第2話 悪魔イスルローダ

 四つん這いのグレイ、そして地面に転がる立方体の石。

 契約という言葉に、少年は目を剥いてしまった。

 ここで生まれ、ここで育ち、ここで一生を終えると思っていた少年。

 そんな彼でも、もっと小さな頃は父と母になんでも聞いた。


「王様ってどうやったら成れるの?」

「王様は王子様しか成れないんだよ。それに私たちの生活を守ってくれる凄い人たちでもあるんだ」

「特に俺達の住んでいる場所は国の辺境だろ?あの川から先、帝国は酷い国って噂だ。悪魔が跋扈するってのは間違いないらしい。トムが前に飛んでるのを見たって…」


 グレイには兄妹が居たらしいが、どちらも早くに死んでしまった。

 だから、とても大切に育てられたんだぞ、とそのトム伯父さんから聞いたことがある。

 でも、今はそれを考えている暇はない。


「悪魔って、悪い奴だよね⁉そんな悪魔があっちにはいるの?」

「あぁ。国を大きくするために悪魔との契約を交わしているらしい」

「契約って…?」

「それは私らも知らないさね。多分、私たちと領主様の関係みたいなもんじゃないのかねぇ…」

「でも、悪魔となんか契約を…。アイツらは邪教徒なんだ。話す機会はないと思うが、絶対に話をしちゃ駄目だぞ。目を見るのも駄目だ」


 見たことは無いけど神様はいる。魔法も使えないけどちょっとだけ見たことはある。

 悪魔は見たことないけど、見た人がいるんならいるんだろう。


 ——契約しようよ


 これだって、平穏な生活を送っていたら、絶対に頷かなかった。


 だけど、今の俺は…


「うん…。契約する。意味もなく死にたくない…」

『意味もない死。なんて下らない言葉…、そう思ってたけど。でも、今はボクも同じ気持ちだよ。さぁ、ボクを手に取るんだ』


 多くの農民が身の安全を、生を求めて屋根のある場所を探している。

 そんな悲鳴と雑踏の中、グレイは小さな石に右手を伸ばし、ギュッと掴み取る。

 すると、握った石の感覚が奇妙にも消えてしまった。


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


 グレイの世界は灰色で、…とても静かだった。

 もしかしたら死んだのかもしれない。それかさっきのが全部夢で、目覚めとまどろみの間の世界…とか?


「え…?石が消えた…っていうか、俺は何をやっているんだろ。悪夢のような世界、やっぱり悪夢?石ころが悪魔で話しかけてたって…」


 それにしても変な夢。金縛りというか、白昼夢というか。もしくは灰色夢。

 悪夢の光景が、悲惨な現場が色を失って、静止している。

 そういう絵画、そういうアート、そういう宗教画と言われたら、素人目にもよく出来た絵だと思うだろう。


 だって、阿鼻叫喚の人間たちの前で涼しげな顔をしている悪魔がいる。

 左右で白と黒の髪、赤い瞳の少年か少女。だけど真っ白い歯と血の色の口と蝙蝠の羽で悪魔と分かる。


 そして…


「初めまして。そして今後ともよろしく。ボクの名前はイスルローダ。君の名前は…。あ、大丈夫。悪魔だから心を読めるからねぇ」


 灰色の髪の青年は目を剥いた。

 何度も目を擦って、何度も目を剥く。


「グレイ。そんな時間はないよ。今回は自己紹介を兼ねているから、思考時間を長めに取っているだけだから‼」

「え…。でも、これは夢で。だって、こんなこと在りえ…」

「突然のことで驚くのは仕方ないね。じゃあ、ここから見える状況だけ、軽く説明するね」


 グレイは自分の体も彼と同じく色がついていることに気が付いた。

 そして金縛りと同じように、体が異常なほど重い。

 そんな戸惑いを隠せない少年を他所に、悪魔は淡々と説明を始める。


「空から突然、炎の雨が降ってきて、小麦畑も家も大変な状況だね。そしてその雨の後から酸性のゲルまで落ちてきた。街道は軍隊が居て、先頭の馬車を爆発させたんだったよね。そして君は生き残り、幸運にもその馬車の幌のお陰で殆ど無傷。さぁ、どうする?」


 今までの経緯を簡単に説明した悪魔、その次の言葉をグレイは待った。

 白黒赤悪魔は両腕を鷹揚に掲げたまま、首を傾げている。

 グレイがそのまま待つと、悪魔は左右反対側に首を傾げた。


「…さぁ、どうする?」

「どうするって…。その…、助けてくれるんでしょ?」

「あぁ、そっか。その説明を忘れてた。助かり方を決めるのはグレイ自身だよ」

「俺が?だって、俺は今何が起きているか分からないんだよ」


 そも、どうして会話をしているのかさえ分からない。

 確かに契約すると言ってしまったけれど。

 だが、今の言葉に悪魔は片側だけ犬歯をくっきりと見せた。


「サービスで思考時間は長めだからね。それも行っておこうか。グレイは今の状況を把握しようとする。それでいい?」

「それでいい?…ってそれが分からないって話。今の状況は?」

「うんうん。君はこの地で生まれ育ったから、地質学の補正値がつけられる。但し、政治学や魔法学はさっぱり…。ま、でもサービスだからね。ボクの補正値も付け足してあげよう。それじゃ、いってみよう。今回は二十面ダイス‼」


運命の骰子ダイスロール


 その瞬間。消えた筈の石が右手のひらから現れた。

 しかも、あの時掴んだ形とは違い、宝石のように美しい形。

 1から20までの番号が振られた角形…、だけど何をすればいいかは理解できた。


「これを振れ…ってこと…」


 重い体、震える手だから、振るというより落とした。

 だけど、サイコロはクルクルと回転し、地面に落ちてもさらに跳ねた。


 【8】


「8…?これって…」

「8ねぇ。ギリギリセーフかな。こういうのは後付けしたくないんだけど、最初だしね。現状を知るくらいなら10でいい。君が持つここの地質学の補正が2。合わせて10だね。クリティカルは出なかったけど、いいんじゃない?」


 悪魔イスルローダの言葉、同時にグレイの頭が動き始めた。


「炎と酸の雨。厄介なのは酸の方かな。人の体を簡単に溶かしてしまうほど強い酸。街や城塞に行けば、石造りの建物があるけど、この辺りの茅葺屋根の家だと炎も厄介かも。運よく、俺の上に落ちてきた幌。王国製だから特別なのかな。今のところ、ここは問題なさそう…」

「うんうん。いいねいいね。そして君は人々が押し寄せてきているところも見ているよね。そしてボクの補正値分で言わせてもらうと、本当にこの幌で大丈夫なのかな?…って感じだね」


 頭が動き始めた瞬間、色を失っていた世界に一瞬、色が差した。

 人間たちが押し合いながら詰め寄ってくる、そこで再び色が抜ける。


「一回行動をしたからね。これでもかなり甘めなんだけど。それで、行動は決まった?」

「決まらないよ。…っていうか、今の状況じゃ逃げ場がないっていうか。なるべくみんなが入れるように、俺は蹲って…」


 結局、こんな状況。何をしたって無駄だ。

 父も母も、本来は助けてくれる筈の王国貴族に殺されたようなもの。

 だから、やっぱり諦めて…、そう思ったとき。


 地面に落ちた筈のサイコロが右手に握られていた。


「幌の下で蹲る。グレイの若さと体力と柔軟さを考慮して、補正値はプラス3。後は運は…、今はボクを拾ったって意味で5にしておこう。再び二十面ダイスだよ。さっきより上、の15以上を目指してね‼」


運命の骰子ダイスロール


 先ほどと同じ20までの番号が振られた角形。

 それでも今回は、さっきよりもサイコロらしく投げられる。


「この状況…、本当にサイコロを振るみたいなものじゃないか。俺の運次第…か」


 そんなことを言ってしまったから、結局震える手でダイスを落としてしまった。

 今回もやはりクルクルと回転して、ズルは出来ないことを理解させられる。

 そして…


 【18】


「へぇ…。神はその数字を出したのか。それじゃ、君の運命を見てみよう」


     ⚀⚁⚂⚃⚄⚅


 世界に赤がメインの絵の具が滲む。

 逃げ惑う人々は悪魔をすり抜けて、幌の中へと入っていく。

 グレイは契約した時の姿勢、即ち四つん這いの状態に戻されていた。

 必死に頭を守りながら、地面に食らいつく。

 身を小さく縮めていたら、とんでもない圧力が上から掛かった。


「ぐ…ぇ…」


 我先にと当面は大丈夫そうな幌の下に雪崩れ込む人々が将棋倒しになったのだ。

 一人や二人じゃない。とんでもない人数のしかも大人たちの下敷きになった。


 …やっぱ、悪魔の言うことなんて


 そして骨の軋む音を聞きながら、少年は息苦しさと痛みで意識を失った。


 ジュゥゥゥゥ


 その時だった。防火素材、防塵魔法で強化された幌が、ついにゲルの酸に負けたのだ。


「ひぃぃぃ…。グギャァァァアア」


 直下に居た一番上の男が悲鳴を上げる。穴が開いたところから強酸と炎の雨が降り注ぎ、声は出たが即死に近い状況だった。

 だが、その下の人間は動かなかった。勿論、動けもしなかった。


「神様、この子だけは…。お願いします…」

「お母さん、痛いよぉぉぉおお」


 そんな声も聞こえ、その子供の両親の目から生気が失われる。

 残酷な炎と酸による処刑、それを繰り返しているうちに、グレイにかかる圧力が緩和していく。

 そして何人もの体を突き抜けた酸が、グレイの近くまで差し迫る。

 だが、彼は目を覚まさない。

 最下層は酸素も殆ど失われていて、失神というより仮死状態に近い状態だった。


 だから、ある意味で死んだようなもの。


 それでも彼は──

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