163 予言の刻

真幸side

 

「……はぁ、星野さんやっぱ我慢できなかったか。さっき玄関から出てったな」

「仕方あるまい、此度の事件は実家の危機なのだ。居ても立っても居られないのだろう」


「ま、そう言うこった。一応姿隠しの術は教えておいたし、鬼一にも先んじて伝えてある。狙い通りじゃねぇのか?」

 

「狙ってるわけないだろ。そうなるかもしれないとは、思ってたけど」


 


 現時刻1:30 星野さんはみんなに引き止められたけど、次の事件現場であるご実家のお寺に向かっている。

 暉人を彼につけたのは、星野さんの状態次第で無理矢理にでも引き止められる……もしくは護衛としての役目を果たしてくれるだろうと思ってのことだ。


 そして、俺はさらに保険をかけている。卜占の結果、今日は事件が動かない筈だ。

 たかが占い、されど占い。陰陽師の行う卜占は時の司をも動かしていたし、実際自分がその通りになった過去がある。


 外したことは一度もない、そして俺だけじゃなく飛鳥にも真実の眼で視てもらった。さらに鬼一さんにも、白石にも、アリスにも占ってもらった結果、全く同じ結果が降っている。


 確定事項だと信じてはいるけどさ、心配しないではいられないよ。


 


「ソワソワしてるな、気持ちはわかるが。『芦屋が動いたら星野には大凶』ってのが出てるんだから仕方ねぇよ」

「……うん。白石、ごめんな。清音さんの傍に居たいだろうけど」


「無事に戻りゃいいだけの事だ。留守中、清音を頼むぜ」

「うん、わかった。星野さんをお願いします」


「あいよ。そうだ、忘れねぇうちに分霊を戻しておけ。うっかりする前にな」

「もう戻したよっ!気をつけて行ってきてくれ」


「応」


 


 伏見さんのお部屋にみんなで集まり、白石を送り出す。動けるメンバーは星野さんを追いかけて、守ってもらう手筈だ。

 どうして俺は同行できないんだろうな……。今までこんな事無かったのにさ。


 『俺が行けないって託宣でた!』なんて言ったら不安にさせるだけだから、我慢して待てるか……現場に行ってしまうかは流れに任せるしか無かった。

 

結果としてはただ待つ立場になってしまったわけだが。


 お布団に横になった伏見さん、妃菜、清音さんは深い眠りについている。

魚彦と飛鳥がつきっきりで様子を見てくれているから、こっちは安心だけど……あぁ、もうちょい結界足しとこっと。



 

「真幸、助っ人を頼んだのだ。そのように心配せずとも良い」

 

「うん……お寺といえばあの人だし、きっと星野さんを守ってくれるよね」

「あぁ、あれに任せればうまくやってくれる。……信じて待とう」


「うん」



 大丈夫。きっと大惨事にはならない筈だ。だから、俺は家に残って件の予言を聞かなきゃ。自分のやるべき事に集中しよう。


  

 腕の中でぱっちり目を開いた件はじっと俺の目を見たまま微動だにしない。

かわいいな……数日しか一緒に過ごしていないけど、真っ黒で澄んだ瞳に見つめられると胸がきゅうっと締め付けられる。



 

 件は予言を残した後に亡くなってしまう。これはどうやっても覆せない理のようだ。どうしてそうなるのか……なぜ死ななければならないのかは、全くわからなかった。

 今までたくさんの件を見送ってきたけれど、みんなとっても可愛かった。


  

「んむーう」

「うん、一緒にいるからな」

「むぅ、んむ……」


 鼻先を顔に近づけてきた件は、ふんふん鼻を鳴らしてキスをねだってくる。

あんまり可愛くてチューチューするもんだから、こうすれば俺がキスするって覚えちゃったんだ。


 


「んふ、かわいい。おねだりに応えてしんぜよう」

「んむぅ、むぅ!」


「…………ぬぅ」

「颯人、腹筋崩壊させないで下さい」


 

「別段鳴き真似をしているのではないのだが」

「んっふふ……件は真似してるかもしれないよ。颯人の顔もちゃんと覚えて、甘えるようになったしな」

 

「あぁ……このように愛らしい姿を見せられては無碍にできぬ。我は、父代わりになれただろうか」


「きっと、そうなれたと思うよ。颯人はいつも優しいでしょ」

「そうありたいとは思うが。ん……乳の時間か?」

 

「んむーう!」


 

 

 優しい声が、耳に、胸の中に染み込んでくる。


 颯人は昔からずっと優しいよ。俺にも、みんなにも……。件だって短い期間の中で颯人の愛情を受け取って、すっかり大好きになってるじゃないか。

 歩いていれば後をずっとついていくし、お乳をあげるのが上手だからいつの間にか颯人がミルク当番になっている。



 陽向が生まれた時、目が覚めてはじめに目にしたのは……颯人が陽向を抱いて、ミルクをあげている姿だった。

 熱を出した俺の看病をしていたから目の下にクマができて、ろくに寝ていなかったからうとうとしていた。

 

 それでも手に抱いた陽向をしっかり抱えて、微笑みを浮かべていたんだ。


 おくびを出してあげるのもとっても上手だし、俺が寝不足にならないように……ずっとずっと心配りしてくれた。


 


 クシナダヒメとの間にも、カムオオイチヒメとの間にも颯人は子供をもうけている。『子育てに手出ししなかった』って言ったけど、あれは違うと思う。

 

 時代が時代だったし、それこそ神格が今よりも厳格で確固たる戒律だったから、大っぴらには手伝えなかったんだろうけどさ。


 あんなに手慣れているなら、手伝っていないわけがない。立派なイクメンだったんだろう。

 

 姫達はどんな気持ちであの光景を見ていたんだろう。

大好きな人との間にできた、宝物である自分の子が……その人の手に抱かれている姿を。



「どうした、真幸。そんなに見つめて……見惚れたか?」

 

「うん……」

「………………そ、そうなのか。そうか……」


 

「ほう……?」

「ちょっと、魚彦!静かにっ!」

 

「すまぬ、姿を顕しているというのを忘れていた」

「ふふ、そうねぇ……あなたはずうっとこの二人を見てきたものね」


 


 魚彦と飛鳥がコソコソ話してるの、聞こえてるぞ。ご希望に添える展開にはならないけどね!


 俺は……沖縄から帰って来て、颯人とトラウマを乗り越えるための触れ合いを続けている。

 星野さんに相談したのはいつだったっけ。いかがわしいことさせて気が引けていたけど、颯人はきっぱり俺の懸念を否定した。




 愛しきものに触れることが、なぜ穢らわしい行為になるのだ?と言われてしまった。

そんな風に言われたら、何もいえなくなっちゃったんだ。

 

 毎日毎日、颯人に触られるたび震えて怯える俺をもろともせず。何もできないのに褒め散らかされて。

 散々甘やかされてしまっているけど、颯人って聖人なの?いや、これを俺が言ったら嫌味になるか……ううむ。 




「んむう、けぷっ」

「相変わらず手間をかけさせてはくれぬな、聡い子だ」

「……ふふ。ホントだね」


 優しい時間が、過ぎていく。もう……件が生まれて4日は過ぎているけど、いつ予言が降ってもおかしくない。

 颯人の笑顔と、件の甘える姿を見ていると泣きそうな心地になる。

ずっと、このままならいいのにな。


「んむ、むぅ」

「抱っこか?おいで」



 ミルクを飲み終えた件は颯人の膝を降りて、トコトコ歩いてやってくる。手を広げると顔を擦り付けながら俺の膝に乗る。抱きしめてやると、丸まって目を閉じた。



 

「眠たそうだな。子守唄でも歌おうか?」

「んむーぅ」

「ふふ……いい子だな」

 


 件は口端をあげて、にっこり微笑みを浮かばせる。顔の表情差分がようやくわかるようになったな。

 拗ねたり、怒ったり、笑ったり……人間の赤ちゃんと同じく件も感情がある。

知識があって、感情があるならそれはきっと人間と大差ないのだろう。


 他の妖怪達も、神様達も……みんな、同じように感じる心がある。

それなら、自分が死ぬことを悲しいと思うかもしれない。散々甘やかしてしまって……俺たちと別れることを寂しく思ってしまうかもしれない。


 俺は酷いことをしてしまった気もしている。自分の欲望のままに可愛がって、悲しみを与えるだけの結果にはしたくない。

身勝手でごめんな、と心の中でつぶやいて小さな声で子守唄の音を唇に乗せた。


 


 ――揺籠のうたを カナリヤが歌うよ

   ねんねこ ねんねこ

   ねんねこよ――


 

 件は家に来た初日は興奮していたのか眠りが浅く、俺が少しでも動くと目を覚まして泣いていた。

 鳴き声は牛さんだけど、涙を流してポロポロ泣くもんだから胸が痛くて。

お母さんと引き離すしかなかったけれど、子供は何をされても母を恋しいと思うのが普通なんだろう。


 お母さんからおっぱいをもらえず、拒絶されてしまった件は、俺の過去を思い起こさせた。だから、いつも以上に可愛がってしまったんだ。

 



 一緒にいる時以外に泣かなかった件は、俺たちに甘えていたんだろうと思う。切ない気持ちのままでいた俺に、お母さんの代わりをさせてくれた。

 

 そんな健気な姿が可愛くて、颯人と散々いろんな子守唄を歌った。唯一眠ってくれたのがこの揺籠のうた……揺籠歌ようらんかだ。



 

 この歌は北原白秋の作詞で、よく言われる『ちょっと怖い子守唄』とは若干方向性が違う。明るめのメロディーでカナリヤや木ねずみ……リスのことだな。それから、枇杷の実やお月様まで子供を寝かしつけてくれる。


 とっても可愛い歌で、口にする自分までほっこりしてしまう。

 寝かしつけるだけじゃなくて、生まれて来た子をみんなが愛してるよ、見守ってるよ、と囁くような歌詞が好きだな。


 月読も月が出てくるから好きみたいで、件によく歌って聞かせていた。日本の代表的な童謡で、はるか昔に作られた歌はこうして伝えられていくんだな、なんて勝手に感傷に浸ってしまう。

 



 俺は、今でも自分の母のことをきちんと整理しきれていない。最初から愛されなかったわけじゃないと分かっていても……小さな命に触れると『ああならないようにしなきゃ』という観念が頭を擡げる。

 

 たくさん子育てをしていた妃菜から言わせると、やや甘やかし過ぎの部類になるらしい。



 

 怒ることや諌めることもまた愛だとは思うんだけどね。陽向も、件も……赤ちゃん返りした月読もわんぱくさはなくて、聞き分けが良すぎるくらいだった。


  

 正座してお説教とかして見たかったけど、機会はなかったなぁ。

件は本当にいい子だった。甘えん坊で、賢くて。妖怪さんだからオムツも必要なかったしな……。


 んむー、って可愛い声で呼ばれるたびにあったかい気持ちになって、ただただ一緒にいられて本当に幸せだったんだ。


 


「……真幸」

「あれ……ごめん。そんなつもりじゃなくて……」


 ぽろん、と自分の目から雫が溢れて、颯人が指先でそれを受け止める。

眠っていたはずの件も目を覚まし、舌で涙を舐め取り、慰めるように頬を擦り寄せてくる。


 

「泣くつもりじゃ、なかったんだ。件があんまりにも可愛くて……胸の中が満たされて、幸せだったなって思ったら勝手に出て来ちゃった」

 

「そうか……」


「ぼ、僕もくっついていい?」



 

 大人しく隣で座っていた月読が立ち上がり、じっと見上げてくる。頷きを返して、件を抱きしめて……月読まで泣き出してしまった。


「件も弟にしてあげるね。少しの間だったけど、僕もとっても幸せだったよ。

 こんな風に抱き合って、黒毛を撫でていると心の中から優しい気持ちが溢れてくる。

真幸くんのそばにいられたのも嬉しいけど、お前に出会えて嬉しかった」

 

「…………すん」



 颯人が鼻を啜って件と月読と、俺を抱えて目を閉じる。……もう直ぐ、別れが来る。件は役目を果たそうとしている。

 

 そう、感じた。


 

「んむぅ」

「かわいい子だな、大好きだよ」



  

「…………お……かあさま」



 突然発せられた声は、俺にそっくりな声色だ。一言発して、件は黒い目の色を黄金色に染めて行く。

 

あぁ、もうその時が来てしまったのか。



 

「日の本の国、高天原と豊葦原の瑞の国を統べるおかあ様。

 私を育ててくださり、愛してくださり、心から感謝申し上げます」

 

「感謝するのは俺のほうだよ。幸せな時間をありがとう……」



 ぺろん、と俺の涙を舐めた件は眉を下げて泣きそうな顔になり、無理矢理笑みを浮かべる。

 いつか、姫巫女と共に奥多摩で見た……紅に沈む金色の陽を思い出す。


 命の終わりが、予言の刻が来たんだ。



 件の頭をそうっと撫でると、膝から降りて俺の手を取って……件はしゃんと背を伸ばした。

涙を拭って、俺も背筋を伸ばして耳を澄ませる。




「予言を授けます。この国のさいごに生まれた、私めの言葉をよくお聞きください。

 そして、あなたが成すべき事を見定め、吟味し、どうか……お幸せになられる事を願います」

 

「…………最後……?」

 

「はい、私の後、件は豊葦原には生まれません。それはこの国の最期を示しています」



「………………」



 俺たちは一斉に息を呑み、件の言葉に衝撃を受ける。

 

 この国の、最期だって……??



 颯人の袖を掴み、顔色を変えた相棒と目線を交わし……俺たちは件の予言を受け取るために、もう一度金色の瞳を見つめた。

 

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