第14話 興行の始まり

 帝都マールスはオーテムより更に北に位置する。

 移動だけでも時間がかかるのに、魔法の剣での傷が塞がって、医師としての知識もあるインディケンから、動いても良いと言われたのは牢屋馬車が旅立つその日だった。


「熱は出ておらんな。なぁに。欠損剣士は珍しいことではない」


 サイコロ運を嘆くべきか、それが神の意志だったのか、神官の天使を疑った為に右腕を失った。

 腕、しかも右腕を失っても戦いから逃げてはならない。


「はい…。先生。色々とありがとうございました」

「今から死にに行くような目をするな。切断剣闘士スキッソールの型で行くと決まっただけ、前進とも言える」


 何が前進なものか、と。

 スキッソールは左腕に盾を持たずに特殊な篭手を身に着けて戦うスタイルで、腕が切断した剣闘士という意味ではない。

 とは言え、手首と肘の真ん中で斬られた腕は、そうやって戦えと言っているようにしか見えない。


「帝都のコロッセオには連絡している。お前さんにピッタリの篭手が用意されているだろうよ」

「そう…だといいのですが…」


 数日間、いやそれ以上の日々。右腕の喪失という心的外傷に悩まされた。

 決して戻らないように滅却させられ、その様子を自身の目が脳に焼き付けている。


「どっちみち、生きるか死ぬか、二つに一つしかない。前を見ていけ」


 結局、彼には簡単な指導しか受けていないから、師匠と呼ぶほどの関係も築けていない。

 どちらかと言うと、病院の先生と患者の関係だった。

 剣闘士は財産である。彼は主が罰した奴隷への治療を任されただけで、かなり迷惑…


「本当にすみませんでした。俺、この恩をどうやって」

「いやいや。腕の構造を見れる良い機会だったよ。魔法無しでの治療が任されることなんて滅多にないからな」


 と思いきや、実はそんなこともない。

 アリアの魔法で一発で治せるのに、彼女の天使を悪魔呼ばわりしたから、その治療が受けられなかった。

 彼は、久しぶりの魔法無しの治療を楽しんでいたのだという。


「あら、そうでしたの?」


 ここで愛らしくも憎らしい声。

 インディケンも彼女を怖く思っているらしく、二人して両肩を浮かせてしまった。


「い、いや。これはですね…」

「良いのですよ。ヒトの力での医療術も必要ですから。では、彼のような無作法者が今後現れたら、殺さないでこちらに回しましょうか?」

「いや。ワシの仕事は剣闘士を鍛えることでして…」

「そうでしたわね。では、その剣闘士に馬車に乗るように言って頂けませんか?」


 …出た、アリオスの飼い主。余計な口をきかないようにね。

 …分かってるよ。


 お世話になったインディケンの迷惑にならないように、グレイはスッと立ち上がって、振り返りざまに一礼した。


「死ななくて良かったですね。それでは行きましょうか」


 笑顔の彼女。見たくもない顔だけれど、今度こそ殺される。

 いや、リリーの選択はある意味で正しいのかもしれない。

 汚辱に塗れて生きるなら、剣闘士として戦って死にたい。


「はい」


 腕の喪失以前に、家族も故郷も失っている。そしてロコは片足、モコは片腕がない。

 例えメリアル王国が助けに来ようと、二度と農民には戻れない。

 そういう踏ん切りが、ロコとモコのお陰でついた。


「必ず生き残ってみせます。あの…、今回リリーは?」

「新しく出来た帝都のコロッセオで、是非に彼女もと言われまして。私も反対をしたのですが…」


 その言葉に少しだけ安堵しつつ、神官の表情を窺う。【18】


 【探知成功】


「俺、必ず勝ってきますから。あの子のこともよろしく頼みます。モコとロコと同様に…」


 するとアリアは肩眉を吊り上げて、碧眼を少しだけ怪しく光らせた。


「…あら。その体で勝てると?まぁ、いいでしょう。貴方が勝てば、どうにかしましょう。マリス様の名で誓って差し上げます」

「はい。何が何でも生き残る。どんな人間も死は隣にいるのと同じ…」

「メメント・モリ…ですか。それは貴方に対しての言葉?それとも…」

「勿論、魔法網闘士のことです」


     □■□


 天使の綺麗な剣で斬られたから、治りが良かったとインディケンは語った。

 それはその通りらしく、あの後も大して熱は上がらなかったし、食欲も落ちなかった。

 大麦の粥飯をあっという間に平らげるほどに。


「生きたいとは思わない。でも、生き残らないといけない」

「お前、凄いな。俺だったら怖くて溜まらない。今だって怖いのに…。相手は俺と同じ突撃闘士だけど、俺よりも二回りデカいらしいし」

「お前はまだいいだろ。グレイの相手は魔法網闘士だぞ。そんなのズルいだろ。それに天使様を失った罰とはいえ、利き腕を失ってんだぞ」


 ランド・ラウンダー、グリム・ソールダー、デニス・スターハイム。

 赤茶色の髪の色のエイスペリア人たちだ。

 小さな興行だと、同じ訓練所の剣闘士で戦うこともあるが、教会所属の剣闘士たちはそんな小さな興行には呼ばれないらしい。


「…でも、ここに嵌める武器も用意してくれるらしいし。多分、…戦いになればどうにか。それより皆も頑張って」


 対戦する相手は別の場所で訓練を終えた剣闘士たちだから、馬車での雰囲気は悪くなかった。

 死への恐怖に震えているのは間違いない。


「お前ら。静かにしろ。俺はゆっくり寝たいんだよ。数日は掛かるんだろ?」


 前回は目と鼻の先の距離で行われた仕合だったが、帝都はここからかなり離れている。

 そして今回の目玉が魔法網闘士ディメントと巨大オーク戦士・ミーツを破った若き剣闘士の戦いだ。

 だが、二番目の目玉は…


「リリー、ゴメン。説得…できなかった」

「さ…最初から分かっていたことだから…。それにグレイが勝ってくれたら…、私は難民として保護してくれるって約束はしてくれてる。私の為に勝って…って言える立場じゃないけど」


 王国貴族ご令嬢出身という女剣闘士。

 出来立てホヤホヤ、煌びやかなコロッセオだからお金もかかっている。

 だから戦う女剣闘士は、結局のところ客寄せに使われてしまった。


「お、俺の戦いが先だったら良かったんだけど…」

「んなことあるわけねぇだろ。俺達はくじ引き、お前たちは対戦相手が決まってる」

「デニスの言う通りだ。俺達は所詮、見世物だ。庶民の鬱憤を晴らすって理由だけで戦ってる…。ある意味で、俺はリリーが羨ましくもある。グレイがどう思おうと、リリーがどう思おうと。…殺されない…んだからな」

「そんな…。私がどんな思いで大衆の前で…」

「お前ら。さっきからうるせぇぞ。俺達には選ぶ権利がない。灰色の。お前の好きな言葉だろ。メメント・モリだ。明日には始まるんだ。今は何も考えないようにしようぜ」


 剣闘士の戦いには順序がある。

 グレイは順序を飛ばして割り込んだから、これから始まることを知らない。


 ──剣闘士とは、グラディエーターとは、タダの見世物でしかない。


「今回の興行主は元老院議員のシルベルク公爵様だ。恐らく公爵家の行軍だろう。お前たち、おとなしくしていろよ」


 オーテム教会の司教の一人が小声で話す。

 その言葉に剣闘士たちは口を噤んだ。

 グレイの目の前には見たこともない巨大な建築物が建ち並んでおり、その間を騎兵の行軍が行われている。


「あの後につくぞ。ここから見られていることを意識しろ。…生き残るために」


 帝国は中央集権化が進んでおり、領主というより地主として貴族が存在している。

 そして民は自由市民であり、それぞれが人権を持って生きている。

 奴隷たちの殺し合いを見学する権利を持ち、奴隷たちの生き死にを決める権利を持っている。

 だから「意識しろ」とは耳目をよく見せろという意味、若い司教からの優しさでもある。


「前のオーテム闘技場でも同じようなことが?」

「あぁ。お前は途中参加だっけ?…言っておくが、気分のいいものじゃないぞ」

「…特に私は」


 既に彼らは一度以上は経験しているから、真剣な顔の中に悲哀の色を感じさせている。

 グレイは今回が初めて。しかも出来たばかりの巨大なコロッセオを尻もちをつきそうな程、見上げて呆けている。


 だけど、神殿のような造りの部屋に入った瞬間に、彼の顔色も変わる。


「…これって俺?なんで、ここに?絵を描いてもらった覚えなんて…」


 王国の時でもある筈がない。だのに、自分で見てもソックリと思うほどの絵画が壁に貼り付けられていた。


「今回は大きな興行だから、対戦相手が予め決められている。帝国国民はこの絵を見て、期待に胸を膨らませるんだよ」

「俺…、前より弱そうに描かれてる。前回は途中で終わって戦わなかったからかなぁ…」


 グレイの肖像はかなり強そうに描かれていたが、上から書き足されたのか一部だけ絵の具の色が違っていた。

 天使を疑った罪で、右手を喪失と注釈まで入れられていた。

 そして、どこからか聞こえてくる。誰かの声…


「アイツが?俺、失敗しちまったかも。神をも畏れぬって悪漢かと思ってたぜ」

「だから言ったろ。倍率が低くても、おとなしく魔法網闘士ディメントに賭けとけってな」

「チッ。あいつが負けたら殺せコールしようぜ。ま、俺みたいに騙された連中は全員そう言うだろうけどな」


 吐き気を催す邪悪な話。先の司教の言葉は自分に言われたのだと勘ぐってしまうほど。

 剣闘士の死亡率は1割程度と以外にも低い。

 皆が懸命に戦い、殺すには惜しいと、次が見たいと思わせたから。いやいや、それだけではなく、心のどこかで殺すのはやり過ぎと思っているからだろう。

 だけど、死ぬ姿を欲する市民をグレイは目の当たりにしている。

 飼い主に楯突き、神をも疑った男が負けたなら、間違いなく殺せコールが起きる。


「グレイ。移動だ。あのことは忘れて、強そうな顔を見せろ。そして、その傷もアイツらに見せてやれ」


 一列になって歩いていたが、目と耳を奪われたせいで前との差が生まれていた。

 そんな彼を連れて行こうと若い司教がやってきて、奥の部屋へと連れて行く。


「…え、まだ。何か、あるの?…って、これって」


 その先には別の部屋があり、雅な服を着た大人たちが並んでいた。

 高い身分の大人たち。その中の男の過半数が一人の女の前に集まっていた。


「お前も自分の肖像画の前に行って、服を全部脱ぐんだ。お前たちの一回目のお披露目だから、勇ましくだぞ」


 本能からか、それとも予想外だったからか、自然と目がリリーに行く。

 彼女は汚辱に塗れているにも関わらず、凛々しくも堂々と立っていた。


「兄ちゃん。早く、見せてよ。オークをぶっ斃したんだろ?」

「え…。あ、はい。…でも、これじゃまるで」


 家畜と変わらない扱い。奴隷だからそういうものかもしれないけれど。

 帝国国民に舐められるように裸を見られる。

 男でもこれほどに屈辱的なんだから、女のリリーは耐えられないだろう。


 あるいは…、行きの馬車でグリム・ソールダーが言ったように?


 いや、彼女がそんなことを望んでいるわけがない。

 そう考えるなら、最初から慰安婦になった筈だ。


 だから、自分の裸体くらい見られても…、そう思った。


 だけど


「ねぇ…、君。その右手は本当に天使に切られたの?」


 突然、話しかけてきた貴族令嬢の顔に…、──グレイは目を剥いた。

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