第3話 グレイ、無事に救出される

 遥か昔、地母神デナを主神とする人々が暮らしていた。

 彼らは、自らをデナ神族と名乗った。

 そして各地に文明が息吹く前に、大陸の大半を支配する大帝国を築き上げた。

 それを成し遂げたのは大陸南部のデナン人である。

 彼らは今でも大陸南側で、デナン神国として生活をしているが、領地の殆どは失っている。

 巨大帝国の支配とはやはり難しく、末長くは続かないもの。

 開拓地の増加、人口の増加、支配者階級の世代交代など、様々な問題が発生して帝国はあっけなく分裂した。


「とは言え、デナの神官はその立場をうまく利用しました。聖王の儀の習慣を巧みに利用し、各地に王家を複数作りました。多数作ることで、互いを競わせる意味だったと存じます。そして推測通り、彼らは混乱期も自らはデナ神山で文字通りの、高みの見物を決め込みました」


 剣と盾の紋章を掲げる馬車の中、若い女が車窓からの景色に息を漏らす。

 彼女の服装はとても質素なもので、若い神官のそれだった。


「流石は我が妹だな。マリス神官の教えをしっかりと学んでいる。」


 彼女を護衛するために三人の騎士がいた。

 その中でひときわ輝きを放つ甲冑を纏った男が軽く頷き、そう言った。

 けれど、女は兄の顔を見ることもなく、車窓に食いついたまま。


「止めてください、お兄様。この程度は一般常識です。それより…、これは」

「デナ様の教えが変わったんじゃあねぇの?」

「…そんな筈はありません。私たちに言えた義理ではありませんが、デナ信仰は悪魔との取引を固く禁じています」


 経典によるとこうなっている。

 デナ神族とダーグ魔神族は遥か昔に、天魔大戦と呼ばれる大きな戦いをした。

 その戦いに勝利したデナ神族は地上を人間に開放し、ダーグ魔神族を地底深くに封じ込めた。

 そして女神デナは地底深くの悪魔との関りを禁じた。


「デナ信仰は悪魔を使役してはならない。そして俺たちが崇める神マリスはデナの息子。俺たちマリス信仰者はデナ信仰から発生したと言ってもいい。俺たちは軍神マリスの教えに則って悪魔を使役している。同じことが起きてもおかしくない」

 

 大陸のあらゆる場所に王は居るが、彼らが崇める神は皆、デナの一族だ。

 女神デナの息子や娘、そして孫である。

 神々の関係性を利用して、各地の有力者に聖王の位を与えたのが、当時のデナン神国の采配だった。

 そのデナン神国はデナ山周辺に伝統的な国を構えている。

 

「私たちは軍神マリス様の教えを徹底しております。疚しいことは一つもしていません。教義に目を瞑り、姑息に魔物を飼いならすなど…」

「そうだった。これは済まない。我が自慢の妹アリア。して、その教義のせいで俺たちテルミルス帝国は喧嘩を吹っ掛けられまくっている」

「天魔大戦において、デナの長子マリスは人間の保護神であり、軍神でもあります。ダーグに膝をつかせたのはマリス様。マリス様の教えに則って、人間が適切に魔物を扱う。私たちの行いは間違っていません」


 デナン神国は大陸の南部であり、南部は温暖な気候風土である。

 デナ山は標高三千mを超える生きるのに厳しい山だが、その山系が作る天然の壁が、海からの水を捕まえて、山のふもとを潤わせている。

 それが高みの見物を決め込んでいると言われている理由なのだが。


「神官様に言われると安心するな。こんな俺でも地底に行かずに天に昇れるんだからな」

「お兄様は民の為に戦っているのです。地底に落とされるわけ…」


 そこでピタリと妹の声が止まった。

 ハバド地区探索隊リーダーを任された、兄アルスはやや肩を浮かせて甲冑を揺らす。

 それで光り輝く甲冑が音を出したり軋むことはないが、彼が慌てているのは間違いない。


「ちょ、神官様?俺、何を悔い改めたら…。…アリア?」


 兄の死後の世界を言い淀んだわけではなかった。

 神官の女は、窓の外の景色に瞳を振るわせ、震えていた。


「炎の魔法で焼き払っただけではなく…、毒性の高いスライムを召喚している…。しかもそれを民の上に降らせている…。酷い…ことを」

「スライム…?って‼」

「お兄様‼私も連れて行ってください‼」


 兄であり、大将であるアルスの号令で、チラーズ川を渡ってきた軍隊の行軍が止まる。

 すると、家臣たちがアルスの元へ集まってくる。


「アルス様、見ましたか?あの狸…、メリアル王。やってくれたって感じっすよ。」


 家臣ではあるが、砕けた口調なのは昔からの顔なじみだから。

 そしてここは少し前までは他国の領地だった場所。

 ここでなら、と彼はフランクに話しかけたが、神官の姿を見て慌てて口を両手でふさいだ。


「問題ありませんよ。私です。ガンズ様」


 アリアが顔に掛けられたヴェールを摘まみながらそう言うと、黒い鎧に身を包んだ男は肩を落として、溜め息を吐いた。


「勿論、こっちは問題だけどな、ガンズ。ここはシロッコ山が齎す奇跡と謳われるチラーズ西岸…だった筈だ。毒性スライムを取り除くのに何年かかると思ってるんだ。」

「これを狙ってやがったんですよ。賠償金じゃなくて、北デノーリア有数の領地を差し出したんで変だと思ってたんすよ」


 黒い騎士が地団太を踏む。

 金属製の騎士に囲まれた布服の女は胸に手を当てて、険しい顔をする。


「在り得ないことです。マルス様とデナ様が追い出してくれた魔物…。跋扈する地に変えるなど言語道断です…」

「俺が生きている間にどれだけ人間が住める大地に戻せるか…。アリア、お前はやはり馬車に戻れ。お前は隊列を組み直しだ」

「了解。撤収だ、撤収‼」

「そんな…。お兄様。まだ、生き残りがいるかもしれません」

「通常、領地と領民はセットだ。もしくは労働力として連れ帰るか。だが、良くて重症、最悪死亡の民は重荷になるだけだ。ジロムめ。本当に血も涙もない男だ…」


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


「ね。起きてって…」


 真っ暗な中、声が聞こえてきた。

 真っ暗だから、色づく世界か白黒の世界かも分からない。

 そんな中だから、悪魔の姿もどうやら見えないらしい。


「見えてるって。ボクはここにいるよ。暗いんじゃなくて、君の体の周りに腐肉が覆いかぶさっているだけだよ」


 単なる腐肉の臭いじゃない。

 嗅ぐだけで鼻腔が焼けそうな程に刺激が強い臭い。

 そのせいで仮死状態から意識が戻った?


「聞こえているよね。何かの音、馬の嘶き、金属が擦れる音。あ、言っておくけど。サイコロを振る前のボクは君が知覚していることしか話さないし、そういう契約だから」


 契約内容なんて言わなかったのに。

 でも、確かにそんな音で目が覚めたのかもしれない。

 だけど、身動き取れる気がしない。こんな状態で、どうしたらいいのか。


「出目が良かったから、君は助かったんだよ。ま、いいか。一先ずは…、正気度チェックをしよう‼六面ダイス、二つの合計値。6を越えたらオッケーだよ」


運命の骰子ダイスロール


 と言われても。

 右手がどうなっているのかも分からない。

 こんな状況でサイコロを振るなんて…


 …え?頭の中にサイコロ…?サイコロが勝手に回る。そして


【5】【5】


「え、マジで?成功の値でゾロ目…。ボクのルールだとクリティカルだよ。因みに失敗の数値でのゾロ目は大失敗ねー。ってことで、君は今。完全な正気に戻り、冷静ささえ備わった状況になった」


 悪魔イスルローダが言った瞬間、恐ろしいほどに気持ちが落ち着いてくる。

 右手は感覚が失われているだけで、左手は辛うじて動かせる。

 まだまだ重いが、あの時の圧迫が嘘のようだった。

 それだけ、燃えてしまったか、溶け流れてしまったか。

 仮死状態に近い状態で気を失っていたから、吸うべき酸素も僅かで良かった。

 それどころか、有毒な気体をあまり吸わずに済んだとも言える。


 ここまで考えられる。こんな状況で…


「それじゃ、次行こう。ステ振りは生き残るのが確定してからにしたいし…。ま、今は仮の値にしておこう。筋力5、体力も5として、十面ダイスを二つ。白い方が十の桁ね。強度は40」


運命の骰子ダイスロール


 そして、再び。頭の中にサイコロが出現する。

 悪魔が言った通り、白と黒のサイコロがそれぞれ一つずつ。

 頭の中で振れと念じると勝手に転がる。


【4】【8】


 この数字の意味も分からずに出した。


「48ね。対物の強度が40で、筋力と体力の補正が7.5値。計算するまでもなく、十分に倒壊可能だよ」


 その瞬間、意図も容易く体が動くようになった。

 右手、左手、足が何かを粉砕する。

 伸し掛かっていた何かさえ動かせる。そして——


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


「だれか…、助けて…」


 移動の準備に入ったアルスの軍は、馬も動けば人も動く。

 しかも殆どの兵士はガチャガチャと金属音を鳴らしている。

 但し、生存ダイスロールで18が出たのが大きかったのか、思ったよりも体が動く。

 だから、大きな声も出せた。


「お願いします‼俺はまだ生きています‼」


 その時、金色の髪の女は馬車に乗り込もうとしていた。


「シスター様‼どうかデナ様のお恵みを‼」


【宗教学マイナス判定】


 とは言え、今回ばかりは相手に恵まれた。

 ヴェールで顔を隠した神官の動きが止まり、騎士の制止も振り切って、足早に肉塊の近くまでやって来た。


「お兄様。まだ、生きている者が居ます。デナ信徒のようですが、子供です。助けましょう」

「神官殿。確かに農民のデナ信徒への改宗が貴女様の役割ですが、今回ばかりは…」


 その言葉を聞いて、グレイは言葉を間違えたことに気が付いた。

 紋章旗で王国兵ではないことは分かっていた。

 ただ、女神デナが頂点に居るという教育しか受けてこなかったから、彼らの神の名が出てこなかった。

 その名を挙げていたらすんなり助けてもらえたかもしれない。


 とは言え。


「どうやら彼は無傷のようです。これは奇跡としか言えません…。何があったかを知る為にも、この子を保護してください」


 これで彼の生存は殆ど確定した。


 その様子を見て、悪魔は…


 だったら、ステータスをそろそろ決めなきゃね。


 と、誰にも聞こえない声で呟いていた。

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