第16話 テーブルの悪魔は踊る

「これが篭手…ですか?」


 剣闘士とは、自らが望んでなる者は殆どいない職業。

 元より奴隷だから、普段の練習は使えて木刀まで、コロッセオの大会当日になって、やっと武器を渡してもらえる。


「そうだ。神官アリア様が作らせた逸品だぞ。そしてお前は不満を言う立場ではない」


 因みに一般的には30勝すれば、記念品として木剣が授けられ、市民権も与えられる。

 彼らの師匠のインディケンも、元々は奴隷であり、剣闘士であった。

 と言うより、剣闘士の師匠は元剣闘士に任されることが多い。


「不満…って意味じゃないんですけど。なんていうか…、俺にぴったり過ぎて…」

「それはそうだ。インディケンが腫れの引き具合も含めて報告をしていたからな」


 そして彼は医学も嗜んでいる。30勝したツワモノ、勉強にも熱心で、かなり優秀な人間であった。


「成程…。やっぱり先生って凄い。…でも、俺が聞いてた切断剣闘士って扇状の特殊な刃だったような」

「そっちはアリア様の希望だが?」

「あ…。あぁ、そうですよね。…それなら…納得…」

「どういう意味だ?」

「い、意味は…ありません。す、すごいなって思っただけで」


 勿論、意味はある。

 想像以上にピッタリというのは、サイズだけの話ではなかった。

 サイズがぴったりだが、サイズもぴったりなのだ。

 これがあれば、収穫くらいは手伝えるんじゃないかと思えるカタチ。

 ここでは麦穂ではなく、命を刈り取るカタチと呼んだ方が良いのだけれど。


 恐ろしい子だね。何を考えているのか未だの分からないけど、彼女はあくまで君を勝たせようとしているよ。

 あれ。…っていうか、今回はダイスは回らないんだ。

 当たり前だよ。君の能力値じゃ何を考えているのか分からない相手、コテンパンに叩きのめされた相手からの贈り物だよ。君にそんな権利はない。勿論、受け取らないという選択をして、ここの全員を敵に回してもいいけど

 そんなの出来る訳ない。死は隣にあっても、来てほしいとは思わない。


 こんな感じで二人の意見も纏まって、グレイは鎌の形をした義手を受け取る。すると…


「待て。まだ終わりじゃない。そのままじゃすっぽり抜けてしまうだろう」


 アリアより年上だが、彼女より立場の低い修行僧。

 彼はグレイが篭手を右腕前腕部に嵌めた状態のまま、何かを念じた。


 【魔力感知失敗】


 魔法の魔の字も知らないグレイに、正しく聞きとれる筈もなく、されるがままにしていると、


「うぐぅぅわぁぁぁああ‼」


 右腕に激痛が走った。天使の大鎌で斬られた時よりも圧倒的な痛みに意識が飛びそうになる。

 だが、同時に奇妙な感覚に襲われる。


「全く。アリア様は何をお考えなのか。このような者に金を掛けるなど…。今日中には死ぬ者だと言うのに」

「…し、死ぬつもりはありません。それにしても、これって——」


 直感的に悟ったのは、右腕が骨ごと貫かれたこと。

 そして恐るべき幻痛を同時に感じた。

 間違いなく、神経もろとも何かに貫かれている。

 その神経はもう要らないでしょ、とアリアが言っているように思えた。


「いいから行け。お前たちの待機部屋はあっちだ」


     □■□


 剣闘士の戦いは、剣豪たちの一騎打ちとは違う。

 これは市民にとって、ただのお祭りなのだ。


「おおおお‼あの白金の鎧はシルベルク公爵様のものだぁぁ‼」

「こんなに大きな闘技場を用意できるなんて、流石は公爵様ね」


 あでやかな騎馬隊が場内を練り歩く。

 そしてラッパに弦楽器に打楽器と、リズミカルな音色が観客の耳朶を喜ばせる。

 昨日、顔見世はしたが、今日は武器を携えての顔見世となる。


「あいつ…。失った手を鎌に変えてやがるぞ。もしかしてその為にワザと…」

「おおおお‼つまり俺の勘の方が正しかったって訳か‼」

「いやいや。相手は常勝の魔法網闘士だぞ?気合だけじゃ勝てねぇって」

「でも、見ろよ。アイツの顔。やってやるって言ってるぞ」


 そんな訳ないのに、グレイ自身もそういう気分になってくる。

 これが帝国のお祭り。音楽も背中を押しているのか、高揚した気持ちが自分に強さをくれる。

 大観衆も、今から始まる人間同士の戦いに心を躍らせる。


「皆さま、この度はご来場有難うございます。私たちは軍神マリス様とシルベルク公爵様に感謝の意を述べます。本当に有難うございます。…血が湧き立つような戦いをすると、神に誓います」


 自分の口が言ったのか、他の剣闘士が言ったのか分からない。

 とにかく、言わされたことには変わりない。

 今日はちゃんと服を着て、装備も整えて、大観衆の前で敬礼する。

 そうしろと言われた。これだけでもグレイたちには屈辱だった。あっち側の剣闘士だって同じ気持ちに違いない。

 女神デナを差し置いて、軍神マリスと貴族に敬礼しなければならないし、そうしなければ問答無用で騎兵に殺されてしまう。


「おおおおお‼魔法網闘士ディメント、期待してるぞ‼今日も派手に魔法をぶっ放せ‼」


 どうやら一番声が出ていたのは、常勝のディメントだったらしい。

 魔法網闘士の彼は、意外にも方形の大きな盾を左手に装備していた。

 そして右手に持つのが、彼専用の特殊武器。魔法の杖の先から刀身が生えた奇妙な槍だった。

 その槍を大きく上に突き上げると、完成したばかりの石の闘技場が崩れんばかりの大歓声が起きる。

 なんせ、帝国一と名高い剣闘士なのだ。

 完成したばかりのコロッセオで戦うのは、彼に決まっている。


 そんな豪雨のような、雷鳴のような拍手が鳴っている中で…


「どう…いう…こと?なんで…」


 一人の少女の声は、誰にも届かないまま、宙へと消えた。

 グレイもレベルが低すぎて感知できないまま、打ち合わせ通りに控室へと戻る。

 4番目の戦いだから、まだまだ時間はある。

 出来れば、この高揚した気分の中で戦いたいのに、と思う。

 それと同時に…


「あの白銀の光を放っていた鎧の人の隣にいたのが…、あの子の結婚相手…か」


 恋心かも分からない淡い何かを胸に抱いて、少年は兜を慣れない手つきでゆっくりと外した。

 オーテムの闘技場の控室は酷いものだったが、ここはどうやら快適に過ごせそうだった。

 もうすぐ、殺し合わないといけない状況がなければの話だが。


「俺…、頑張ってアピールしなきゃ…」

「ランド。気合を入れすぎるなよ。訓練通りにやれば、多分大丈夫だ。お前はついているからな」

「う…、うん」


 ランド・ラウンダーが一番手で戦う。

 だから、彼だけは控室の入り口で立ち尽くしたままだった。

 その様子を見て、少女は軽く舌打ちをして灰色の髪の少年の前まで早足で歩く。


 そして赤毛の彼女はグレイに告げた。

 とても深刻そうな顔で。


「グレイ。ゴメンなさい。私…死んでくる…」


 その言葉に兜を脱いだばかりの少年は目を剥いた。


 【8】+補正無し。失敗。とは言え、彼女の悲痛な顔はかなり見慣れたもので、その意味を測れずにいた。


「…私、公開レイプなんて絶対にされたくない。死んでも…無理…だから」

「公開…何?死んでもって…、言葉の綾だよね?」

「そんなわけないじゃない。私の尊厳は殺されてるの。何度も何度も…何度も殺された。いつか復讐してやるって心に誓ったの。…でも、あれだけは…絶対に…無理。だから、私は…ここで…」


 サイコロ運に見放されたグレイには気付けない。

 そも、剣闘士には自殺がつきものなのだ。


 祖国のため、誰かのために戦うではなく、見世物として戦わされる。

 そして、彼女の場合は…


 戸惑って逆立つ灰色の髪、彼の前で赤毛がバサッと頭を垂れる。


「でも…、私のせいで…、帝国一の剣闘士と戦うことになったグレイにだけは謝らないと…って」


 だが、その時。世界の色が灰色に染まっていく。

 少女の覚悟を遮るかのように


「私、自分の首を掻き切って…」


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


 松明は明るいのに赤色をしていない。

 部屋は薄暗いから闇に染まる。

 そこに色を持つ、ただ一つの存在。


「え…?なんでこのタイミング?イスルローダ…」

「なんでも何も。ボクの存在意義を忘れて貰っちゃ困るんだけど?」


 悪魔イスルローダの存在意義、それは分岐点の提示だ。

 つまりここには分岐点が存在するということ。

 それも…


「俺の人生を大きく変える分岐…?」

「そう。君はまだ気付いていないけど、世界は大きく変わろうとしている。アリオスなんかが大天使を騙っているのも鼻につくしね。だから、と・く・べ・つに…」


 グレイの人生だけでなく、これは世界の分岐点だと悪魔は言った。

 そして灰色の世界に一つだけ別の色がつけ足される。

 イスルローダが持つ赤は血のように鮮やかな赤だけれど、今回の色は厳密には赤茶色だった。


 即ち…


「リリー?リリーの髪色が…」

「自害しようと思うの‼…って、何、これ?それに…知らない人、いえ悪魔…なの?」


 色失いの世界に新たな参加者が現れたのだ。


「イスルローダ。これはどういう」

「ボクはねー。もっと早くこういうのがしたかったんだよ。でも、君がなかなか仲間を作ろうとしないから我慢してたんだ」


 リリーが目を剥く中、一人で戯けるように踊る悪魔。

 彼か彼女か、悪魔に性別があるのかは分からないけれど、イスルローダのみが快活に動ける世界の中で、ソレは続ける。


「普通さ。TRPGは一対一ではやらないんだよ。ゲームマスターと対面で楽しいものかね」

「てぃーあーるぴーじー?何のことよ…。グレイにもコイツが見えるの?って、知り合いみたいに見えたけど」

「え…、あの…」

「そだよ。彼はボクのご主人様…。そしてボクは君の言う悪魔さ」


 リリーは目を剥き、半眼を飼い主に向けると、灰色の髪がふわりと浮かぶ。

 そして赤毛の少女は目を閉じ、肩を竦めて首を横に振った。


「そういえば、そんなことも言われてたわね。でも私に関係ないなら別にいいわ」

「え、いいの?俺のこと軽蔑しない?」

「私には関係ないんでしょう。だったら今ここで死んでも、私はデナ様の元へ行ける。悪魔憑きは地獄に落ちるんでしょうけれど」

「そっち⁉そうか、俺は地獄に落ちるのか。イスルローダと契約をしちゃったから…」


 薄々分かっていたこと、だけど悪魔は首を傾げる。


「さぁねぇ。君たちの言う地獄がどんな場所か知らないけど、今の状況よりは多分天国だと思うよ。そして天国は今の状況よりも地獄だと思うし」

「はぁ?悪魔が勝手言わないでよ」

「悪魔だから勝手言うんだよ。それに君はその話をデナ様本人から聞いたの?ボクのご主人様みたいに大人たちが言っていたから、なんて言うんじゃないだろうね?」

「だったらどうなのよ‼」

「だったら、デナ様の試練から逃げ出したってことになるよね?」


 そこでリリーは振り上げた拳を下すしかなくなった。

 そんな決まりさえ、グレイは知らなかったのだけれど。

 

「まぁ、あれだね。ここではマリス様が最高神って言っているみたいだし?死にたいなら死ねばいいんじゃない?」

「イスルローダ‼」


 つい、怒鳴ってしまう少年に、悪魔は自身の艶やかな唇に指を当てて、何も言うなと仕草で示した。

 すると。


「信仰の違いはある。でも、マリス様はデナ様の長子。教えそのものは近い…筈。だったら、私は…」


 彼女自身が勝手に結論を導き出した。

 グレイの付け焼刃宗教学レベル1では、やはり理解が出来ていなかった。


 そして、ここからが悪魔の腕の見せ所なのだ。


「君にとっては、帝国国民は異端者の集まりだよ。死んで天国に行くために…、君はどうするべきかな?」


 グレイという無知な少年はコロッと行ってしまったが、彼女には違う角度から詰めていく。

 イスルローダはグレイに対して、グレイが知っている話しかしない。

 それは彼女に対しても、やはり同じなのだけれど。


「私は戦わなきゃ…いけない。元々、クシャラン大公国はそのつもりだったのだから」


 戦争をしていた理由がソレなのだ。

 捕虜になり、奴隷になってしまったから終わりではない。

 そこを悪魔はくすぐってみせる。

 悪魔に言わせれば、突発的な行動を起こすグレイよりも扱いやすい存在が彼女なのだ。


「だってさ、ご主人様。後は君が頷いてくれるだけでいい。あくまでボクの飼い主はグレイだからね」

「グレイ…。さっきのはやっぱり無し。…私、戦いたい。本当の意味で戦いたい」


 本当の意味の戦い、灰色少年では思いつかない言葉。

 だけど、流されやすい少年は強く頷いてしまう。


 そして…


「オッケー。それじゃ、行ってみよう‼戦闘開始ゲームスタート、…その前に一端椅子に座ろっか。出でよ、議論の机テーブルトーク‼」


 灰色の世界に一つのテーブルと三つの椅子が出現した。

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