第15話 剣闘士の晩餐
初めて彼女と出会った時の出来事。
「そろそろ日が暮れるから危ないぞ」
「わ、びっくりした…、あなたは…」
一番最初が、どれくらい前のことだったか、流石にそれは忘れたけれど、最後に会ったのは三年前の大規模検地の時だった。
これはそれより数年前の話だから、少年はこの出会いの意味を深く考えなかった。
「グレイ。髪の毛が灰色だからそうやってつけられた。お前は金色の髪をしているんだな。まるで小麦畑だな」
今まで散々エイスペリア人とかメリアル人とかテルミルス人とか言ってきたが、領主様、貴族様と民が同じ人種とは限らない。
元を辿れば、大デナン帝国時代にルーツを持つ貴族も少なくない。
っていうより、そこにルーツを持たない貴族を探す方がずっと難しい。
でも、この時の少年は何も知らなかった。
「小麦畑って!…でも、アタシ。ここの景色好きだからなぁ。うん、赦す‼」
「なんだよ、それ。ってか、早く帰れ。俺も叱られる」
「はーい。でも、本当にここって綺麗。夕日に染まる黄金の小麦畑。シロッコ山とチラーズの齎す奇跡」
「奇跡…?」
「ううん。何でもない。ありがと、アタシ、帰るね」
最初はこの程度の会話で終わったけれど、その後は何度か同じ場所で他愛もない話をしていた。
「君はここでずっと生きていくの?」
「それはそうだろ。農民ってそういうものだし」
「そっか…」
でも、最後に会った日にグレイはついに気が付いた。
「…そういえば、今は大規模検地してるって、父さんと母さんが言ってたな。俺も挨拶をさせられたし…、ってあれ?そういえば…」
「あああああ‼」
すると少女は劈くような奇声を上げて、何かを誤魔化した。
「なんだよ、急に…」
「ここの風景を絵に描けば良かったなぁ…って。ね、グレイ。君は夢とかある?将来、本当は何をしたい、とか」
彼女の方が随分年上に見えた。でも、身長は同じくらいだったかも。
まだ、成長期は迎えていなかったし。
「別にないよ。ここでこうやって…、小麦畑をずっと眺めるんだろうな…、くらいしか未来のことは分からないよ。で、ミーシャは?」
「それ‼アタシの夢と同じだ‼アタシもこんな綺麗な土地で、ゆっくり暮らしたいなぁ。グレイとアタシの夢、同じだね。」
なんとなくだけど、惹かれ合っていた気はする。
だから、ミーシャを名乗る幼い子供は、世間も知らずに将来を話してしまう。
でも、グレイはふぅと溜め息を吐いた。
「同じ…って言っても、俺達は…」
「駄目。…夢を壊さないで?今だけ…、ね?」
金糸のような長い髪、それぞれが別の光沢を放つ生地で出来た清潔な服。
どう考えても、彼女は貴族の子供だった。
とは言え、少女の方が成長は早く、既に愛らしさを身に着けていた彼女に、少年は僅かに頬を染めながら頷く。
「うん。そんな日が来るといいな。あのさ、俺はずっとここで生きていくから…」
「…分かった。いつか、そんな日が来たら。ここで待ち合わせをしよう?」
結局、彼女が何者なのか、聞くことは出来なかった。
だって正体を明かしてしまったら、二度と会いに来てくれない気がしたから
とは言え、農民の子供には贅沢な思い出だろう。
叶わぬ夢、身分違いの少年少女。
そして…
グレイは今、目を剥いていた。
「エアリス様。あまり剣闘士に話しかけないで頂きたい」
「す、すみません。初めて、こんなところに来たので、少しだけ興味が湧いたのです」
観察しろ。名前は違うけど、面影は残っている。
別人の可能性だってあるんだけど…
ここで下手な行動を起こすと不味いよ?あくまで奴隷、忘れちゃ駄目
大丈夫。こういうだけ。彼女に——
うん。それなら大した問題じゃないね。勿論、君の観察力がどこまで使えるかだけど…
【
イスルローダ曰く、フィールドでは基本的に二十面ダイスを使うという話だ。
5%くらいの確率で、良いことがあってもいいでしょ、という配慮らしいけれど。
15以上で成功。知性補正は2ほど見込めるらしい。
わざわざあの空間で対話しなくとも、何となく分かる。
「小麦畑で…、怪我をしました。とても美しい麦穂に目を奪われてしまって」
運命のサイコロが脳内で転がる。
【15】+知性2……マイナス補正、隠匿2——だけどギリギリ成功。
グレイはエアリスの眉の動き、瞬きの回数に注目した。
彼女は何かを隠そうとしている。そう、あの時と同じように。だから、分かった。
どちらが本当の名前か分からないけれど、目の前の貴族令嬢はあの日の少女だ。
だから、なんだという話だけれど
「奴隷が勝手に喋るな‼」
「い、いえ。私が先に質問をしたのです」
「…いいですか?エアリス様は公爵家に嫁がれるのです。奴隷の男と話すなど醜聞が広まります。ですが、この者は明日の試合で間違いなく殺されます。御賭けになるなら、反対側の黒髪の魔法網闘士ディメントになさいませ。見てください。あの筋肉。そして知性を感じさせる瞳…」
「あれも…剣闘士なのですか?」
「ええ。本人と所有者の希望により、50勝するまでは市民権を得られない約束となっているそうですが。只今、50戦48勝です。次の興行で彼は紛れもないテルミルス人になるでしょう」
「本人の希望って…。彼はあんな人と戦う…?そんなのって…」
侍従が彼女を連れて行く。
この度の主催者はテルミルス帝国の公爵家という話で、彼女はそこに嫁ぐのだという。
意味が分からない。彼女は元々こっちの人間だったのかもしれない。
あの日、彼女の正体を聞く勇気があれば、何かが違っていたのだろうか。
「マジックフルアーマーのオークを倒したという噂ですから。ただ、その後右腕を失ってしまったので、話になりませんね」
その言葉にグレイの目も自然と男に向く。
口ひげを蓄えている大人の男。
彼が口ひげを蓄えているのは、魔法の詠唱を悟られない為かもしれない。
【観察力チェック】…【5】宗教学1、神学1、地理学1…失敗。
ここで少年は気付いた。いつの間にか補正値の項目が増えている。
どうやら、右手を差し出したのに意味はあったらしい。体で覚えたと言っていい。
大切な右腕の代償で手にしたのは、宗教学レベル1、神学レベル1、地理学レベル1。
どっちが欲しいと問われたら、サイコロを放りだして、ノータイムで右手を取るに違いない。
勿論、ダイスの目を補正してくれる大切な技能だが、今回はどうやら振るわなかった。
だからあの男がどんな戦い方をするのか、見当もつかない。
サイコロは神の数字だけど、もしかしてグレイの気が散っていたから…?
何がだよ…。気なんて散ってないし
心が読めるって、言ったよね?さっきの
馬鹿。読むなよ…
どうしてハバド地区に出入りしていた貴族令嬢がここにいるのか。
二次性徴前後で人とは、見た目も含めて変わるものだ。それに当時のミーシャは化粧をしていなかったが、今はあんなに厚い化粧をしている。
だけど、同一人物だと分かった。
でも、やっぱり分からないことだらけ。これ以上は…、ダイスを振りたくない…
まぁ、いいんじゃない。今の君には生き残るという大事な役割があるんだし、ね
全くその通り。
リリーには悪いが、別の女のことで脳をミックスされた品評会は、思ったよりも苦痛を感じなかった。
片や質が良くて淡い光を帯びたドレスで、片や右手を失った全裸の奴隷姿だったけれど。
——そして、その日の夜。
「これ、食べていいの?俺、こんなに豪華な食事は初めてなんだけど」
「…最後の晩餐だ。味わえるなら味わって食べろよ」
デニス・スターハイムは、最初の日に師匠インディケンに食って掛かった若者だ。
面倒見が良くて、色々な話を教えてくれる。
彼は
「デニスは食べないの?」
「…食べるに決まってる。装備はお重いから、明日に響かない程度には栄養がいる」
「そっか。それなら俺はあんまり食べ過ぎない方がいいかな」
寡黙に上品に食事をとっているリリーを横目に、グレイはいつもの如く大麦粥を胃の中に流し込んだ。
後に説明することになるが、まさかのクリティカルミスによって、彼の装備はある特徴を手に入れている。
「それより観察は怠るなよ。魔法網闘士なんて、俺も見たことないからな」
【
イスルローダの言葉ではなく、デニスの声に呼応してサイコロが呼び出された。
ただ、直後。…成功は12以上。知性2だけ補正があるから。と注釈は入ったけれど。
【18】大成功
グレイは魔法網闘士の身体的特徴から、戦い方を推測出来た。
「筋肉質ではない…。どっちかというと魔法中心かな…。わ、目が合った」
「そりゃ目が合う。こっからは探り合いだぞ」
明日殺し合うのに、会話をするわけもなく、互いに観察をするだけ。
ただ、魔法網闘士の方は早々に飽きたらしく、他の仲間と酒を飲みながらの談笑を始めてしまった。
彼は最後の晩餐と呼べるこの瞬間を何度も味わってきたのだ。
「市民権はとっくに得られるのに、なんで見世物になってるんだろ…」
「雇い主のお気に入りだぞ。稼ぎも良いし、女だって言い寄ってくる。強いんだから、こっちのがあってるだろ。下手したら貴族より良い暮らししてるぞ」
「俺だったらこんな場所、さっさと逃げ出したいけど…」
「そりゃ、お前は弱いからだ」
グレイと同じ所属の剣闘士たちも酒が回ったのか談笑を始める。
酒も食べ物も、いつのも生活とは比べ物にならないモノが並んでいる。
勿論、最後の晩餐という意味でだが、剣闘士で成功すれば農民以上の生活が出来る。
そう思う人間だっているんだろう。特に自分の力に自信がある者は。
「まぁ、ランドはよ。とにかく、観客を楽しませりゃいいんだ。気に入って貰えたら、次の戦いも見たいと思わせりゃ、そう簡単には死なないよ」
「…でも、それってくじ運もいるよね。誰も死なないなんてことは…在り得ないし…」
なんでも行動してみること。それが生きる上で大切。
イスルローダの口車に乗せられているだけかもしれないけれど。
だけど、今はその心配はなさそう。
「デニスさん、ランドさん。くじ運とか楽しませるとかって、どういう意味ですか?」
そして、その質問の歪さを先ずは顰めた顔で応えられた。
理由は勿論。
「…あぁっと。そうだな。要するに人が死ぬ瞬間は見たいってことだ。だけど、面白そうな奴を殺すのは勿体ない」
「そっか。死なない人が続けば続くほど、人が死ぬのを見たいと思ってくる」
「そ、そうなんだ。だから…くじ運。今回で言うと当たりは…、グレイの戦いの前か後ってこと…かな。ほら、グレイって…」
「ランド、止せ。…グレイ、お前は運なんかに頼るなよ」
今回の一番の目玉は魔法網闘士ディメントと切断闘士グレイとの戦いだ。
人間が死ねば、その後の処理が大変になる。次の戦いを見たいから、生かせの選択をしたくなるかもしれない。
そして、グレイは間違いなく「殺せ」コールを連呼される。
神に歯向かった罪を大々的に喧伝されている。
「後は…、アイツの後は嫌だな。興奮した客が何を言い出すか分からねぇ…」
そう言ったグリムの視線の先には、黙々と食事を食べるリリーの姿があった。
そして、そうなることが決まっていたかのようにくじという名のダイスが回る。
【2】【4】
明日の殺し合い、第二戦がリリー。第四戦がグレイに決まったのだ。
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