危機一髪……拝み屋さんだった祖母の思い出

平 一悟

私が初めて祖母の言う神仏の不思議を見せられた話

 それからですが、私が小学六年生の時にS県から父の転勤で祖母の居るY県に引越ししました。

 すでに祖母は自宅の住居を改造して、神仏に祈る道場を開き、拝み屋さんを始めていました。

 祖母の家は実は祖父の叔母が亡くなり、古い藁ぶきの家と畑が残り、誰も継ぐものがいないので祖父が名乗り出て相続したものでした。

 で、誰も継ぐ者がいなかったのはそこが叔母の幽霊が出ると幽霊屋敷になってたからで、当時祖母は宗教から離れていた時だし、祖父は豪胆だったので、平気で住みだしたそうで、まあその話は実は当時の信者さんも知らない話ですけど。

 それで、どうも、叔母が亡くなった時に寝かせていた場所の畳がどうもおかしいって祖母が気が付いたら、あっさり、それを祖父が畑で焼き捨てたそうで、それでお化けが出なくなったそうです。

 それで元は古い農家の屋敷で、土間側が9畳の部屋が並んでいて、その間を遮る襖を取り払って、拝む道場と信者さんが待つ場所にしていました。

 なので、その隣に6畳が二部屋あって、そこが居住スペースになっていたのですが、それは道場になっている場所と同じで襖で遮られただけのであり、相談する人の声が大きいとまるまる相談してる話が居住スペースまで聞こえました。

 さらに祖父も祖母も全然気にせず居住スペースの襖を開けて出入りするので、向こうの信者さんと目が合う事もあり、それで遊びに行ったときは目立たないように声を潜めて暮らしている状態でした。

 もともと祖父と祖母だけの居住スペースで狭いのでうちの家族が行くと部屋が一杯で仕方ないので、皆で小さくなってこたつに入ってテレビを小さい音で見ていました。

 当時、うちの家族は次男が亡くなりましたが、それから弟が出来て結局三兄弟で家族五人の生活でしたから、人数が多すぎたのも原因ですが……。

 それでも、母が週末などには、ちょくちょく家族を連れて祖母の家に行くようになりました。

 

 ただ、その信者さん達のいる道場に行くと、うちの父が超現実主義者で宗教が嫌いだったので、ちょっと厄介でした。

 うちの父も大学で空手の部長やってたくらいで祖父と似ていて豪胆で、父方の祖母から聞いた話では、近道だからと家庭教師をしていた時に真夜中に墓場を通って帰って来ていて、それを父方の祖母が注意すると『馬鹿馬鹿しい幽霊なんているか! 人間の方がよほど怖いわ! 』と爆笑するようなタイプでした。

 だから、死ぬまで、そういう世界は否定して亡くなりました。

 父は製薬会社のそこそこ偉いさんになってたので、祖母の祈祷でガンとか治るのは医者の検査ミスかプラシーボ効果で治っただけって平気で祖母の家で信者の前で言うし、特に祖母の信仰はおもかるさんと言う神像の重いか軽いかで、信者なら直接神様からお聞きできるという信仰で、祖母自身は直接に神様と話が出来ましたが、信者さんも神仏の不思議に触れ合えると言う部分がありますが、少しお酒に酔っぱらった時に『こんなもん重いとか軽いとかあるか』って古い信徒さんや祖母や家族の前で神像を持ち上げて『ほら見ろっ! 重さなんか変わらんじゃないかっ! 』て騒いだこともあります。

 祖母はまあ信仰に縁のない人はしょうがないよねって呆れてましたが……。

 ただ、それでも父は最終的には拝み屋さんは困ってどうにもならない人とかそういう人の相談所で一種のカウンセラーみたいなものだと認めるようにはなりました。

 正直、私もそれは同感で、今はかなりネットで出来るようになりましたが、役所とかでちゃんと困りごとを相談できない人達に助言を与えるようなものは、当時、こういう拝み屋さんみたいなのが代理でしていたような気はします。

 役所とか結構冷たいですし、お役所仕事ですから親身になってくれる人とは運がよくないとまず会えないのが現実ですし。

 だからこそ、不安や苦しみに親身に話を聞いてくれる人が必要で、それで拝み屋さんと言う職業があったのだと思います。

 昔は拝み屋さんは結構あちこちにありましたし、祖母みたいに、儲ける為でなく有名になる為でなく淡々と神仏の御役目をお手伝いしているだけで、それこそが拝み屋の本来の仕事と考えている拝み屋のプロフェッショナルみたいな人は多かったみたいです。

 進んで縁の下の力持ちみたいな事を、信仰として神仏に誓願して実行するという考え方です。

 だから、苦労は人を磨くとか、人は磨かれて玉になるとよく言ってました。

 職人肌と言えば職人肌なのかもしれません。

 で、そういう父の影響があったので、初めのころは私も祖母の言う神仏の不思議に関しては懐疑的でした。

 父方の叔母のガンが祖母が拝んだことで全く無くなった事もあるのですが、どうも胡散臭い部分を感じていました。


 そんなときの話です。

 高校2年生になった時に、いつものように家族で遊びに来て居住スペースのこたつに家族で入って、静かにテレビを皆で見てました。

 テレビを小さい音でつけているのは、時間をつぶす意味もあるのですが、とりあえず相談事をこちらに聞こえないようにする家族の知恵もありました。

 人の相談事を聞くわけにもいかないですし、ヘビーな話とか聞くとこちらも暗くなりますし。

 当時はすでに多い日は1日100人以上の相談を祖母は受けており、ずっと信徒さんが来て家は一杯なんで、それが終わる午後8時過ぎくらいまで、その部屋で祖母が終わるのを待つのがいつものことでした。

 実際、信徒さんのお父さんが亡くなりそう、子供が亡くなりそうで電話が病院から午前一時とか二時にかかって、それから祖母が起きてずっと朝まで神仏を祈祷しているとか言うのは結構ありました。

 勿論助かるばかりではありませんが、亡くなった後に成仏するように祈るのも仕事のうちでした。

 祖母は前ので書きましたが、お気持ちだけでと無記名の封筒で謝礼を受け取っており、それは全額寺社に寄付されており、年金で生活している状態で、拝み屋さんは欲を持っていたらいけないと常々話しておりました。

 そんな時におばさんの大きな声が住居のスペースのこちらにも聞こえるくらいの声で聞こえました。

『先生! うちの旦那が仕事で心が駄目になって家族に何も告げずに家から出て行って、もう三年になります! 捜索願も昔に出してますがその後は全く何もわかりません! 私も働いてるし、子供も来年には大学受験なんです! だから娘と相談して、そろそろ旦那がもう戻ってこないのか戻ってくるのか、それとも実は自殺して亡くなっているのかを神様にお聞きして貰ってはっきりさせてもらって、新しい出発をしようと思ってます! 』

 などとヘビーな話が聞こえました。

 家族でこたつに入りながら顔を見合わせます。

 テレビの音で誤魔化せないくらい声が大きかったので丸聞こえでした。

『と言う事は旦那さんが戻ってこなくてもいいの? 』

 などと祖母が凄い事を聞いてます。

 家族が顔を見合わせて静かになったせいで、それらは全部聞こえてしまいました。

『いやいや、もちろん、戻ってくればいいんですけど。でも三年も捜索願を出して戻ってこないのですから、それは正直難しい思って諦めているって事です! 』

 さばさばとしたおばさんの声が聞こえてきます。

『じゃあ、戻ってきても言いなら戻して貰うと言う事で良いんだね』

『それは出来たらうれしいですけど、もう三年ですから』

 すでに諦めたという感じでおばさんの悟りきったような笑い声が聞こえました。

『じゃあ、拝んでみるから』

 そう祖母は言うと、こちらの襖を開けました。

 祖母は普段は白い上下の巫女服を着ていますが、僧侶として拝む時には僧衣を着て拝みます。

 真言宗ですが、神仏習合の流れのうちの神が主で仏が従の宗派の信仰をしていました。

 最初にまず無縁仏とか先祖の因縁とかそういうものを相談者が連れていることが多いために、ますば僧衣でお経を拝んでそれを綺麗にしてから、今度は神道の神官として巫女服で祝詞で拝んで神様からお言葉をいただくのが祖母の拝み屋としての仕事の流れです。

 だから、相談事の祈祷には、僧侶としての読経と巫女としての神様への祝詞がセットで、ざっと1時間くらいかかるので、その拝む合間に来た人のお願いを合わせて拝んで、神様から言葉を聞いたりお願いをしたりして、と言うのを朝の9時からずっと午後7時過ぎくらいまでしていました。

 それで、拝むときは、こちらの生活している方に入ってきて仏さまに拝むために僧衣にまずは着替えるのです。

 で襖が開きました。

 まあ、襖が開いたときに向こう側は見ないようにしてるんで、信徒さんとか見ることはまず無いのですが、その時は信徒のおばさんの声が大きかったのでちらっと見てしまったら娘さんを連れてました。

 なんと、その娘さんが私のクラスメイトで隣の席の女の子でした。

 向こうは気が付いてないけど、こちらはびびりまくりました。

 大人しくて明るい子にそんな暗い話があるとは……。

 さらに、当時は祖母の神仏の力をあまり信じて無かったので、えええ? そんな事を祖母に相談するの? って感じで焦りました。

 祖母の読経と着替えての祝詞の間、結構居住スペースのこたつの中で焦ってました。

 そして、祖母が神様のお言葉をおばさんとクラスメイトに話します。

『どうも、旦那さんに変なものが憑いてたらしくて、港湾の方で今は働いているみたい。その憑いている変なものをとって神様の引き寄せをかけたから、今週中には旦那さんは帰ってくると思うよ』

 その言葉を聞いて、私は眩暈がしてました。

 いやいや、三年も失踪してたのに無理だろと。

『じゃあ、先生、今週いっぱい待ってみます。ありがとうございます』

 そうおばさんは明るい声で答えました。

 それで私がさらに焦ります。

 えええええって感じです。

 で、その後、それが本日の最後の相談だったので祈祷は終了して、祖母がこちらの居住スペースに入ってきて普通の家族としての話になりました。

『今のばあちゃんが祈願した旦那さんが失踪したおばさんの連れてた娘さんは同級生で隣の席の子でいつも話す子なんだけどぉぉ! 』

 私が最初に祖母に話したのはそれでした。

『そうんなんだ。まあ世の中にはいろいろあるからねぇ』

 いろんな話を聞いている祖母は軽く答えました。

『いや、三年前に失踪した人って帰ってくるの? 』

『神様が引き寄せかけたから帰るでしょ。港湾で働いてるって、神様がおっしゃったし、もう大丈夫』

『本当に大丈夫なの? 俺、明後日の月曜日に高校であの子に会うんだけどぉぉぉ! 』

『神様がおっしゃったから大丈夫でしょ』

 と、祖母は軽く笑っただけでした。


 で、その娘さんに学校で会うたびに申し訳なくて、顔も合わせにくくなり、困りました。

 私的には正直、危機一髪なみの動揺でした。


 見られていないと思うけど、顔はこちらから見えたから、向こうが見えている可能性もあるわけだし。

 それで、一週間がたち、大体、うちの家は祖母の家に土曜日行くのですが、行った時に最初にその話を祖母に聞いたら、特に今のところは返事はないけど、仕事の関係であの信徒さんが来るなら今日に来るでしょうとの事。

 隣の居住スペースでクラスメイトの子に泣かれたら、どうしょうとかずっと悩んでいました。

 祖母とおばさんの信仰の話なので、関係ないですが、もしも駄目だったらと罪悪感すら感じてました。

 そして、そのおばさん達は来てしまいました。

 姿はテレビのある家族の居住スペースにいるのでわかりませんが、おばさんの大きな声がしました。

『先生! 先生! ありがとうございます! 』

『いろいろとありがとうございました』

 おばさんと普段話しているクラスメイトの娘さんの声が明るく聞こえました。

『この度はどうも』

 とおじさんの声もしました。

 なんと、三年も失踪していた旦那さんが帰って来ていたのでした。

 しかも、おばさんの声で聞こえたのですが、まさかの港湾の積み下ろしの作業をしていたそうで……。


 うそやろ! 

 プラシーボじゃ無理じゃん!

 と私は衝撃を受けました。

 神仏の不思議と言うか、何かそういう事が世の中にはあるのだと初めて知り信じました。

 まあ、世間で言うなら危機一髪とは言えないかもしれませんが、最初に一番焦った危機一髪的な話はこれでした。


 それで、神仏に手を合わせるようにもなりました。

 これが良かったのかどうなのかはわかんないですけど、いろんな奇跡も見て助けてもらう事もありますが、反面大変な事もたくさんありました。

 信仰をして神仏の加護をいただくと言う事は自分の本人の深いところに眠っている先祖やその他の因縁まで全てを掘り起こすことになります。

 神仏に助けてもらうから、もう安心って事は無いのです。

 まあ、最悪の事は避けれるでしょうが。

 そして、どれほど強大な力を持つ神仏とご眷属の方も、あまりに悪しきものには負けることがあります。

 祖母の師匠のように神仏とご眷属が勝つばかりの話では無いので。

 結局、そうなる因縁があって信仰に関わるのであって、安易に関わる事では無いと骨身に染みたこともあります。

 例えば父の血筋の方もとんでもないものが流れていて、それで次々人が亡くなるとか激ヤバな話はありますが、まあ祖母の話とか違うし、多分、そっちはヤバすぎて書けないと思うので、書ける範囲で祖母の話をまた書いていきます。

 

 

 




 

 

 


 

 

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