第5話 悪魔に唆されて

 グレイは体に障害を持つ子供二人を保護した。

 二人は神官様の馬車の中で、ゆっくりと眠っていることだろう。


「おいおい。もうちょっと早く歩けねぇか?」

「馬鹿か、お前。ただの捕虜じゃねぇぞ。マリス様は寛容の心も見ておいでだぞ」

「そ、そうでした、ガンズ様!!」


 その男の子と女の子、近所の子供かどうかもハッキリ見ていないから分からない。

 教会に行けば、洗礼者名簿に名前があるだろうが、その教会も焼け落ちている。

 教会はグレイの家族が住んでいた家より、ずっと西にあるけれど、シロッコ山の麓が遠目に見えるということは、燃え落ちたか溶け落ちたのだろう。

 石造りの建物の中に居ても助からなかったのか、その建物は別の方法で破壊されたのか。


「とは言ったが、お前もいちいち立ち止まるな」

「何も…、なくなっちゃった…。お父さん…お母さん…組長…」


 歩兵隊長の言葉は聞こえているが、頭の中に入って来なかった。

 両手と胴をロープで縛られているのも忘れて、膝から崩れ落ちる。


 ズシャ


 受け身が取れないから、そのまま顔から倒れてしまう。

 そしてそのまま泣き続ける。

 妙な悪魔との契約、サイコロの目で正気度がマトモになった。

 でも、現実は何も変わらない。

 昨日まで、あんなに平和だったのに、何もかもが無くなった。

 父も母も、お世話になった人たちも全員亡くなった。


 しかも、彼らと関係があったかもしれない大人たちの肉塊に守られて


「おい!立てって。俺達もここから早く帰りたいんだよ。やばい臭いまでしてる。こんだけ荒れてたら、夜も厄介だろうしな」

「俺…だけ…生き残っても…」

「ガンズ隊長、寛容の気持ちですって。俺だって故郷がこんなになったら、正気じゃいられないっすよ」


 本当にその通りだった。

 後から思い出される悪夢に、胸が掻きむしられる。


「まぁ…、そうだよな。こういうのは後から来るもんかもな。…でも、それなら尚更だ。立てよ、お前は生き残ったんだ。んでよ、お前だけじゃあねえんだ」

「俺だけ、生き残ってしまった…」

「そうだよ。それだけで不幸を背負った顔してんじゃねえって言ってんだ」


 【敏捷性6】補正無し


 少年は地面を這いつくばったまま、動く気なし。

 その様子にガンズは苛立った顔をして、思いっきり蹴り上げてしまった。

 鉄塊のような足がグレイの顔面を捉えて、少年は呆気なく意識を失った。


「寛容の精神ねぇ…。お前ら、コイツを荷車にでも押し込んどけ」


 ある意味で寛大なる気絶を貰って、グレイは過去の後悔を暫く考えずに済むことになった。


 そして、少年が目を覚ましたのは夜。


「…そっか。俺、荷車で運ばれて」


 辺境の地だったとはいえ、馬を走らせなければ、日の出ている内に隣の国へはチラーズ川は渡れない。

 グレイは殆ど行ったことがない。生まれた場所でそのまま成長して、両親の手伝いをして生きてきた。

 貴族や僧侶よりも裕福ではないが、農奴と呼ぶほど飢えてもいない。

 国民の圧倒的大多数である農民の中でも、苦労を知らない層だったから、食べるのに困った記憶はない。

 税が高すぎる、と愚痴をこぼすことはあっても、暮らしていけるが故に、それしか知らないが故に、ある意味で満足していた。


 そんなことを考えていた時、ふいに頭の中にサイコロが出現した。


 【14】+ハバド地区育ち補正1=15…成功


 あの奇妙な空間が出現しなくとも、運命の骰子は回るらしい。

 だから…、というわけではないが、今なら抜け出せると思えた。


「…野営地を急いで設営したのかな。所々に隙間があるし、あっちは確かチラーズ川の支流があった筈…」


 とは言え、それを声に出してしまっては台無しである。


「お前、まさか逃げようなんて考えてねぇよな?」

「…考えていませんよ。ここで逃げても生きていけない。それくらいは心得てます」

「だな。でも、少しは落ち着いたみたいだな。俺の蹴りのお蔭ってか?」

「…顎、痛いです。口の中も鉄の味するし、暴力は反対です」

「おー、おー。それだけ口が回るなら、俺も蹴った甲斐があったってもんだ。んじゃ、食べ物。ここに置いとくぞ。お前は選択をした。その責任はお前自身で取るんだぞ。…それだけアリア様は怖いからな」

「え?」

「いや、なんでもない。ま、明日からはちゃんと歩いてくれよ。国境を越えるんだから、捕虜らしく堂々と振るまえ」

「捕虜らしく堂々って…。意味が分からないです」


 そして、何かを煮込んだようなスープで満たされた木の皿を置いて、男は暗闇に消えていった。


 【18】…成功


 この地方でよく見る麦粥。

 こんなの…


「分かりきってるよ。イスルローダの悪戯?さっきから、何なの?」


 頭の中でダイスが回り続ける。

 さっきといい、今といい。蹴られる前といい…


 ——邪魔なら消してあげるよ。でも、ボクの力は大したものじゃない。それは君も気付いているよね?もしかして…、ボクのせいにはしていないよね?


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


 グレイの鈍色の眉が跳ね上がる。

 全身の立毛筋が、急いで収縮をする。


 そして、にやけた顔の悪魔が姿を見せると、自分と悪魔以外の世界が色を失った。

 殆どのパーツが白と黒と赤で構成されている幼い顔の男の子か女の子。性別があるのかは知らないけれど。


「ボクはあくまで使い魔だよ。そして、ボクには君の力が及ばない奇跡は起こせない。だから、今までのことも君が選択したことだ」

「…でも、そんなのありえない」

「何が、ありえないの?例えば、さっきのタイミング。君は逃げようと思えば逃げることが出来た」


 悪魔は肩を竦め、手を戯けさせて覗き込む。


「でも、その後のことは分からない。あそこで逃げても絶対に死ぬ…。野垂れ死ぬに決まってる」


 そして真っ白な牙を見せて、契約者を嗜める。


「うんうん。今までもそうやって生きて来たもんね。毎日、毎日、同じように起きて、同じように畑の様子を見て、同じように麦粥を食べて、時々は干し肉を食べて、同じように眠って…」

「だって、それが農民の生き方なんだ。そうやって…、く…」


 息が詰まる。あのサイコロのせい…で?

 これが…、悪魔との契約の本当の…意味?


「そうやって教わってきたの?…全ての始まりの神のデナ様に?人間が直接?ボクたちでも簡単には会えない神様に教えてもらったの?」

「そんな訳…ない…だろ。でも、俺達は誰よりも良い生活をしてるって…」

「あー、あの子に教えてもらったの?あの子が誰かも分かっていないのに信じているの?」


 グレイの目が剥かれる。

 立ち上がった衝撃でスープが零れ落ちそうになる。


 ぐぅぅぅぅ…


「勿体ないよ?ま、この会話が終わったら元の位置に戻るんだけどね。ボクに出来るのは君とおしゃべりする程度のことだからねー」

「そんなんじゃ…ない」


 本当はぶちまけたいけれど、お腹からの訴えには負けてしまう。

 良い生活をしているって言っても、一人っ子だったのはそういう理由からだ。

 だけど…、だからって


「…俺の記憶を勝手に読むなよ‼それに…、俺はあの子が誰かなんて大体分かってる。シロッコ山の恩恵の話を教えてくれたのも彼女だ。俺には手が届かない人なんだ…。だから俺は…」


 国を導ける偉い人と導かれるままに過ごす人の間には、物凄く距離があって…

 いや、あるって決まってて…


「分かっているよ。そうやって君は可能性を否定し続けてきたんだ。あ、勘違いしないで。ボクは過去を見て欲しいんじゃない。可能性を考えて欲しいって言ってるだけ。当たり前のことを言ってるだけだよ」

「そんなこと、出来る訳…」

「うん、その通り。ここで君が逃げ出さないのも同じ。そんなことの先には、確かに失敗や大失敗があるかもしれない。生きていけないことだって、家族まで巻き込まれることだってあるかもしれない」

「そうだよ。だから…」

「だから君は何も考えず…。結局、今も何も分からないまま…、そして全部を失ったんだね」


 全身総毛立つ。こんなことがあるかもしれないなんて、一度だって考えていなかった。

 慎ましく生活していたら、ささやかな幸せを手にできると思っていた。そうやって教わってきた。でも、実際は意味が分からないまま全てを…


 選択肢は最初からあった。その先に行く勇気がなかっただけ。言われるままに生きてきて、考えるのを放棄した。もしかしたら…


「だーかーらー。そういうんじゃないんだよ。過去は過去、今は今でしょ」


 悪魔は幼い顔で、グレイの頭を撫でながら言う。

 後悔は無駄だと言う。そして、


「ボクは大した悪魔じゃない。だって、ボクのサイコロは【選択の可能性を可視化したモノ】でしかないんだよ?そして、君はそれを存分に利用してくれたらいい、これから!」

「サイコロが出現したのは選択の可能性が存在するから…。選択?選べる?」

「あぁ、選べるってだけだよ。今のところ出目は良いけど、次の選択では悪い目が出るかも。それに本当に少ない確率、それこそ不可能に近いものもあるかもしれない。だからって考えることは悪いことじゃない。試してみようって思うことだって意味があるかもしれない」

 

 でも、悪魔が言いたいことは分かった。

 そして、その考えに至らない為の価値観が、悪魔を使役してはならない、ということ。


「いろんな考察、観察、行動が君の経験値となる。それが君を一つ上の存在へと高めてくれる。いわゆるレベルアップの秘訣…だよ。それじゃ、ね。お皿、落とさないようにね」


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


 その瞬間、世界に青色が萌し、紛れもない夜が戻ってきた。

 少しだけスープをこぼしてしまったけれど、胃袋を落ち着かせることは出来た。


「レベル…アップ…。んで、俺のレベルは1。それにしてもレベル…ってなんなんだろう」


 悪魔に魅了された、と言っていいのかもしれない。

 それでもいいと思った。もしかしたら、こういう考えを封じるための変わらない毎日だったのかもしれない。


 だから俺は塞ぎ込まずに、積極的に行動する。

 悪魔に唆されたって自分に言い訳をして、手に入れることにした。


 ——経験値ってやつ、そしてレベルってやつを。


「ガンズさん‼俺、堂々と捕虜を演じてみせます‼だから——」

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