こえなくなった。
腕枕をした後のように右腕が痺れて動かない……ような気がしたが、無意識のうちに右拳を高く突き上げていた。
ダイソン・フィストで敵を倒した後にいつもやっていた、勝利のポーズ。体に染み付いていた。
俺は日本英雄協会所属の
*
『はい、ちょっと一旦止めます。まずここですよね、このクッと両腕を構え直すところの動き、この時点ですでに結構マイティ・ダイソンっぽい感じありますよね! まあでもまだちょっと確定じゃない、続き見ましょう。うわめっちゃ早いな動き! いや全然衰えてないなキレッキレだな! で踵落としからの間合い詰めてからの……はいストップ! はいここ! こーれはもう確定だ。こーれはもう誰がどう見てもダイソン・フィストでしょ!』
私は動画を一時停止した。一般のヒーローオタクが撮影した動画が大バズりし、撮影者本人がYouTubeで解説動画まで出していた。TwitterもYouTubeも弱小垢みたいだけど、今回のマイティ・ダイソン関連だけはとんでもなく注目を集めている。自分が殺されかけてるのに最後まで撮影を続けていたのは馬鹿なんじゃないかと思うけれど、だからこそ動画には圧倒的な臨場感があった。
「弊社からも撮影担当の者を派遣していたのですが、無用だったようですね。もちろんそちらの動画もできる限り拡散されるよう尽力いたしますが」
面談ブースで、向かいの席に座る男が言った。
「ところでこの上半身吹き飛んでるのって、どうやったんですか?
「そこは企業秘密とさせてください。現場の優秀なメンバーが高い技術力で丁寧に仕事をしてくれました」
言って男は、にいっと笑った。笑った時の口元と目の細め方が何となく私に似ていて、なんかちょっと嫌だ。というか似せてる? もしかして、こいつがディープ・フェイクだったりして。
株式会社グッドレストの担当者と会うのは、何度目だろう。何度会っても初対面のような感覚がある。本当に何の特徴もない顔で、何度見ても全く覚えられない。見るたびに微妙に造形が違うんじゃないかとすら思う。休暇取得工作や退職代行の会社だということは知っていたけれど、法人向けのサービスでも英雄協会とズブズブなのは知らなかった。今回のマイティ・ダイソンの復帰工作は『犯罪演出』サービスの一つだ。工作内容は担当者の丁寧な提案と綿密な打ち合わせによるオーダーメイドで、今回は復帰工作とその後のフォローアップをお願いしていた。
「ところで復帰の温度感はどのような感じでしょうか? 御社のリクルーターさんがすでに大村氏にコンタクトを取っているとこの前お聞きしましたが」
「はい、もう復帰はほぼ確定と思っていただいて問題ありません。ですので予定通りフォローアップ演出もお願いしようと思います」
まだ直接会っていないけれど、リクルーターによれば雄一はマイティ・ダイソンとして復帰することに乗り気なようだった。復帰したらまた私が担当になるように、もうすでに話を通して段取りはしてある。バズってる勢いを最大限味方に付けて、とびっきりエモーショナルなカムバックを演出する。敵前逃亡の件も蒸し返されて賛否両論が飛び交うだろうけど、それでいい。盛り上がれば盛り上がるほどいい。上手くいけば二段、三段どころか十段飛ばしくらいでキャリアアップできる。失敗はできない。そう思うと少しナーバスになるけれど、雄一なら大丈夫。彼は真面目だし、自分の能力を活かしたいという強い欲求がある。一度引退して多少スレた感じになっているらしいけれど、それでもディープ・フェイクの誘いに乗った雄一はやっぱりヒーロー向きだと思う。けれども彼には華がない。残念だけどあのパッとしない感じはどうにもならないと思う。普通にやっていたのではあっという間に注目されなくなる。だからこそフォローアップ演出は必須だ。カムバックの勢いがある間は常にオンコールで待機させて、できるだけ派手な事件を派手なやり方で解決させる。グッドレストに天下りした元ヒーローの社員たちが派手な事件を仕掛けて犯罪を演出する。それがフォローアップ。
ヒーロー業界っていうのは、そういう業界。笑ってしまうくらい、終わってる。
この業界で正気を保ち続けるためには、とにかくキャリアアップして給料を上げて、自分がやっていることを正当化するしかない。ヒーローの力を世に知らしめることは、犯罪の抑止につながる。つまりヒーローの能力を使えば使うほど、世の中は良くなる。世の中を良くすればするほど、英雄協会に入ってくる金が増える。そして私たち職員の給料が上がるし、ヒーローに支払う報酬額も増える。悪いことなんて何一つない。三方良しの完璧で尊い仕事。
このサイクルを回し続けるには、とにかくヒーローたちに働いてもらわないといけない。だから雄一、今度こそ上手くやってよ。私が全力でサポートするから。あなたのダイソン・フィストは今、打ち出の小槌なの。だからその右腕が消し炭になって使い物にならなくなるまで、殴って殴って殴り続けて、最後まで己を犠牲にして戦い続けて。それがあなたの能力の正しい使い道。
私はグッドレストの担当者をエレベーターの前まで見送ってから、その足で三階の自販機コーナーへ向かった。そして誰もいないことを確認してから、小さくガッツポーズをとった。思わず「っしゃ!」と声が漏れて、それが思いの外図太い声だったので笑ってしまった。それから自販機でデカビタを買って、開けて一口飲んで、そしてオフィスへ戻った。
マイティなダイソンのフィスト ヤン・コウヘイ @koheiyang
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます